漆話目

 秋彩が戻ってくるまでに終えなければいけない仕事を考えながら、美冬は帰路につく。昼餉は自分の分だけで構わないし、書物の整理も昨日のうちに軽くやっておいたのですぐに終わるだろう。


 そうだ、屏風を干しておいたからその奥の所を片付けてしまおう。

 よく秋彩が変なものを妖怪やら神様やらから貰っては、適当に倉庫に仕舞い込んでしまうので割と散らかっているのだ。優しく聡明で儚げなお人だけれど、結構ガサツな性格をしていると美冬は思う。


 書斎で読んだ本は机に積みっぱなしだし、本棚に片付けてあっても並びはバラバラだし、居間から持ってきた本を縁側で読んだらそこに置きっぱなしだし、…挙げていくとキリがない程、彼は雑なのである。


 そういう所も彼の良い所なのかもしれないが、そこら辺に本を置いておくのはやめて欲しい。踏んずけてしまっては本を駄目にしてしまうからだ。


『よぉっす、美冬! 辛気臭い顔してんな!』


「ああ、土井どいさん。お久しぶりですね」


『そんなに経ってたかぁ?』


「1ヶ月ぶりですよ。今度はどこへ虹探しへ?」


 そんな美冬に声を掛けたのは彼の腰よりも小さい妖怪だ。見た目は小鬼に似ており、顔の上半分を占めている一つ目がぎょろりとこちらを見上げている。顔の下半分には頬にまで裂かれた大きな口がにんまりと笑っている。


『暫くはこの町で羽休めだ! 美冬は相変わらず秋彩に振り回されてんのか?』


「あはは…まあ、変わりなく過ごしてますよ」


 土井と呼ばれた小鬼に似た妖怪の言葉に美冬は苦笑いを零して答える。そうか! と豪快に笑った土井が今度はそうだ、と懐から何かを取りだした。


『ほれ、これは美冬に土産だ!』


「え、これって…いいんですか?」


『この町に顔出すのに、手ぶらって訳にゃぁいかないからな』


 土井が美冬に差し出したのは二本指でつまめるほどの小さなビンだった。そのビンの中には不思議な事に虹が一つ入っていた。


『タマノハラの近くで採れた新鮮な虹なんだわ! ただオイラが材料にすんにはちびっちゃかったもんだから処理に困ってたとこでよ』


「…へぇ。相変わらず綺麗ですね」


『おう! 虹ってやつぁ、いつでも綺麗なもんよ!』


 小さなビンを受け取った美冬はそれを天に翳してみる。

 太陽に照らされた虹はそれでも確かにビンの中にある。美冬はこういうものを見る度に自分が普通では見えないものが視える“体質”で良かったと心から思うのだ。


「秋彩さんにも自慢します」


『おう! あの澄まし顔を崩してやれっ』


「何ですか、それ」


 土井の言葉に笑った美冬はそのままの足で神社に着いた。どうやら土井も着いてくるようで、彼に茶菓子の一つでも出さなければと考えていた美冬の目に、紺色の着流しを着た男が映る。


 今は来客の対応が出来る秋彩が留守だ。

 一先ず用事を聞こうと不思議な風貌をしている男に近付く。


「あの…、」


『……』


 恐る恐る男に声を掛けた美冬に男は無言で振り向くと、そのまま美冬を睨みつけた。


「…神主にご用事ですか? 申し訳ありませんが、神主は只今留守にしておりまして…」


『…に用は無ィ。挨拶してただけだぃ』

「挨拶、ですか?」


 男の言葉に美冬は首を傾げる。

 今神社に居るのは塀や天井に住み着く低級の妖怪ばかりだ。もしやそのいずれかと知り合いなのだろうか。いやしかし、男の周りに妖怪の姿は無い。


 男は美冬の反応に少し溜息を吐いてから彼の後方を指差した。


「え?」


 驚いた美冬が振り向くが、そこには何も無い。

 いや、入口の所で塀の妖と話し込んでいる土井が居るが、特に変わった光景でもない。


「あの、後ろに何、…か…」


 顔を戻した美冬が男に問おうとして固まる。


「……居ない……」


 先程までそこに居て美冬と話していたはずの男の姿がどこにもなかったのだ。そこで美冬ははたと気が付く。

 あの男はきっと人ならざる何かだったのかもしれないと。

 そうして男には何か目的があったのではなかろうかと。


「悪い事しちゃったかな…」


『美冬! 話は終わったかー?』


「土井さん…」


『ありゃ。帰っちまったか。オイラも挨拶したかったんだがな』


「土井さんのお知り合いの方なんですか?」


『まぁな。…難儀な奴だよ、アイツも』


 “も”……?


 土井の言葉に少し引っ掛ったものの、美冬は何となく聞かない方がいい気がして「なるほど?」なんて曖昧な返事をしたのだった。





『じゃから! 滑瓢ぬらりひょん側の奴らがやったに違いないと言うておろう!』


『そういう考えが耄碌しておると言うておるんじゃ。狐族の仕業じゃよて。物事はもうちっと複雑にじゃな・・・』


『まぁええじゃろ。彼奴も秦郡路の元が落ち着くならばいつか戻ってこようぞ』


『『それじゃ次の月に間に合わんから言うとるんじゃろ!』』


 秋彩は目の前で言い争うシワシワの老人達を眺める。

 赤い着物を着た爺様と緑の着物を着た爺様がいがみ合う、その隣には炎を身にまとった虎のような生き物を傍らに座らせた婆様が、爺共を窘めるが特に効果は無いようだ。

 いずれも人ではない何かのようだったが、まあ。今はそんな事どうだっていいだろう。


『ああぁ! じゃからのぉ!』

『手前と話しておっても埒が明かんわ!』


『『秋彩! 手前はどう思うんじゃ!』』


 ビシィッと指を差された秋彩は、零したいため息を呑み込んでから落ち着いた様子で言う。


「爺様達は滑瓢やら狐族が盗んだと言いたいようだけれど、彼らがそんな事をして何になるんだい」


『そ、それはのぉ…アレじゃ、秦郡路の力を欲してのぉ…』


「秦郡路の力? 預かり物でしかない宝石の壺に何の力が宿っているんだい」


『そ、それにアレじゃ、箔が付くじゃろ! 秦郡路が預かった、それも希少なモンじゃ!』


「箔? そんなモノの為にわざわざ秦郡路の物置で盗みを働いたって言うのかな」


 秋彩の冷静な反撃に爺達は何も言い返す事が出来ずに意気消沈してしまった。それを後ろで眺めていた花柄の着物の女は額に手を当てて呆れた様にため息を零した。


『秋彩、お前は誰が犯人だと思っているんじゃ?』


 チーン、と効果音が付くほど落ち込んでしまった爺二人を放っておいて虎のような生き物を従えている婆様は秋彩にそう聞いた。


「僕は人間がやったと思っているよ」


『何!?』『何じゃと!?』


 秋彩の見解に素早く反応した爺共を無視して彼は続ける。


「確かにこの空間は人には見えにくくなっているし、入り込む事も容易ではないけれど。時折何かの弾みで迷い込んでしまう人や魂もいる。そうだろう、秦郡路?」


 そう言って秋彩は後ろの花柄の着物を着た女を見る。

 秦郡路。彼女がこの不思議な空間に鎮座する神社の神主である。


「まぁ、そうだねぇ。そういう事も稀にあるよ」


「それに壺の喪失に最初に気が付いたのは真子だ。彼女は秦郡路の弟子だよ。滑瓢や狐族の霊力を感じ取れない訳がないだろう」


『なるほどのぉ。しかしじゃ、秋彩。人間が迷い込んだとて、何故壺の在り処が分かったのじゃ。そうして人間は何故それを盗んだんじゃ』


「そこまではまだ何とも。だけれど、単独犯でないのは確かだよ。…恐らくはこちら側の…中級か上級の妖怪が関わっている筈さ」


 婆様の言葉に首振る秋彩。

 すると秦郡路の視線が閉まっている襖に向く。


「入りな」


「失礼致します」


 可愛らしい声と共に襖を開けたのは、白装束を着た少女だった。正座を出来るだけ崩さぬまま、湯呑みの乗った盆を先に部屋へ入れ、自分も素早く中に入って後ろ手で襖を閉めた。


「丁度いい所に来たね、真子。アンタに聞きたいことがあんのさ」


「アタシに答えられることでしたら何なりと」


 真子、と呼ばれた少女はそのまま深深と頭を下げる。

 どうやら彼女が先程話題に上がった秦郡路の弟子のようだ。


「真子、君が例の壺の喪失を認めた時、霊力は無かったんだね?」


「はい。壺の気配も無かったものですから急いでお師匠様に伝えに走りました」



「この空間に迷い込んだ人間の気配は感じ取れるのかい?」


「…陰陽師や降霊術師ならば兎も角、普通の人間の霊力は微かなものですので、少し難しく思います」


 秋彩に質問され、頭を下げたまま答えた真子に秋彩は考え込む。そうしてすぐに考えがまとまったという風に顔を上げる。


「ありがとう、真子。充分だ」


「お役に立てたようで幸いです」


 真子はそう言って頭を上げると湯呑みをすっかり静かになった爺二人と婆様、秋彩と自分の師匠の傍へ置く。

 そうして一礼をし、入ってきた時と変わらぬ手際で部屋を出ていった。


「何か分かったのか、“名探偵”」


「止してくれよ、その呼び名。嬉しくないよ」


「く、ふふ…。まあいいさ。お前が分かったってんなら百人力だよ」


「分かったと言っても犯人の目的だけが未だによく分からないけれどね」


 秦郡路に茶化されて秋彩は鬱陶しそうにため息を吐く。

 そんな反応を笑った彼女は真子が置いていった湯呑みを呷る。


『まあ、何はともあれ。

 次の月までに宝石が戻ってくるならば儂等も何も言わんぞよ』


 婆様はそう言ってゆっくりと立ち上がる。

 傍らに座っていた虎のような生き物もそれに合わせて立ち上がった。


「もうお帰りか」


『あとは秋彩が何とかするんじゃろ。儂とて喧しい上の連中の心配を減らす為にここに来ただけじゃ。犯人探しまでするつもりなどないわい』


 意地悪く笑った婆様に秋彩と秦郡路は顔を見合わせて思わずといった風に息を漏らす。

 その反応に対しても笑った婆様は爺二人の襟首を掴んで虎のような生き物の背へ乱暴に乗せた。


『それじゃあの。茶は美味かったと伝えておくれな』


 その言葉を最後に淡い光を身にまとわせて消えてしまった老人達。

 騒ぐだけ騒いで、少し真相に近付いたと思えば全て丸投げして帰って行った彼等に二人は相変わらず自由なもんだと苦笑うのだった。

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