1話-伊勢うどんに想いを込めてβ
ずずっ……という感じはしない伊勢うどんはもちもちとして美味だ。通常のうどんと違って、茹でた極太のうどんにあつあつのツユをかけて戴く。一本一本が大きく繋がっていて、啜るというよりは、食べる、である。
「あんたたち、相変わらずね」熊野はハスキー声で呟くと、す、と席を立った。
「あ、あの」
「あっちの席が空いたみたい。悪かったわね。紗冥は魅力的だからね」
ぐっとうどんを詰まらせそうになった。私は咄嗟で箸でうどんを切って飲み込んだ。
「熊野大使! あんまり紅葉をけしかけないで!」
熊野は優雅に席を立つと、着物の袖を押さえてフフフと笑う。じとりとした紅葉の視線はずっと私に向いたままだ。
――あんただって、この店で楽しくやってるみたいじゃん。
ああ、だめだ。
私はがっくりと沈み込みながら熊野に手を振った。魂寄らいをして、伊邪那岐であったことを思い出しても、わたしのこういう部分は魂ゆえか、変わらなかった。
「あ、すいません」紅葉が小さく応対する声にも私は顔を上げなかった。やがて、カタンと椅子を引く音にどん!と器を置く音。私はのそりと顔を上げる。
「休憩でーす」
紅葉は言い放つと、ふん!とばかりにうどんを啜り……あの太いうどんをずるるるると啜り食べてしまった。
「紅葉、お腹すいてたの?」
無言でずるる~と啜って、両手でお椀を持ってスープまで啜ると、紅葉は顔を上げた。
「ごちそうさまでした! 紗冥ちゃんも食べれば? 美味しいよ?」
「わ、わかってる」
私は慌ててうどんを啜るが、味なんかわからない。紅葉にはまだ伊邪那美の嫉妬深さが残っているのを知っているから。
こうやって、私は紅葉が天命を想い出さないように怯えて生きるのか?
ふと箸を止めて、私は紅葉を見やった。紅葉は詰まら無さそうに机の下で足を組んで、外を見詰めている。
「……戸隠に戻ろうかな」
「え?」
「着物、着られるし。……今の人みたいに高級な着物は着られないけど、なに? 紗冥ちゃん帯くるくるでもしたいの? 根スケベだからね」
「根……?!」
”知ってるよ。あんた、わたしを狙ってるの”
喧嘩をして、魂を封じ込められた時の紅葉が浮かぶ。あの紅葉は憎悪丸出しで、私達は呪符喧嘩をして、本気でやりあった――
「あたしのどこか根スケベなんだよ」
「紗冥ちゃん」
急に名前を呼ばれて、私はどきっとしながら、紅葉を見詰めた。紅葉は薄化粧でもくっきりとした目元のラインをぱちぱちさせて、私を見ている。
いつだって、紅葉は私しか見ていない。
「……伊勢宮さん、寛大なひと? もう結構過ぎてるけど、時間」
あ。
紅葉はにっこり笑うと、「私も休憩おしまい」と私と自分の食べ終えた器を重ねて立ち上がった。
「買い物して帰るよ。御夕飯……は遅くてもいいよね。あと、私、若旦那にうどんの打ち方教わることにしたんだ」
……これだ。紅葉はこっちの気持ちに気付こうともしない。
――その若旦那、確実にあんた狙ってんじゃん。とは言えなかった。紅葉の中には天命のあの数奇的な出来事は一つも遺っていない。生きていくのに不都合な事象は魂が判断して消していく。
それは、巫女の宿命で、二度と悪しき魂にならないようにと兄貴様が施した。
それに、龍神との別れで手放せと言ったのは私。
だから、天命を知っているのは、この世界の崩壊を見たのは私だけだ。
****
「……戸隠の巫女上がりは時計も読めないらしいな。紗冥、神事に使うお堂を全部拭き清めよ」
休憩一時間を一時間35分にした私には、伊勢宮斎王からの罰が下った。お堂の床の水拭きをしながら、私は思慮に費やした。
記憶を持っているいないは関係がないはずだ。
そこから抜け出した紅葉は新しい魂として生き始めた。
では、何故私の魂は「天命」を忘れない?
冷たい水に手を浸しながらも、私はそれだけを脳裏にぐるぐるさせていた――。
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