4:伊邪那岐大御神と、妻、伊邪那美の神話
「それでね、鬼女紅葉のことを調べてみたの。聞くの?」
紅葉は依然と同じとは行かなくも、少し歩み寄っての「お友達」としてわたしを認めてくれた様子だ。相変わらず男子を侍らせているが、わたしとも接点を持とうと、本を片手に近づいて来るようになった。
紅葉の手首の翡翠石は、日に日に増え、今では紅葉が近づくと、擦れ合った石が、特有の音を鳴らすので、すぐに気づくようになった。もうすぐ紅葉の魂鎮めも終わり、舞を持って紅葉の足の苦行も終わる。
わたしはわたしで、古事記の読書解読に余念がなく、昼休みは二人でそれぞれの本について対話を交すことも増えた。主に紅葉は戸隠伝説の「鬼女紅葉」について余念がない。
「
何を読んでいるのだろう。元々の好奇心を妙な方向へ向けたらしい。わたしは舞に関係あるのか微妙な紅葉の話を傾聴した。頬を紅潮させて知識欲を噛み締める紅葉は相変わらず可愛いのである。
「京都に登る前に、紅葉に名前を変えて、男たちを集めて、悪さを企て」
わたしの視線に気が付いて、紅葉は「なによ」とまた眉を潜めた。
「いや、あんたに似てるなと思っただけよ。男子集めて、何か良からぬこと、考えてる?」
「考えてるはずないでしょ。男の子たちとは喋ってるだけ。でも、不思議と分かるの。心が落ち着くの。女子たちより、ずっとわたしの知りたいことが多いの」
「異性に興味があるのは普通だよ。いいんじゃない?」
あむっと握り飯にパクつくと、わたしはまた古事記の本を膝に置いた。
「いつまで借りてるの? それ。図書委員に怒鳴られるよ」
「続きを借りたんだよ。どうしても、第三幕が見当たらなくて仕方ないから、原本読んでる。昔の言葉、なんとなく読めるのよね」
正直最初は読めたものではなかった。しかし、なんとなく知らなければと毎晩頑張っているおかげで、言霊が視えるようになってからは、つっかからずに読める。共感覚が作用しているのか、文字に色がついて視えるのも面白い。
「原本? スゴイ。ねえ、その続き、分かったの?」
「なんとなくね。伊邪那岐大神は、妻を黄泉に迎えに行ったらしいんだ。そこで、妻の伊邪那美に再会するんだけど、伊邪那美は姿を見せなかった。それで、伊邪那岐大神は何度も掛け合って、やっと声を聞くことができた。でも、それは、黄泉の食べ物を食べちゃったから、世界には戻れないという嘆きだった」
「やだ、食いしん坊。黄泉のごはんなんか食べないでいいのに」
紅葉が身を乗り出してきた。ぴったりくっついていると、以前の紅葉のようにも錯覚したが、いま、わたしと紅葉は恋のリスタートしたばかりだから緩んではいけない。
「それで?」
「うん、それで、伊邪那岐は毎日逢いに行って、ようやく伊邪那美を説得する。神様に還して貰えるか聞いてみるから、待ってて、と言って消えるんだ。でも、伊邪那岐は待ちきれなくて扉を覗いてしまう。そこには、黄泉で変わり果てた伊邪那美が横たわっていて、その姿は……解読出来てないんだけど、9の鬼に憑りつかれ、全体には虫を這わせた姿、というような記述があった。美しかったのに、そこから
ごくり、と紅葉が咽喉を鳴らした。紅葉が本当にこの伊邪那美の悪しき
「紗冥ちゃんは、考えすぎだよ。紅葉ちゃんはもううちの氏子なんだから」と父に言われたが、先日は紅葉の両親が訪れていたし、何か行われているに違いないのに蚊帳の外。
思索は紅葉がぐいっと腕を引いて来て、霧散した。
「それで? それで?」
「怒った伊邪那美は、
「えー? 死んでも夫婦喧嘩ぁ? やだな、それ~」
のめり込む頭をそっと撫でたが、紅葉は物語に夢中になっていて、気が付かない。
「ここまでしか残ってない。その後は、諸説あったよ。一つは伊邪那岐はそれでも伊邪那美を連れて戻った説。ひとつは、これが有名かな。夫婦喧嘩になって、伊邪那美は一〇〇〇人殺すと怒鳴り、伊邪那岐は一五〇〇の産屋を立てると
「そんな醜い姿を覗かれたくなかったのよ。なんで覗いちゃったんだろう。男って辛抱ないな」
「結局、桃やら葡萄やらを投げて逃げたらしいけど」
「あたし、桃も葡萄も嫌い。ぶにょっとしていて嫌。何で覗くの。待ってればよかったのに。わたしも追いかけると思うよ」
まるで魂鎮めを覗こうとしたわたしを責めているような口調に人事ではない焦りを抱く。何度も、気になって、奥社の近くまで近寄ったが、その度に伊勢宮の夜鷹を見かけ、部屋に戻るの繰り返し。それを見越してか、夜鷹と狐が部屋の外を過ったりして、何もできなかったが、怒りの形相の紅葉に追いかけられるなら、絶対にやめようと決めた。
戸隠の学校に必ずある神道の四阿に風が通り抜ける。わたしは紅葉の手に手を重ねてみた。紅葉はぴくんと動いたが、前のように嫌がりはしなかった。
「良からぬこと考えてるの、そっちだよ」ぽそと呟いて、紅葉は目元を赤く染める。
「あたしを好きって本当なの?」
わたしは頷きたいを我慢して、「忘れていいよ」と今の紅葉を想って告げた。紅葉はあきらかに頬を緩めて、傷だらけの足を庇いながら立ち上がると、スカートの砂ぼこりを払った。背中を向けて、ぽそりと告げた。
「忘れないと思うよ。あんたとは、約束した気がするから!」
言い残してぱたぱたと走って行った。
午後、紅葉他明日の祭の舞手は最後の追い込みがあるけど、逃げたようにも見える。
「ありがとう」小さな呟きを置いて、わたしは目元をこすり、時計を睨んだ。
あと、24刻間。それまでは我慢するつもりだった。
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