5:転生と想いのかたち

*******

「紗冥にも、見せた覚えがないが。こっちのほうが早い」

 龍仙は告げると、すとん、と地面に降り立った。黄金の龍は美しく、背びれを揺らし、光を撒き散らす。わたしは人型の龍仙より、龍のほうが好きらしい。

「綺麗ね。ねえ、乗っていいのかな」

「どうぞ」

 許しを得て、わたしは龍に腰を掛ける。ああ、紗冥ちゃん、龍に乗りたいって言った時、わたしはバカにしちゃったけれど、わたしが龍に乗りたかった。そういう勝手なわたしを、許してくれるよね?

 舞い上がると、世界は真っ白で、綿飴のように編まれているが分かる。高天原に辿りつこうとする人々がたくさん列を作り、歩いていた。

「あれは、現世で生きている人間と表裏一体だ。さて、おまえの心残りを探すか」

 龍仙は高く飛びながら、大きな口を開けて見せる。

「俺にはもう時間がない。自分の目で見て、探し人を見つけろ」

 ――探し人?

 わたしは首を傾げた。龍仙は皮肉に告げた。

「だが、この世界には来ていない様子。おまえの母親は、生きてるという証拠だ」

 言葉は、立派な崩壊を連れて来た。

 いつしかすれ違い続けた母親を想うと、涙が溢れて来る。何も教えてはくれなかったけれど、母は手を繋いでくれた。魂鎮めを破ってくれて……わたしはまた、紗冥ちゃんを好きになれた。

 でも、それは、母が天命だろうが、娘としてこの命を押し出してくれたから。紗冥ちゃんのお母さんとの約束を果たすために。

 わたしたちを出会わせるために。

「お母さん、生きてたんだ」

「こっちのどこにもいないからな。おまえは洞の中で、母親を待っていたんだろう。その感覚は、覚えがある。赤子として生まれた瞬間、産声を上げるその瞬間、早々に世界に起きた、という感覚がする。だから、お早う、とおまえたちは言うのだな」

 ――また、朝を始めるために。今日という世界を拓くために。

「うん、そうだよ。あたし、よく、紗冥ちゃんを迎えに行った。龍仙、鬼無里に生まれて、とても楽しかったの。わたし、鬼無里が好き。紅葉さんの想いも、鬼女紅葉も、呉葉さんも、全部わたしだったから。それでも、伊邪那岐に逢いたいって思うんだよ」

 急降下を繰り返した龍は、境界樹を飛び越える。龍の傍には時間の欠片が流れるらしく、滑空するたびに、誰かの想い出が飛び散っては、消えて行った。

 わたしはそっと胸に手を当てる。

 ――もう、抑え切れない高揚感はない。私の中に、鬼はいない。

 戸隠紗冥に、逢いたい。

 これは、伊邪那美でもなく、鬼女紅葉でもない、霧生紅葉だけの想いだ。涙が横流れになった。魂だけなのに、変なの。ねえ、紗冥ちゃん、今、とっても逢いたいの。

 龍は速度を上げて行く。まるで黄金に還るようだ。「龍仙」声を掛けたが、人型を忘れた龍は、ただ、昇り詰めていく。どこまでいくのだろう。

 中央にぽっかりと空いた耀の洪水が近づいて来て――。

****

『名前は、紅葉にするわ』

優しい声が聞こえて来た。わたしはやっと紗冥ちゃんに逢えると産声を上げ――。

***

「紗冥、元気やったか!」

 戸隠神社である。眠り続ける紅葉を見舞う客は途切れず、龍社を見守っていたわたしは腰を浮かせた。

「柚季さん!」

「すっかり、神様扱いやな。わ、すっごい貢物!」

 伊勢の狐憑き巫女、柚季。しばらく伊勢宮の留守を切り盛りしていたらしいが、伊勢が中央との和解を進めたため、数か月ぶりにやって来た。

「うん。まだ、目覚めないんだ。伊勢宮斎宮や、熊野さんは?」

「稜はもっと倭国を知ると言い出して、お遍路さんや。そんでな、熊野も追っかけていったらしいで。だから、うちも追いかけることにした! あんたの兄貴、うちが貰うで」

「……まだ諦めていなかったか、狐」

 兄、慧介が観念したように姿を現す。

「あったりまえや! 出逢った時からほの字やもん。うちな、めっちゃ頑張るで! そんでな、大騒ぎして紅葉ちゃん起こしたる! 伊勢宮がいうてた。紅葉ちゃんは、これから長いやり直しをするんやて。……ん?」

 にぎやかな狐憑き姐の傍には子ぎつねがわらっと集まっている。

「紅葉ちゃん、動いたで」

「まさか。……生きているだけ、いいよ。巫女だから、魂と戦ってるんだろうけど……」

「いや、動いた。あんたの告白でも、待ってるんちゃうか。この魂、あくどいからな。紅葉ちゃんならありや。戻ってきい、紅葉ちゃん。あんた、このまま祀られてまうで?」

***

 ――こんなとこに、いた。

 いじけて飛び出した紅葉の腕を引っ張ると、紅葉はまた、戸隠山の祠に隠れてしまった。

「大丈夫だよ。から」

 小さな四肢を抱きしめる。幼子同士だから、抱擁は、ひとまわり、小さい。

 何もかもが小さなわたしたち。産まれたばかりの星のように。

 これから、いっぱい、色々知って、進もうね。二人一緒に同じ景色を見ようね。

 だから、これを言わなきゃ。

 小さな胸には、鬼無里の夕暮れの大気をいっぱい詰めて。紅葉に笑って欲しくて。言葉? 言霊? この気持ちはなんだろう?

 呪いも呪術も敵わない。わたしは、この瞬間に、もう術を破っていたから。これ以上の言葉は出なくて当たり前。

「紅葉、あたしと、結婚しよう。ずっとずっと一緒にいよう、大好きだよ」

***

 ――そろそろ起きない? 伊邪那美。神様が呼んでいるよ。わたしたちに、国を創って欲しいのだそうで、どうする――?

 お互いに映る、お互いをまた見つめ合うために。目覚めた時は、好きな人だけが映る 現世と、古が結びつく現在。いつでもかつての、好きな魂に誘われて。

 今、再び出会うために。わたしたちは、また、この世界で出逢うだろう――。

「ただいま、また、出逢えたね?」

 涙声のただいまへのおかえりの言霊は声にならなかったんだ――……。

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