8:……龍。
「あの、紅葉はいつも通りでさ……むしろ、わたしの悪しき魂も目覚めてしまった結果で」
「いや、あんたらがいちゃついて巧い事やって、爆寝してたら、大変やったで。突かれて終わりやろ。どうせ呪符や、燃やしたる!」
柚季は折り畳んだような扇子を降ると、指を直角に構え、鴉の大群に向かって放った。
ぽ、ぽぽ。と蒼い火がいくつも白い焔を纏って、宙に浮遊する。
「さーァ。狐神姉ちゃんの、こわーい鬼火やで。呪符だけ燃やすわ。あいにく斎宮は祭祀中や。出てこんかい! うちが相手になったるわ!」
鴉の大群が引いた。柚季は指で鬼火を操り、「そこやな」と鴉の集団に一矢投げ込む。
「おひさ」と窓の向こうで、鴉色の目と、髪が揺れて、相変わらずの短いスカートに、巫女着物の熊野奈津美はひらひらと手を振る。紅葉が鼻にシワを寄せた。
「……まさか、見てたの? 今の……」
熊野は妖艶に微笑んだが、鴉のお姉さんの正体を知ったわたしの心はどうやら揺らがない様子だ。スカートが捲れないことを祈りたい。悪夢は一度でいい。
そんな一瞬のよそ事が隙になる。一羽の鴉がわたしと紅葉の間を突っ切り、鴉の大群は紅葉を取り囲んだ。
「室内に入るなや! 燃やせへんやろ!」
「まあ、お宮さんで鬼火はないものねぇ……」
紅葉の前で、熊野はにこ、と微笑むと、紅葉に向いた。
「見てたわよ。こっちがドキドキしながらね。最後まで行っちゃうかもしれないいいムード。でもねえ」
鴉のお姉さんこと、熊野は一層の覇気を呼び寄せ、呪符を構えた。強いなどと言葉では言えない。伊勢の斎宮か、それ以上の神通力のパワーが空に渦を巻いている。
「それは認めらんないの。熊野としても、世界としても。伊勢の陰謀に加担させたら、天命起きちゃうでしょうが」
「ごちゃごちゃ言うとらんで、怪我しても知らんで。伊勢の陰謀って何やねん。いくら綺麗な姉ちゃんでもな、結界ぶち破るっちゅーのは、礼儀がなってないんちゃうか? こら、聞け。熊野大社の代表が聞いて呆れるわ!」
熊野は柚季を無視して、紅葉の手を取り、手の甲に口づけたところだった。
動きも早い。紅葉はぱちくりとしている。
「ごめんね、伊邪那美女王。気持ち、わかるわよ? でも、それだけは認めることが出来ないの。でね、……うるっせえなあ、この女狐!」
美女の呪符遣い同士がにらみ合い、わたしは紅葉を取り返して背中に庇う。熊野の呪符は土、柚季の呪符は火だ。どちらも室内では使えない。
「誰が女狐や?! このアバズレ鴉! 呪符を取り返しに来ても無駄やで。伊勢宮が持っとるからな。三羽の鴉はそれぞれ隠されておるわ。二人を邪魔する鴉は、羽毟って、丸焼きや。伊勢宮稜に見つかっても知らんで」
ぼそりと呟く紅葉を後目に、わたしは熊野「女史」に向き合った。
「伊勢の陰謀って言いましたか」
「紗冥ちゃん、耳貸すな!」
熊野はふふん? とわたしに向いた。「言ったけど?」と呟いて、紅葉の手を離した。後で、「さすが」と目を細めて、庭を囲んだ人の群れを見て、肩を竦めた。
「こっちは、伊勢のような集団じゃないわ。熊野大社の生き残りは、既にあたししかいないのよね。分かってて、イジメちゃう? 伊勢の斎宮は飛んだ加虐趣味がおありの様子」
伊勢宮と、数名の陰陽師の姿が見えた。
それでも、熊野のパワーは留まる術を知らなそうだが、伊勢宮の呪符が渦を割った。渦は瞬く間に鏡のように凝固して、飛び散った。
「強……い! なに、あれ、風水の術じゃないわ」
「時間を固めたんや。伊勢のお家芸やで。鏡面淦術や。あんたらの魂への干渉も、斎宮は時間を操ってるん、それが隠し玉やな。時空も時間も、斎宮は触れられる。龍と同じやな……伊勢の氏族は龍に造詣、あるんやで」
……龍。聞いた覚えはあった。龍は唯一、時を泳げる生物だと。実態はなく、それでも霊体として生きている。九頭龍仙や、龍穴の彪隠したちを思い返した。
無慈悲な声が響く。
「――とらえろ。客人に何をしてくれたんだ。紅葉、紗冥。……惜しかったな」
最後の言葉に疑問を憶えつつも、わたしは熊野の意味深な表情に、考える。
熊野は、こうなることまで織り込み済みだったのではないだろうか。伊勢の陰謀。たった五文字がこれほどしっくりくるも、恐ろしかった。
「熊野大社も昔は大きい神宮組織だったんやで」
熊野が連行されて、辺りは静まり返った。柚季はまたわたしたちのそばにやって来た。
「伊勢宮の幼少の話やけど、天命にかこつけた神宮騒動で、両方とも、痛手を負ったんや」
日本地図の前で、伊勢宮は、幼少に匿われた話を確かにしていた。紅葉にとっては初めての話題で、紅葉は興味深く傾聴していた。
「それでも神社経営出来るモノですか?」
「伊勢はな。規模が違うわ。伊勢神宮は神社本庁の本宗やから、式年遷宮では政財方面と神社方面を総動員して資金を調達するんや。新興勢力の明治神宮特区、異端であり、勅祭社の出雲特別区、叛乱分子たる伏見稲荷、独自の京特区。伊勢の組織は伊勢宮を頂点にして、500人、うちは楽師扱いや。熊野の資金面がどうなってるかは、分からん」
柚季は続けた。
「伊勢宮はどんだけ狙われたか知らん。そんでも、あんたらを助けたい一心で、鬼無里に行くと言い出した。熊野が見つけないはずはない。そんでも、あんたらを受け入れる。それが、伊勢の強さやで」
紅葉がぺこりと頭を下げた。
「神宮の中では、誰もが平等や。神道特別区の考えは分かっとるやろ。その平等は、斎宮がもたらすもんや。――熊野の拷問に立ち会うんで、うちはこれで失礼するわ。いちゃつきでも好きにしいや。もう邪魔ものはおらんから」
わたしと紅葉は顔を見合わせて、互いに目線を逸らせ、また交した。熱燗が醒めてしまって、香りが飛んだ日本酒気分だ。
「わたしたちも、立ち会えないですか。ご、拷問というか、熊野が気になって」
「斎宮に聞いてみるわ。まあ、女性相手なら、そう酷くはならんだろうし」柚季は気づいていなかった様子で、スタスタと消えたが、またすぐにわたしたちを呼びに来た。
「伊勢の外宮に繋がる離宮まで、歩くで」
規模が大きい伊勢はまるで異世界だ。神宮、というより世界だった。紅葉と揃って神宮の屯所に顔を出し、通過許可をもらうと、わたしたちは伊勢の最奥に進む。柚季が足を止めて、わたしたちを同じく神宮の神職に引き渡した。
「狐憑きは入れませんので。いくら伏見稲荷の系列でも。お名前は聞いております。斎宮は奥にたどり着いていらっしゃいますが……」
わたしはその場所に見覚えがあった。魂呼らいの最中に、八咫鏡を見に入った部屋に近い。あの奥には何があるのだろうと思った。
「寒い」紅葉がぶるぶると震えて、手首を押さえ始めた。八咫鏡が近くにあるからだろうか。早く紅葉も開放してやりたい。それには、わたしがいい加減に魂を起こさないといけないのに。「伊勢の陰謀」と口にした熊野など、気にしている理由は不明瞭で、部屋の前で震える紅葉を抱きしめるが精々だった。
「その部屋、あんたの苦手な八咫鏡が置いてあるの。本物らしくて、その下にね」
会話の途中で、夜鷹がやって来て、紅葉の頭に止まった。するんと簪を咥えて飛び去る。
「やだ、もう、待って~~~」
「ちょっと、紅葉!」
「あの簪、お気に入りなんだもぉぉぉん――……」
夜鷹を追いかけて、紅葉は反対方向に走って行き、声が遠く伸びて消えた。
ほっとしながらも、わたしは拳を握りしめる。
「霧生紅葉には、見せぬほうがいい」と告げた斎宮の仕業だろう。魂鎮めと云いつつ、紅葉の記憶を確かなものにしたり、魂呼らいに尽力したり。まるで気まぐれな斎宮、伊勢宮稜の本心は誰にも見抜けない。
「すいません、騒がしくて」
「その部屋になります。わたしたちはここまでです」
冷ややかな伊勢の神職に頭を下げると、わたしは扉を開けた。二重になっているらしく、障子があり、板張りの廊下に続く。最奥に、格子が見えた。
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