◇伊勢神宮の「日神」
鬼無里・戸隠特区を離れた伊勢神道特別区では、鹿威しの音が優雅に響いている。
斎宮である伊勢宮稜は、書物を読んでいた。初秋の樹々の騒めく音に混じって、鏡の飛び散る音。伊勢宮は顔を上げるも、また書物に視線を落とす。狐が二匹、庭に飛び出し、続いて、尻尾を丸めたまま、柚季が転がり落ち、池に飛び込んだ。派手な水音に、伊勢宮はようやく立ち上がって続き襖を開けたのだった。
池から這い上がった柚季は、ぶるぶると頭を振って、濡れ鼠でしょんぼりとした。
「何をやっているんだ、きみ、稲荷巫女だろうに」
「わ、割れたんや! 鏡、また割れよった! この鏡、割れすぎなんちゃうか! んで、ビックリして転がったんや! 笑うなや!」
伊勢宮は騒ぐ稲荷を眼で黙らせて、畳に膝を置いた。八咫鏡のまがい物だが、伊勢では「日神」と呼ぶ神様でもある。こう、パーンパーン割られると困るのだが、本体のひどさに比べれば幾分ましか。
度重なる天命を知らせる度に、伊勢の鏡にはヒビが入り続け、もはや見る影もない。それでも、頑丈な台座のお陰で、崩壊は免れている。
「伊勢の神からの啓示だな。招かれざる客が、来るのかな」
伊勢宮は低く呟き、淡く笑った。
鬼無里の空気が歪んでいる。割れた鏡を撫でると、指先が切れた。
溢れる高貴なる伊勢の血を押さえながら、伊勢宮は独り言ちた。
「天命とは何……か。こちらが知りたいところだ」
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