第二章 鬼女紅葉と霧生紅葉
1:紗冥と紅葉 呪符喧嘩はじまる
神道特区の学校は、貨幣世界と違って、歴史ばかりが続く。同じ組の仲間たちも、わたしと紅葉の異変に気付いたらしい。紅葉は紅葉で、男の子を侍らせていて、気に入らない女子巫女たちがわたしのそばに集まって来た。
元々紅葉を疎んでいたのだろう。いつの時代も女子は変わらない。
「急に、男に愛想よくして、霧生さん、どうしたの?」
「婚約したからじゃないかな。別に、紅葉の人生だし。いや、霧生さんか。わたしには関係ないね」
「でも、ちょっと怖くなったよね、舞」
紅葉は鬼女紅葉の舞を披露した。その際、何もしていないのに、柳の葉が揺れて、僅かな地鳴りを感じた。それは紅葉に呼応して、小さな竜巻を産んだ。地鳴りなど経験のない生徒たちは恐怖におののくなか、紅葉は遠い目をして、ただ、舞を踊っていた。
踊るというより、地を煽っているようだった。止めたはわたしだった。手首を摑んで、狂ったように踊る四肢を抱き留めて、本日二回目の手形を戴いている。
「男たち、怖くないのかな。あたしさ、紅葉は紗冥といたほうが良かったと思う。楽しそうだったのに、どこ見てるんだろうね、紅葉」
――よう見とけ! この、わからんちんが!
伊勢の柚季の罵倒を思い出した。紅葉は微笑んで話を聞いているが、どこか諦めたような目をしていて。わたしは見ていられずに、廊下に出た。クラスメートが数人、ついて来た。何れも巫女の見習いや、神社に従事するはずの子たちだ。この学校は、そう言った教育が盛んである。わたしを慰めるように、女のコたちはよく喋った。
「戸隠さん。あのね、うちの神社に、ああいう目した人が来るんだけど、なんて言ったかな。ええとええと、操り人形? 違う、洗脳の呪!」
「洗脳? 神道でそんなことが可能なの?」
「有能だと、出来ちゃうみたい。なんだっけ、ええと、境界呪を逆さにするやつ」
逆注連縄は知っているが、あまり良いモノではない。お喋りに加わった。
「逆、注連縄……でもあれは神域を作るものだろうに」
「人の心と、身体の関係もそうなんだって。利用すると、心を封じ込められるから、悪心の祓いとも呼ばれてる」
「悪心の祓い……? それが、魂鎮めの正体? 紅葉は何を鎮められたんだ!」
呟いている合間に、脳がバシバシと動き始めた。日に日に変わっていく紅葉。主に、わたしに対しての態度が、辛辣なものになっている。
それが魂鎮めの影響なら、合致する。わたしは藁をもつかむ想いでお喋りの環を抜けた。
「紅葉!」今度は邪魔な男子の環を手で払って、中央で談笑していた紅葉までたどり着いた。紅葉は「は?」という冷たい目をわたしに向け、また涙を浮かべて顔を背けた。
「なんか、邪魔が来たわ。せっかく盛り上がっていたのに」
「戸隠、おまえ引っ込んでろよ。ようやく紅葉さんと喋れたのに」
喋れた……という男子に呪符を突き付けた。わたしの神通力は折り紙つきである。
「うるさい。祓われたいのか。ちょっとそいつの面、借りたいんだよ、退いて」
「そいつの面ぁ? わかった。この霧生巫女を借りられるものなら、どうぞ?」
紅葉もまた呪符を出した。わたしも呪符を出して、じりじりと間合いを詰める。まさかと思ったが、紅葉は火の呪符を振りかざした。
「霧生の名において、火神、招聘!」
掌から小さな灯玉が龍のように飛び出した。小さいが、点火すれば燃えるだろう。
「バカっ……教室燃やす気?! えっと、水……っ、水龍招聘!」
水龍もどきで、包(くる)んで消した。
「ぬぬ……ちゃっかり水の呪符だし! 黄泉の呪使っちゃうからね。鬼神……」
「黄泉はだめだよ! わたし、対抗できないから! 紅葉!」
紅葉も強いし、わたしも強い。結局拮抗した神道力は、爆発前に駆けつけた先生により吸収措置されて、わたしたちは喧嘩は呪符なしでやれ! 幼等で教わっただろうと、がんがんに説教を食らって廊下にぽーんと放り出された。
「なんなのよ。全く。なに? 話なら聞くけど? 男の子のいけない話、聞いてたのに」
「それが素? ああ、そういう悪い性格だったんだ。見抜けなかった」
「何ですって?」また呪符を取り出して、二人で収めた。
「――図書館について来てくれない? 古書を調べたいんだ。主に古事記」
紅葉は「古事記?」と繰り返した。わたしはしっかりと頷いた。
「そう。伊勢の斎宮が言っていたんだけど、わたしたちに関係があるみたいで。あたし、あの話嫌いだったんだけど、知りたくなったんだ。伊邪那美と伊邪那岐の」
「イザナイ……?」
「イザナイじゃなくて、伊邪那美と」紅葉は目を瞠り、動きを止めた。こめかみを押えて、蹲った。
「イザナイ、だめ……絶対……イザナイは、紗冥を殺すから、だからイザナってはいけない」
「……やっぱり、あんた、おかしい。紅葉、大丈夫?」
動かない小さな塊ごと抱きしめた。わたしの下ろしたままの髪と違い、紅葉の髪はやわらかくうねっている。頭をそっと撫でると、紅葉はブツブツと何かを呟いた。
「嫌いなんだから、触らないで……」
それが、わたしには、大好きだからもっと、触って、に聞こえたのは幻聴ではなかった。頬を包み込んで顔を向かせる。紅葉の瞳はきらきらしていて、綺麗だった。
「ん」と顔を向ける錯覚を見たが、紅葉は俯いただけだった。
「……大概しつこいよ。図書館? 本返しに行かなきゃならないし、付き合ってもいい」
「ありがとう」紅葉はにこりともせず、廊下にわたしを置いて、教室に戻って行った。
この時わたしが作った廊下の壁の凹みは、相当な力が籠ったと思う。龍仙に協力させてでも、紅葉に何をしたのか、聞き出したい想いだった。
「絶対に、許せない」
実の兄に殺意を抱くと、いつも既視感がわたしを襲う。
兄と衝突した覚えはないのに、わたしは兄を恨み慣れていた。
それも、どこかで、同じ境遇を知っていたかのように――。
兄への理由のない慣れた怒りを壁に押し込めると、一頻りの激情は収まりを見せ始めた。ひりひりとした手の甲はわたしが女であることを知らせて来た。
「なにしてるの? そんなに怒ること? 行くって言ってるじゃん」
気づけば紅葉が眉を潜めて立っている。わたしは壁から手を離して、唇を噛み締めた。
兄たちが何をしようが、紅葉への想いは変わらない。それだけで十分だ。きょとんとして立っている紅葉は何も変わらない。そう、何も変わっていないのだから。
紅葉は乱れている髪を押えて、頬を染めた。
「ああいうこと、しないでくれる?」
「ああいうこと?」
「信じられないっ! ぎ……ぎゅってしたでしょ!」
ぷりぷり怒って、先に出て行ってしまった。不謹慎だが、この時の紅葉の冷たさはむしろ心地よいものだった。見てくれや言葉に惑わされない巫女の目が働いたのかも知れないが。紅葉は多分変えられてなどいない。押さえつけられているのだろう。
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