さくらともみじの話
0話 記憶と想い出
さくらちゃん、いつか、私達結婚しようね♡
うん、もみじ、絶対だよ?
思えば、幼少とはなんと無邪気だったのだろうと私は思う。紅葉はただ愛を振りまき、私はそれを「はいはい」と応えれば良かったのだが。
「さくらー。このマグカップ買わない?」
「え? またお揃い?」
新居を決める不動産からの帰り道である。私達は一風変わった陶器の御店に入り込んだ。そこで紅葉はひと揃えの食器を欲しがり、節約家の私はかなりの判断を迫られている。
紅葉がみつけたカップは、どこか古風で、よく見ると持ち手に翡翠の勾玉がデザインしてあった。
紅葉は昔から想い出を大切にする子だった。
お菓子のようなカンカンに、二人で拾った落葉まで入れてしまう。春の桜はしっかりと押し花にして、しおりに使っていた。
『天命』の記憶、伊邪那美の記憶はすっかり消えているようだが、まだ心の奥にあるのだろう。そう思うと、私は自分だけが取り残された気分になるのだ。
***
「それは、紗冥の考えすぎやろなぁ」
いつでも明るい義理の姉(予定)の柚季はしれっと言ってのけて、伊勢のお茶を静かに注いでくれた。
「考えすぎって」
「想い出っちゅーのは、単に、心を温める暖炉や。そんなん、伊勢の斎王でもそういうで。あんたが、恐れてんのはちゃうちゃう?」
「……まあ、そうなんだけど」
長い髪を綺麗にまとめてはいるが、狐耳は相変わらずだ。本来はあやかしお断りの戸隠神社にあやかし憑きの柚季がいるのも妙な話である。
――あの後。
戸隠神社は覿面に「神道特別区警戒区域」と中央に指定されて、伊勢の管理下に置かれている。その管理庁が「神社本庁・伊勢神宮斎王」なので、なんとか追及は免れたが、伊勢宮稜と、熊野大社の助けがなければ、特別区ですらなくなっていただろう。
「まあな、心配する気も分かるで」
「また、龍が甦る気がして。何しろ、紅葉は伊邪那美の神魂持ちだ。あの強い魂が、消えてしまうというのも」
柚季の顔が近づいた。伊勢の化粧は華やかで、どこか京都に近い。西海の女性ならではの丁寧な筆使いにはうっとり……
(またお姉さん系に見とれて!私みたいのはウルサイんだよね!)
龍宮を見に行っている紅葉の声が聞こえた気がして、私は首を振った。
「本音、言いや。紗冥。この世界で胸に秘めごとはあかん。紅葉ちゃんは無事に黄泉から還ったんや。歴史ももう変わったんや。……あんたのあの神器もよう海に眠った。ぬらりひょんが見とるやろ。うちの勘だと、ありゃ海神や」
――わたしの本音は……
伊勢で魂寄らいを受けても、わたしの魂は最後の一息を吐き出さないらしい。
「せめて、ちゃんと男だったら、この気持ちも消化できたと思うんだ、義姉さん」
頬に熱が上がったのが自分でも分かる。
そう、女の子同士で楽なはずが、私には女ではかなえられない魂の望みがある。
伊邪那岐の時、蛭子を川に流したこと。
それが、伊邪那美を狂気に突き落としたから、こんな風に女性同士になって生まれたのではないかという後悔。
(いや、無理だ。あれは邪念だった……)
鬼に食らわれ続けた紅葉の苦悩はわからないだろう。これは傲慢だ。
「紗冥なぁ」
呆れた柚季が立ち上がった。
「あんた、幸せみえとらんで。そしてな、うちの勘やけど、あんたのソレ、紅葉ちゃん見抜いとるで。その証拠に戻ってきぃへんやろ。あの子なりに、何か憶えておるんよ。辛くてもな」
――だって、想い出だもん。これは、さくらちゃんと出逢った時にみつけたどんぐり、こっちはさくらちゃんと見た帰りに落ちて来た桜さんたち、こっちは……
そういう子だった。
「想い出、欲しいだけやろ。あの子は、全部の想い出が欲しいんや。こんぷりーと、するんやろな。伊勢宮みたいの見てると、ほんまそう思う。人は想い出を集めて仕舞いたいんやなって。そうしてそれを象徴にして、いつまでも持ち続けるんや」
「それで、翡翠の勾玉か……」
「思い入れがあるんやろ。忘れへんもんやで。あんたが大好きなんや。紅葉ちゃんは。うち、言うたな? 性別なんか関係あらへん。その時その時を大切にしいや、と。それは生きている限り、続くもんや」
伊勢宮の傍で歴史と、あやかしを見守って来た巫女なだけある。柚季はしっかりと言ってくれた。
「あんたの想い出は、全部遺したい。心の奥に。そんだけの話や。あんたはまだ受け止めきれへんの?」
***
柚季と外に出ると、懐かしい戸隠の階段に夕陽が差し掛かり始めていた。紅葉の頭にもう尻尾はないが、変わらずに紅葉は階段に座って、留まっている鷹を見詰めている。
「ああ、斎王の見張りやな。たまに遊びに来るんや。うちが悪さしないか、結納まで見張ってはる」
「……伊勢も寂しいんじゃないかな」
「まあな。うち、煩かったからな。やっと本が読める言うてたけど、少しでもそう思って思えたらええな……」
思うと思う、とは言わなかった。斎王の伊勢宮稜には秘密が多すぎるのだ。伊勢にいた柚季にすら本心は言わなかったようだが「私も歴史の主でありたかった」という無念は聞いている。
なぜ、わたしたちが伊邪那美と伊邪那岐なのだろう?
それは、天が決めた「天命」なのかも知れない。
「紅葉」
「んー?」
紅葉はいつものそっけない返事をした。
『想い出が欲しいんや』言葉を思い出して、私はきゅっと唇を締める。
「さっきのカップ、買いに行こうか」
「え? いいの?」
「気に入ったんでしょ。あんた、ずーっと言いそうだから買ってあげるよ」
「らぁっき。なんかね、呼ばれた気がしたんだ。遠い昔、わたしはどこかで、紗冥ちゃんの子を産んだ気がする。その形に似ていたの。生命を現していて、ちょこんとついてて」
私達は子供は作れない。
あの時はごめん、と家庭を作ることはできないけれど。
魂を充たすことはできるだろう。
戸隠に風が吹く。神道特別区の風は、時折心を見透かすように樹々を揺らして、霊気は言葉を遮るのだ。
「……を忘れたくないから」
紅葉の声は聞こえなかった。「ごめん、なに?」「ううん」と紅葉ははにかむと、また積極的に私の腕を取って来る。
「行こ!御店閉まっちゃうよ」
その想い出のマグカップは、使わずに神棚に置いたままだ。でも、紅葉の誕生日と、わたしの誕生日にだけは使おうと思っている。モノには想いが宿る。
そのカップの小さな翡翠の勾玉は私の心に囁き続ける。
***
――『天命を忘れたくないから』と。
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