最終話 紗冥と紅葉の予想②

 くす、とわたしは笑いを噛み殺して、「さ、行こう」と江ノ島窟屋の一番高い岩壁まで駆け上がった。紅葉の手を引いて、二人で鈍色の海を見下ろす。

 小さな突風が吹いて、わたしと紅葉の髪をさらおうとした。

「ねえ、紗冥ちゃん、やっぱり」

 まだ手首の石を外さない紅葉の手首を優しく押さえた。記憶はなくても、紅葉の中では、この勾玉こそが、魂を象徴するものなのだろう。

「紅葉、また新しいの、用意してあげるから。あと、ずっとずっと想い出を大切にしてくれて、ありがとう。もう、いいんだ。新しい想い出を作ろうよ」

 紅葉は目を伏せて涙を零した。それは、魂の奥底から流すような、綺麗な透明な小さな粒で、ゆっくりと海に吸い込まれていく。

「だから、それは龍神さまにお返ししよう?」

「……ん……約束ね」

 子供の時と変わらない。ぐしっと目元を拭って、紅葉はいよいよ手首の八尺瓊勾玉を高く掲げる。わたしも草薙の剣を最後に翳した。季節外れの江ノ島には、人影も少ない。

 夕日が蜜柑色に海を染め始め、鈍色の海も、虹色に近づく。

「せーのっ」

 かなり高度がある場所を選んだせいか、吹きすさぶ海軟風に少しだけ浚われて、剣と勾玉は一緒に海に落ちて見えなくなった。

 これで、海底のイワサカはまたきっと、完全になる。世界を見た赤子と一緒に、龍が眠っていると思うと、まるで海は揺りかごのようにも見えて来る。

 それに、この神器は二度と、表舞台に出してはいけない。それをいってらっしゃいと見送ってくれたおじいさんの真意はわからない。

 わたしたちを「」と告げた。多分、あのおじいさんは……昔のわたしたちと出会っていたのだろうか。

「あ」

 海が大きく口を開け、神器二つを吸い込むように、白く小さな牙を剥いた。

『紗冥、ありがとう』

 波に紛れて、一瞬だけ小さな耀と声が聞こえたがゆるやかに海が飲み込み、消えてしまった。わたしは涙を堪えるも、唇の震えは止められなかった。隣で紅葉が小さく呟く。

「ばいばい」

 ぱっと振り返った紅葉は笑顔だ。

「お土産屋さんいこ。おそろいの、ブレスレット欲しいの。あと、しらすたこ焼きも食べたい。そして、今夜こそ、結ばれたいな。そのために、あたし、生還したんだもん。天命から。紗冥ちゃんを誘うためにね」

 また性懲りもなく、誘い始めたな紅葉。

 もう、魂は紅葉自身で、わたしはわたし自身だ。

「ん、やってみよっか? どっちがどっちかは分からないけど? お互い勝気な鬼無里育ちの巫女だからね」

 紅葉は「ん」と頬を染めると、嬉しそうに微笑み、すぐに「なんで危険区域なのよぉ……」と今度は頬を膨らませた。

 わたしはまだ鬼無里内部にいて、社会事情はわからないが、外の世界からの認定が「特別区」から「危険区域」に下がったと、兄から聞いている。その兄も、父と同様、あまり姿を現さなくなる日も近いだろう。

 頂点の伊勢宮や熊野が他の特別区域に来ること自体、神道特別区制度では異例の事態だったそうだ。互いに干渉し、結託して天命を起こしかねない、とは神道を知らぬものの話だが、何も知らず、天命の言葉に脅かされるより、危険区域でも、意味を知って生きていたほうがいいと思う。

 全てはうまくいかないだろう。大地だって生きているんだから。だからわたしたちは産土神うぶすなしんのもとに、生きていく。

「起きたら、危険区域に下がってるんだもの。別に天命起こした理由でもないのに。でも、紗冥ちゃん、わあわあ泣いてくれて、驚いたけど、嬉しかった。永い永い夢、見てたみたい」

「その話は……うん。嬉しかったから。また、逢えて。ねえ、紅葉。あんたとわたしが……」

 天命を起こしたんだよ。……言葉は言わなくていい。今度は、わたしが一人で苦しむ番だ。紅葉は鬼無里では天命を止めた巫女となっている。それは紅葉が倒れた時に現れた彩雲と、すくすく育った朱鷺のおかげだ。

 いま、戸隠神社には朱鷺がいる。朱鷺とは言っても、彪隠しのほうだ。なぜかそのまま龍仙のいた龍社にいついてしまって、突貫工事で朱鷺の社を作っている。

「なんでもないよ。あんたとはこうなる運命だったんでしょう」

 額をこすり合わせると、紅葉はくふっと笑ってわたしの指に指を絡ませた。

 鈍色の海の理由も、天命の一連も、もうすぐわたしの中から消える予想。

 

 ――どうしてわたしたちは女の子同士なのだろう? 


 確かに、女の子同士のわたしたちには子供は出来ないし、繁栄にはそぐわない。

 だからこそ、もっと、尊いものがある。それは、言霊のように、消えてしまいそうで、でも確かにこの手にある小さな耀のような。

 紅葉の手首に揺れていた翡翠の勾玉の見せるいにしえの幻想と、鈍色の海の回想に苛まれて、泣きたくなる夜。そんな時は静かに自分の裡の声を聴きながら、紅葉に寄り添って行こうと思う。

「紅葉だって咲いていいよね。紅葉、ずっと、ずっと、大好きだよ」

 そう告げると、わたしの愛する紅葉は、心から嬉しそうに笑ってくれるから。

 だから、わたしにとっては桜も紅葉も同じく「咲く」でいい。



 IZANAI神道特別区―鬼無里に咲くさくらともみじ― 了




【タイトル】

▽▲▽IZANAI神道特別区 参考文献と謝辞▽▲▽


【本文】

◇参考文献◇ ※代表的なもの その他一部閲覧あり。


古道を歩く 戸隠神社五社めぐり 信濃毎日新聞社

歩こう神秘の森 戸隠 信濃毎日新聞社

戸隠の鬼たち 信濃毎日新聞社

図説 地図とあらすじでわかる!山の神々と修験道 (青春新書インテリジェンス)

新版 李家幽竹 最強龍穴パワースポット 龍穴には強運のすべてがある!

ニギハヤヒ尊(神尾古代史シリーズ)

神話の続きが《この世舞台》で始まります 復活の龍王【八岐大蛇(ルビ:やまたのおろち)】降臨! 「必ずこの国をもとの神国にいたす」

カラー版 日本の神社100選 一度は訪れたい古代史の舞台ガイド (宝島社新書)

日本の神社研究会

「神社」で読み解く日本史の謎 (PHP文庫)

読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神様の物語

鬼女紅葉伝説紀行 西鬼無里 内裏屋敷跡・加茂神社等 高橋 進

鬼無里への誘い―蘇る鬼女紅葉 宮澤 和穂

現代語古事記 ポケット版 竹田 恒泰

古事記 (岩波文庫)

江島詣 弁財天信仰のかたち (有隣新書84)

伊勢神宮の謎を解く ──アマテラスと天皇の「発明」 (ちくま新書)

伊勢神宮と斎宮 (岩波新書) 西宮 秀紀

大嘗祭の起こりと神社信仰: 大嘗祭の悠紀・主基斎田地を訪ねて




この物語を紡ぐにあたり、数々の図書館司書さまの元、WEB文献ライブラリーなども一部時代考証に使用しています。


この物語には一部フィクションがございます。


大きなフィクション箇所


古事記における本作の伊邪那美と伊邪那岐の成り立ち

八岐大蛇(夜刀神)の剣と草薙の剣の関連性

江ノ島窟屋の海底神社

戸隠山の祠


黄泉世界の形成と呼び名。また、大衆向けということで、実際より描写はソフトにいたしました。

鬼の解釈は、書籍に沿ったわたしのオリジナルが混じっています。



ファンタジーではございますが、一部歴史も混じっております。ご了承くださいませ。


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