捌話目

「よいしょ、っと」


 大きめの行李こうりを倉庫の奥へ置いて額の汗を拭いた美冬は、辺りに散らかる曰くつきの“鏡”やら封印が施されているらしい“箱”やらを“彼ら”が気に入りそうな隙間に置いていく。


 奥に仕舞い込んでいた屏風を天日干しした為、少しだけスペースに余裕が出来たそこにかなりの埃が溜まっているのを見つけた美冬は、共に神社へ帰ってきた土井に茶と菓子を出して、少々話し込んだ後、倉庫の掃除を開始したのだ。


 前にここを掃除したのはいつ頃だったか。

 大抵のものは人からの預かり物だ。

 誰々に渡すからそれまで保管しておいてくれだの。暫く家を空けるから此処に置いておいてくれだの。

 どうして皆揃ってこの神社に預けていくのだろうかと、美冬はいつも疑問に思う。


 だけれど預かり物である以上は清潔を保たなければ。

 粗末に扱って文句をつけられるのは美冬の師匠の秋彩だ。

 ああ見えて妖怪や人ならざるものからの依頼事で神社を空ける事が多い秋彩。その間の留守を任されているのは勿論美冬だ。


 その間の怠惰で師匠に頭を下げさせてしまうのは、何としてでも避けなければいけない。

 記憶も無い面倒な自分を拾ってくれた秋彩に、あまり迷惑はかけられない。美冬は自分にそう名付けてくれた秋彩を、どんな形でも裏切りたくないと思うのだ。


「よし、だいぶ片付いたな」


 掃除を始める前よりややスッキリとした倉庫を出ると境内に人が居るのが見えた。美冬は慌ててそちらへ駆けていく。


「気が付かなくてすみませんっ! 何か御用でしょうか?」


「ぁ、いや…その、」


「?」


 美冬がそう問うと、賽銭箱の前をウロウロと彷徨っていた男は途端に目を泳がせて吃った。

 背丈は秋彩よりも少し高く、体格もガッシリしていた。

 妖怪や人ならざるもののような不思議な気配は無さそうなので、彼は“人間”なのだろうと美冬は目星を付けるが、顔に見覚えはない。恐らくこの町の人ではないのだろう。


「神主に御用事ですか?」


「ぇ、…あ、あの…神主じゃないの…あ、ですか?」


「はい。俺はこの神社で神主業を学ぶ弟子の美冬と申します。神主の秋彩は只今留守にしておりまして…伝言等なら俺がお聞きする事が可能ですが」


 吃ると同時に少し怯えを見せる男に、美冬は微笑みながら愛想良く説明する。しかし男はオドオドと戸惑うばかりで、美冬の話もあまり聞いていないように見えた。


「秋彩が戻るのは夕刻頃になりますので、急ぎの御用で無ければまたその時間帯に―――」


「やっぱ、いいっ!! ですっ…すんませんっ!」


「え!? あ、ちょ…!」


 男は美冬の言葉を遮ると、慌てて踵を返し神社を飛び出してしまった。慌て過ぎて段差で蹴躓くが、それでも勢いを落とさずに走り去っていく。

 自分の対応に何か不快に思う所があったのだろうか。

 美冬は男が走り去ってしまった方向を見遣る。塀の上にいるアヤカシ達が男を笑って馬鹿にしていた。

 その笑い声が自分にも向けられているような気がして、嫌な気分になる。秋彩だったなら、もっと上手に要件を聞き出せていたろうか。


「…上手くいかないなぁ…」


 美冬は頬を掻いてため息を吐いたのだった。







 男は走っていた。

 先程神社で出会った女みたいな顔の青年に何か聞かれたような気もするが、彼が神主でないなら自分の話など聞いては貰えないと慌てて神社を飛び出してしまった。


 男はこの町の人間ではない。隣町の会社に勤める平凡な社員だ。

 しかし、この町に来るのは初めてではなかった。つい最近上司から任された企画が行き詰まり、適当に電車を乗り継いでストレス発散でもしようかと立ち寄ったのがたまたまこの町だったのだ。

 …だが、と。男は走りながら心の中で首を傾げた。


 前に来た時はこんなにも町らしく無かったはずだと。

 住宅街も無かった。駅から降りてすぐの見晴らしの良い公園すら男には見覚えがなかった。


 そしてあの神社すら。

 前来た時にも散々町を歩き回ったはずだが、あんなに立派な神社がこの町に


 男は段々走るのも辛くなってきて、膝に手を置いて息切れをする。不思議な町だ。自分も大抵だと思っていたけれど、その上をゆく存在など容易く見つかるものなのか。


 男は額から顎へ滴た汗を乱暴に拭いてから前に来た時に出会った、親切な“彼ら”を探す為に再び歩き出したのだった。

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