7:悪しき魂

 わたしの手は次々とモノを放り出している。

 それは突然に訪れた自分の中の嵐だった。すべてが煩わしくなったわたしは、自己コントロールが不可能になっていた。全てが壊れるものだと思えば思うほど、破壊衝動は激しく裡を攻め立てる。「荒れてるなァ」と紅葉はわたしが投げた座布団を拾って、ぽふんと座って見せた。伊勢で買ったらしい、シフォン生地のワンピースの裾がふわりと広がる。

「思い出せなくて、イライラしてるんだよ、放っておいて」

「やだな、今頃反抗期? ずっといい子ちゃんだったもんね?」

「いい子ちゃんって……」

「ちがう?」

 膝を立てた紅葉に微笑まれて、わたしはむっつりと口をつぐんだ。

「あはは、だんまり」

 紅葉はどこまでも、わたしに合わせてくれたが、身勝手なわたしはそれさえもイラついていて、時間があると、斎宮に頼み込んで撮って貰った地図の写真を見詰めて過ごすようになった。明るい自分はどこかに隠れてしまって、口数も減った。

 わたしは突然変異のような心底の怒りをどうしていいか分からず、抱え続けていた。抜けない剣も、思い出せない自分も、古代の浸み込んで来る重さも、人の流れも、魂の意識さえも。何かを言えば、紅葉を傷つける。既視感のある後悔を決して見せないように。

 寝ていても、寝ていない。まるで背中に重すぎる鎧を自ら背負う如くに。

 紅葉が先に、匙を投げた。

「やっぱり、鬼無里戻ろ。いいよ、思い出さなくて」

(そのたった一言が、きっかけだったとは思わない)

(でも、紅葉は、本気でわたしを想い、背中に抱き着いて来た)

「辛そうな紗冥ちゃん見てるの辛いんだよ」

 ふよんとした膨らみの感触を背中で感じながら、わたしは首を振った。

「バカ言わないでよ。絶対に思い出してやる。この剣だって、使いこなしたいんだから」

 もやもやを再び紅葉にぶつける度に、それは花火のように、虚空に消える。

「だって、どんなに、辛くても。あんたとのことなら思い出してこそ……でしょ」

 まだ、紅葉に好きとは言えない。それでも、わたしは微かな進歩を感じ取ることができた。少なくとも、もうわたしは逃げはしない。何を隠そう、逃げ続けるわたしを、わたしが一番軽蔑していたことに、目を向けられるようになっていた。それが魂呼らいの成果なのかも知れない。

 絶えず、わたしたちは魂の声を聞こうともがき、生きている。その声が聞こえると、瀕死の魂が少しずつ息を吹き返していく感覚は、確かにあった。

 ――と、背中に紅葉の頭がすり寄って、こつん、と落ち着いた。

「惚れちゃうよ? しーらない」

「もう惚れてるくせに何言ってんの」

「そうでした」

 自然と出るやりとりに、好きも愛してるも含まれてはいなかったが、わたしたちはわたしたちを透明にして、深く結び合うことが、やっと、出来た。

 自然に体を重ねること、腕を回して、互いを抱きしめ合う行為、頬を摺り寄せて、魂を預ける行為を繰り返す。まるで、動物の接触愛と、親愛行為のように。

 わたしたちは座布団の上に倒れ込んだ。

 紅葉は恥じらって、ワンピースを捲れ上がらせると真っ赤になった。

 膨れた頬をつついて、わたしは窺いを立てる。

「やりかた、分からないから、心のまま流れに乗る感じなんだけど」

 紅葉はくす、と笑って、「イザナイなら任せてよ?」と片目をつぶる。

「そうだったね。あんたのほうが、誘惑、巧いんだった」

 紅葉を抱きしめると、不思議ともやもやも、苛立ちも、消えて行く。体内を探るように、手をそっと紅葉に這わせる。

 ――思い出した。わたしはいつだって、紅葉に、こんな風に触れてみたかった。

『ね、おむね、見せっこしない?』

 そう言われた時から、今は持っていない雄の象徴をそそり立てて、紅葉を欲しがっていた。嫉妬の影で見えない隠身――カミ――は無償の想いなんかじゃない。あさましい欲だ。

「やっぱ、言葉、出ないんだけど……伝わるかな」

 紅葉をこすりたい一心で、わたしは泣きそうな頬をそっと撫でる。女性同士でも、異性でも、自分でも、他人でもあるような、一体感を求めて欲を突き立てあうのは、泣きそうに切ない。そして、わたしたちは共に受ける側の肉体を持っている。

「あたし、初めて、なの」紅葉は天然の恥じらいと誘いを織り交ぜて、頬を紅潮させてみせた。少し開いた唇を撫でた瞬間、頭が真っ白になりかけて――

 全身が心臓になったみたいに、全ての細胞と感覚が、粟立つ。

 口付けは既に超えている。その先へ行かなければ。紅葉だけにこれ以上、頑張らせてはなるものか、と思う異様な高揚感と使命感に燃えた瞬間、手が紅葉の突起に触れた。 

「ん」と紅葉はその手を下腹部へ持って行く。

「……真似事になっちゃうかも知れないけど、いいよね」紅葉は身をよじり、薄く口元を開いて見せた。わたしはゆっくりと、紅葉のワンピースをたくし上げて、しっかりした膨らみを露わにする。

「……ん」

「見せてもらおうと思って」

 紅葉は目元をいよいよ赤くしたかと思うと、じっとわたしを見上げて来た。勢いでばっと脱いで、上半身を近づけた。

「あんたが小さいころから、イザナうから。これでいい?」

 紅葉はごくりと咽喉を鳴らして、わたしの膨らみを手で掬い上げた。静寂の伊勢の障子を月が忍び込んで白く染め上げる。わたしたちの影は、重なり合った。

(この時、わたしたちの動作は、ぴたりと合っていたと思う。お互いを欲して、お互い涙目になって。どうなるのか分からない衝動に溺れて。二人の手から生み出す高揚感に酔いしれて、互いの手で、互いに胸を揺らしていた)

 ――と、腕を回していた紅葉がちらりと窓に意識を向けた。

「なにか、気になる影が」

「集中して。恥ずかしいんだよっ……え? 影?」

 紅葉はいつものように、無言で窓を指す。そこには、無数の鳥の目がこちらを向いていたのだった。

 ……そうだった。いつもいつも、わたしたちには邪魔が入るのだ。先ほど抑え込んだイライラの集大成をぶつけるように、わたしはがばりと起き上がった。

「いい感じだったのに! また夜鷹でも飛んだ?!」

「あは……」

 紅葉は苦笑いを見せて、一緒に沈み込んだ。

 いきり立った胸も少し小さくなってしまった。

「……キスくらい、しようか。紅葉」

「キス?」

「記念に……」

 ふしゅん、と逃げた恋の風の後の言葉は空しい。変に盛り上がっていたから、よけいに恥ずかしくて、わたしは紅葉にあやふやな提案をした。唇と唇をくっつけるくらいがちょうどいい気がしたからだ。

 好きな相手に触れて、幸せにならないはずがない。触れて感じるなら、それはきっと紅葉を好きな証拠。言葉なんか探さなくていい。

「記念……ってそれ、言い訳だよね? ふふん、紗冥ちゃん真っ赤」

「うるっさいな、もう! あたしは照れ屋なんです!」

 また蜜月の雰囲気。しかし、窓が軋んだ。かと思うと、無数の黒い羽根が一帯を覆いつくした。

 否応がなく中断させられたところで、どたどたとした足音に、襖に尻尾の影が映った。柚季だ。ッパァンと襖を吹っ飛ばした。咄嗟でわたしたちは驚きながらも、触れ合いの姿勢で柚季を迎えた。

「紅葉、紗冥! 熊野の急襲や! 伊勢の結界までどうやって……! ってあんたらなにやってたん!……いや、その……うち、見てはならんもんを」

 紅葉は慌てて乱れた肩を直し、柚季は把握して、ぽかんと口を開けてしまい――。

「しょ、しょうがないでしょ! あたしの悪しき魂ちゃんがね! なに、あの鴉たち! いっつもいっつも邪魔してええええええ、今夜こそと思ったのにぃ!」

 泣き叫ぶ紅葉を腕に庇って、わたしは柚季に向いた。

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