5:今はこれが充分な
部屋に戻ると、紅葉はぱっと顔を上げて、「思い出した?」と擦り寄って来た。わたしは苦笑いで、涙を振り切った。
「そんなに早くは思い出さないから」
「そっか。あたし、待ってるね。あたしの相手は紗冥ちゃんしかいないもの。いつ? いつまで独りぼっちで待たなきゃならないの?」
しょんぼりする紅葉の手を掴んだ。あたたかい何かがじわりとやって来る。
「でも、絶対、紅葉と一緒に頑張れるようにするから。柚季さんが告げた、「あんたは紅葉ちゃんに甘えて貰って甘えてた」意味が分かった気がした」
「甘えてたの、あたしでしょ。でも、止めないけど?」
魂が瀕死のわたしは、紅葉の無垢で無償の愛にどれほど縋っていただろう。羨ましいと思うほど、どれだけ紅葉にドロドロしたものを抱え、知らず向けていたのだろう。
やっと、こみ上げる。そう感じた時には、声は震えていた。
「ごめ、紅葉……度胸がないんだ、わたし。あんたの前で、泣けやしなかった。でも、もう、いいよ、ね」
「珍しい……そしてね、嬉しい」
「嬉しい? 涙とか、洟とか垂らしてるのに。それまで好き、とか言わないでよ」
「言うかも。ウフフ、危険? 今日はあたしが、ぎゅーするね?」
紅葉は頷いて、ぐちゃぐちゃの顔のわたしを抱きしめてくれた。莫迦で、意気地なしで、どうしようもなく欲深で、臆病な魂ごと包み込むように。それはまるで、女神に抱かれた赤子の産声の気分だった――。
夜、手を繋いで、宿で横になった。用意して貰った浴衣は肌になじまず、どちらともなく脱いで、手だけを出して繋いでいる。素肌に擦れる毛布は優しく、わたしは時折目じりから滴を流し落とし。いつしか、眠った。
夢はエンボス加工されているように、ざらざらとしていた。壊れた映像器のようなかすれ具合で。色も薄い。自分だけが透明で、どこにも居つけずに、浮遊し続け、わたしは塵芥なのだと知った。一つに集約する世界に、数多の想い出が結ばれている。四方八方に伸びる魂の糸は、縦横無尽に絡まり、がんじがらめにして、飛べないようにする。
大きな注連縄に囲まれた世界の樹々は全てがさかさまで、赤い滴をひたすら垂らしていた。拳の温かさだけが救いだった――。
初めて引きずり込まれた感覚の魂のドロドロの眠りから覚めると、紅葉は布団を蹴飛ばしてはいたが、手は繋いだままだった。「くふ」と小さく笑って、わたしの手を口元に引き寄せる。思わず同じ布団に入って、抱きしめた。
ねえ、紅葉。わたしたちは異性じゃないから、今はこれが充分な触れ合いだよね。
柔らかさを交換して、お互いの魂に触れ合えたらいいのに、と願った。
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