11:御魂遷しの儀

***

「話は聞けたか? 後はこちらが政治の絡みでも、聞き出すとしようか」

「……伊勢宮斎宮は、何を考えて……」

 咄嗟の言葉にわたしは口を押さえた。言うはずがないだろう。しかし、伊勢宮は、はっきりと告げた。

「天命を知りたい。そうだろう?」とわたしにつま先を向けた。

「ずっと神宮として脅かされて来た正体が何なのか、何故、この世界に再びの産土神信仰が必要になったのか。それは天命としか伝わっていない。伊勢の上層部にすら情報はなく、意味のある日本地図が眠っているだけ。しかし、きみたちがこの時代に現れ、三種の神器も揃いつつある今、知るには絶好の機会だ。神宮はいつでも、一番に真実を知り、導かねば。その伊勢が何も知らないとは滑稽過ぎる。いつだって歴史の裏を暴いていたのにだ」

 伊勢宮は、続けた。

いる。我らもそれぞれ、いうなればきみたちを祀ったことで、二つに分かれた術者に過ぎない。有事には、互いの知識をすり合わせるも必要だ。

 ――きみの兄、慧介殿には気を付けて。わたしの予想通りなら、慧介殿は――」

 伊勢宮はそこで言葉を切り、「数百年ぶりに、当主同士の向き合いか」と目線を強くした後、わたしを振り返った。

「悪戯好きの夜鷹が、きみの大切な子の簪を咥え、伊勢の外に出て行って、そろそろ戻ってくる頃だよ。きみが、聞いた話をするかしないか、どう動くかは紗冥、おまえが決めろ。わたしはきっかけは充分に与えた。少しずつ、目覚めてはいる。いつだって、奮い立たせるのは、自分自身の意識だ」

 空気が撓んだ。嫌な夜雨の降る音が神宮にも厳かに響き渡る。わたしはただ、その音を聞いていた。同じような雨を知っている。全てが「既視感」を纏わせて、足元にひたひたとやってくる感覚は、身震いを起こすほど、寒く、凍えたくなる恐怖だった。

「――わたしだって、知りたい。天命とは何か。伊勢宮斎宮」

 斎宮は静かに振り返った。穏やかな顔の中に、白い焔を視えたは気のせいではなかった。

「紅葉に、あの黄金の龍を見せてもいいですか? 二人で国生みをしたならば、なにかが反応するかも知れない。紅葉は強い子で、何より、一緒に感じたいんです」

「部屋には、八咫鏡がある。霧生紅葉の翡翠、きみの剣、八咫鏡が数千年ぶりに顔を揃えた時、何が起こるかわからない」

 ダメか……と思った瞬間、福音のような声が降った。

「しかし、ここは伊勢神宮だ。彼の自由を損なう場所ではないのでね。何者かが、きみたちの神魂を神器に封じ、ずっと見張っている。その封を解けるなら、天命が呼び起こされても不思議はない。――俺も、そうありたかった」

 斎宮は拳を震わせて、わたしを静かに見る。

「なぜ、神宮たる身分のわたしは、天命に関与せず、怯えさせられているのか、口惜しい。だから、きみたちの助けになろうとしたのは、単なる「黄泉醜女」の伝承だ。歴史の表舞台には立てない、権力者など猿以下だろうに」

 柚季が「斎宮は何を考えているか、分からん」と云った意味がわかる。伊勢宮稜は、ただ、知りたいと言った。数多の人間が知己を欲して、何かを追い求めている。伊勢神宮の斎宮は、こんなにも、人間でしかないことに、苦悩していた。

「戸隠紗冥、かつて、倭国には、違った神が居たらしい。日本書紀たる書物には、すでに龍がおり、神社でも龍社が多く遺っているが、最初に倭国に降りた神は龍ではなかった。なのに、どうして、地図は龍の姿をしている? 鬼は、鬼無里はどうして出来た?」

 わたしは固唾を呑む心地で、斎宮の話に耳を傾けた。

 どうして、かつての日本と呼ばれた島国だけが、龍の輪郭をしているように見えるのか。

 鬼の無い里なのに、どうして、皆は鬼になるのか。紅葉に感じる迷いはどうしてか。

「紅葉と、考えます」

 母が伊勢へと二人を送り出したこと、謎めいた海底の磐境、遺された神器の祭壇に、口をつぐんだ龍仙――……

「まさか、鬼無里と戸隠が関係しているんですか? 天命の全てが揃って……」

 ――もう時間はないんだ、きっと。

 わたしは驚強いほどの差し迫った終末とも言える気配をようやく感じ取った。

 夜空は歪曲して、雨を降らせている。この世界は、何かに包み込まれ、操られている。本来視えなかった世界の狭窄感は嘘ではない。世界は加速しているといっても大げさではないだろう。 

 わたしも紅葉も、もうただの女子高生でいてはこの先は弾かれてしまう予感がした。

巫女として、神託を告げる気分は、まさにこの時のわたしだった。

「天命が、来るのかも知れません」

 伊勢宮の表情は、形容し難いものだった。待ち望んでいた現象を飲み込む様な……。

『伊勢の陰謀』熊野の言葉を噛み締めたその時、伊勢宮は変わらずの流暢な口調で告げた。

「世界は、何度も壊れていると聞くからな。我らが本当に、最後の世界に生きているなら、節目。まさに天命の凪だ、神でもなく鬼でもない。ただの人間としての興味だよ」

 わたしたちにはそれ以上話す事項はなかった。

 伊勢宮は斎宮としてではなく、ただの伊勢宮稜として想いを吐き出し、わたしはその言葉に魂を響かせられたのだから。やはり、伊勢宮は普通の人間ではないのかも知れない。

「覚悟が出来たなら、夜鷹を呼び戻そうか。霧生紅葉もついて来るだろう」

 簪を追いかけたまま、消えた紅葉を思い出した。

「ふふ、樹々に止まらせたから、一生懸命声をかけている。なんとも愛らしい娘だ」

「紅葉をどうして遠ざけたんですか?」伊勢宮はわたしの問いにふっと口端を緩めた。

「きみに甘えさせないために決まっている。霧生紅葉がいると、きみはどうも、する。無関心型 (無自覚型)oblivious type から過敏型 (過剰警戒型)hypervigilant typeへ移行する。それも霧生紅葉を利用して。自己愛は誰しも持つものだが、制御できていない。だが、きみにはもう、その心配はいらないだろう」

 伊勢宮は今までになく、優しい口調になった。

「きみは、過去の妄執に向き合い、それでも霧生紅葉を遠ざけたりはしなかった。憤ることがなかった? それは怒りの方法を知らないだけだ。それをきみは、霧生紅葉を通して発散していたんだ。幼稚だろう?」

「はい。自分の感情を、全部紅葉に預けてしまって、反省しています。前世、わたしは紅葉を何度も殺していた。――だから、この時代では……ちゃんと気持ちを伝えたい」

 伊勢宮が腕を伸ばすと、やがて羽音が聞こえて来た。立派な夜鷹と、ずっと追いかけていたらしい紅葉の足音。久しぶりに紅葉を見た気がした。

「も、なんで、あたしだけこいつと追いかけっこしなきゃなんないの! 以前人食い鷲だって言ったこと、根に持ってんでしょ! ごめんなさいってば!」

 紅葉はむくれて夜鷹に文句を告げ、夜鷹とにらみ合っていた。

「お疲れ、紅葉。少し濡れてるよ」

「小雨の中、走るんだもん、こいつ!」

 紅葉はぱたぱたと乱れた頭を撫でると、わたしに微笑みかけた。微笑み返すと、またわたわたとして、手なんかを振る。

「霧生紅葉、戸隠紗冥、ついて来い」伊勢宮の声に、紅葉は「ここ、寒いから嫌」とぷいと顔を背けて見せるが、伊勢宮の鋭い視線で「はぁい」と返答した。

「きみたちは、天命を起こすべきだ。そこまでしても、紗冥の魂が目覚めないならば打つ手はないが、熊野がきみたちに託すというなら、わたしも懸けてみようか」

 伊勢宮ははっきりと声を響かせ、そばにいる数名に聞かせるように指示をする。

「数千年ぶりに、伊勢に、三種の神器が姿を露わに、揃うぞ。兼ねてからの伝承を、最後の斎宮として許可しよう。伊勢は元々別格の神宮だ。全て隔絶した世界にある。熊野にも協力して貰おう。伊勢と熊野、合同で御魂遷しの儀を執り行う」

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