10:それが、神職というもの

「……紗冥のほうかな」低い声に、扉を開けると、柱に両手を括られた熊野の姿があったが、短髪である。「くだらない姿を剥いだまでだ」と伊勢宮は興味なさそうに告げ、「きみに話があってやって来たそうだから」と場所を譲った。

「この椅子に座るといい。私は少々外そう。神宮は例え天敵でも、平等に接する。客人に変な真似をすれば、預かった三羽は焼き切る」

 ぞっとするような台詞の後、斎宮は本当に出て行った。わたしと、熊野だけになった。

熊野は「驚かないわねえ」と相変わらずの口調で、「これが平等?」と柱を軋ませて見せた。

「わたしに、話があるんですか? ちょうどいい。わたしも聞きたいんです」

「アラ、紅葉ちゃんとあたしの関係?」

「伊勢の陰謀」一言でまとめると、熊野は驚いた表情になった。

「あんた、落ち着いたわねえ。どこか冷めていて適当だったのに。伊勢はね、何か大きい事を企んでいるのではないかって話。まあ、資金もあるし、政財にも強い。古来から政治の裏に絡んでいたとも云うわ。でもねえ、それを怖れる組織があるわけよ」

 熊野は化粧を施した美人顔をわたしに向ける。

「あたしは、その陰謀を探るために、あんたたちに近づき、教えなきゃならないことを伝えに来た。伊弉諾と伊邪那美のお話、もう分かってるんでしょ? あんたの魂が起きないわけを伊勢宮は分かっていて、言わないのよね。そして、この話をあたしがするまでも、織り込み済み」

 ……やはりか、とわたしは静かに顔を上げる。女子力のある手入れされた目がわたしを捉え、瞬いた。

「あんたたちに、命運を懸けるわ。あたしは黄泉では土蜘蛛という名前を継ぎ、伊勢宮は黄泉醜女としての名を継いだ。伊邪那美神を信仰する熊野、伊邪那岐を信仰する伊勢、すでに対立は続いて疲弊しているんだ」

 わたしは前のように、驚いたりはしなかった。むしろ、伊勢宮は代わりに熊野に語らせ、わたしの魂の目覚めを仕組んでいるのではないだろうか。

「紅葉が、やたらに八咫鏡を見て怖がるのも、わたしが剣が怖いのも、理由があるんですか?」

 熊野は目を細めたが、両性持つ妙な迫力に、わたしは押し黙りたくなった。

「全ての生きざまには理由がある。その剣、元々は熱宮神社にあった。ご存知かな? そして、紅葉ちゃんが気に入ってるあの翡翠は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。八咫鏡だけが本物として、現象化していたのよ。その剣、抜けないんでしょ」

 熊野はくくっと笑って「抜けるはずがない」とさも可笑しそうに笑った。

「その剣にはね、三つの呪術が掛かっているの。一つは、鬼女紅葉の呪い、神武天皇の呪い、そして、伊邪那岐の呪い。――一つだけ、教えるよ。その剣は、紅葉を狩り、あんたは巡り合う度に伊邪那美を殺し続けた。その剣が元凶なんだよ。うちは伊邪那美を祀っているから、知ってる闇の伝承だけど」

 途中から男の声音に変わった熊野は、悪魔のような目になった。

「とある魂鎮めで、あんたの運命は不運と凶事の環の中に引きずり込まれるようにさせられている。しかし、その円環に抵抗したために、あんたは魂が瀕死になった。――これをわたしたちは伊邪那美と伊邪那岐の呪いと云い、別れて弔って来たんだ。「千人を殺し」「千五百の産屋を立てる」。黄泉での大ゲンカで真っ二つに分けた呪いは、続いているんでね。決してお伽噺ではないんだ」

 息が止まりそうになった。

 紅葉の言葉を思い出す。

「わたしたち、どこにいるのか、見る術も知る術もないんだよね。戸隠・鬼無里の地形すら知らないのよ。それなのに、色々な時代は流れて、必ず紗冥ちゃん……」

「わたしを、殺すの。ぐるぐるぐるぐる……わたしはその度に逃げて、でも、殺される。必ずよ? 何度も何度も」

「今度は、止めてね。だからわたしたちは、女のコ同士で良かったの。ひとつにはなれなくても、殺されることは、ない。こんな風に、ちらちらと断片が過ぎり続けたわ。だけど、私は我慢したよ。だから、今度は、紗冥ちゃんが頑張る番だよ」

「まさか、紅葉は知ってて……?!」

「涙ぐましい話よねえ」と熊野も涙声になった。ウイッグがあれば、美麗なのだが、どうも……。構わずに熊野は言葉を考えながらも紡いでいった。

「いつもいつも、願っていると思うわ。今回は、殺されない。大丈夫。だから、信じよう。大丈夫。だって女のコ同士だから……と。流石の伊勢の冷徹も、困惑していると見た。確かに、あんたたちは危険だ。でも、思ったの。危険なほど、紅葉ちゃんがあんたを求めているなら、その力が助けになるかも知れないわよねえ。この世界には危険が迫ってるわ。伊勢の八咫鏡は割れ続けている。何かが起こるのよ。それは、貴方たちの出生に酷似している。それでも、紗冥ちゃんと呼び、紅葉と呼ぶ。子猫のように慈しんで来たあんたたちなら、乗り越えられると思った。抗うならば、命を助け、信じる。それが、神職というものだから」 

 熊野は振り切った声になった。

「アタシは本来は中立で、貨幣特区とも繋がっている。伊勢の陰謀を暴く役目にあるわ。でも、土蜘蛛としての此処まで続いた何かが叫ぶの。伊邪那美を救うべきだと。あんたに掛けられた呪いは、強固で、この時代まで効力を発してる異様な恨みよ。覚えがあるでしょう? あんたが恨んだその人物」

 恨んだ、その、人物。

 脳裏で音がして、なにかがザラリとわたしの記憶をどろどろの形状で押し返した。

 言われるまでもなかった。兄、慧介への言葉にならないほどの、解放された憎悪。わたしは、やっと、兄への恐ろしいほどの憎悪を理解した。それは過去に何度も感じ、何度も振り切った感情だった。紅葉には知られたくない、どろどろした、なにか。

 紅葉と婚約したと聞いた時の、血の沸騰するような、生々しい怒りや、それを鎮めた自分の冷徹さ。それが全て何等かの「神魂」が作用していたなら理解もできる。怒りや恨みは神の領域だ。

「わたし、兄が怖くて、兄を死ぬほど恨み慣れている。それだけは理解できたんです。だから、好きなだけ、兄を恨み、時には……でも、それが何かを呼び起こしているんですか?」

「いやぁな封じられ方よねえ……あんたたちは、親子だったの」

 ――親子?! 驚くあまり、言葉が出せなかった。

「後は、思い出せばいい。憶測でしかないわ。あたしの自慢のエクステウイッグ、取り返してよ」

 熊野は柱に寄り掛かったまま、がくりと首を下げた。術者は精神疲労が並大抵ではない。

「兄貴さまと、親子……? では、どこで」

 あっけに取られている背後で、扉が開いた。割れた青竹を持った伊勢宮の姿にわたしは閉口した。伊勢と熊野ほどの大きな規模の神社に、戸隠の自分が口は出せない。

 無言で部屋を出て、鳴り続ける青竹とうめき声に、耳を塞いだ。

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