6:伊勢神宮の天才宮司

「龍社や。珍しい。九頭の龍社かいな! 初めてみたで。神社に龍社」

 紅葉も大きな龍の金の鳥居に目を奪われている。

「前より、綺麗になった?」

「塗り直したんだよ。ウチの龍神様、派手にしないとへそ曲げるんで」

「いたいた、斎宮さまや」と柚季は逆光の人影に、走り寄って行った。

 高く翳された腕は、月光を逆に浴びて凛々しく伸びていた。夜鷹は静かに掲げられた手首に降り立ち、腕はそのまま曲げられて、ようやく立っている全貌が見えた。

 一瞬、龍仙かと思ったが、龍仙は基本兄かわたしの前のみ人型になる。ずぼらで、引き籠りの本当に龍の生き残りなのか、疑いたくなる程、神様には程遠い。

 何度もいうが、わたしは未だに兄と龍仙の取替子説を信じている。だが、立っている人物は龍仙ではないとすぐに分かった。背丈がまるで違うからだ。

「誰かがいる。兄貴さま……じゃないな。兄貴さまの式神は夜鷹じゃない」

 紅葉も気づいた様子で、やっと立ち上がった。前で柚季が息を吐いた。

「わざわざ界隈に式神飛ばしたんですか。あと、蕎麦結構旨かったですよ。貴方がアブラゲがあるなんぞ宣ったおかげで、うち、あの店もう行かれへん」

 夜鷹を肩に移動させた人物はくつくつと笑った。

「それはご苦労だった。異常はなしのようだよ」

 鬼柳の合間に静かに立つ人影は、月夜となった戸隠に青く浮かび上がっている。大きな体格でもなく、華奢でもない。胴回りに神主さながらの腰ひもを巻き付け、神衣と呼ばれる服に袖を通し、腕には鷹匠・鳥狩の手甲羅を嵌めているが見えたが、どうも夜鷹に既視感を憶える。人食い鷲の滑空にとてもよく似ていた。わたしは遠慮会釈なく、語り掛けた。

「どうも、見覚えがあるんだけど、その鳥」

「紗冥ちゃんが襲われそうになった人食い鷲(わし)!」

 ギヌロと「人喰い鷲だと?」と鷹ににらまれて、紅葉はいつもの通り、わたしの影に引っ込んだ。

「やあん、こっちみてるし。似てるってだけよっ……あたし、猛禽類嫌い」

「こら、夜鷹。……って動かしているのは私なのだが」

 月夜の影が長く伸びる。魅惑的な声は、女性か男性か、少年か青年か少女か淑女か。とても判断に難しいイントネーションをしていた。

「この意地悪いのがうちのツレで、主の斎宮や。伊勢神道特区の特使やで。声、綺麗やろ。あの声で祝詞読むから、伊勢神宮の巫女が色めき立つわけやな。神宮が桃色になりよって、そんでも顔色一つ変えへんで色っぽい祝詞のりと読みよる堅物やで」

「そこの伊勢の稲荷巫女。よその特区でどうでもいい世俗話は控えようか。それに、夜鷹は大人しいし、式神だから怯えなくて大丈夫ですよ」

 笑いを混ぜ込んだ穏やかな声に、紅葉が警戒心を解いた。好奇心が旺盛なくせに、人一倍警戒心も強い。

「古来では、鳥狩というのだが、これは伊勢の斎宮に伝わる式神だ。伊勢では神鳥と崇められている。きみたちの頭上を飛ばした機会もあったかも知れないな。ここは何かと問題がある地だから、見張りを寄越したこともあったかも知れない」

 威厳があるわけでも、言葉尻が強いわけでもない。祝詞を讀むような、落ち着いた口調。動じない四肢。優しい風体にそぐわない、伸びた前髪からは獰猛な目が見える。

 伊勢神道特区を納める伊勢神宮の天才宮司ぐうじ、斎宮である伊勢宮稜いせみやりょうとの出会いだった。

「伊勢から来たんですか」

 何をしに? と聞く前に、伊勢宮の足元の包みが気になった。大きな皮の袋に、丁寧に施された注連縄が巻き付いている。よく見れば、柚季の手首にも何重もの注連縄と茅野環ちのわが連なった紐が巻き付いていた。

「きみの兄貴の慧介殿とは、神道特区の繋がりで面識があって。今日も窺う旨の伝書を出していた。伊勢神宮は三種の神器のうちの一つを預かっている。八咫鏡やたのかがみ、知っている?」

 紅葉が頷いた。わたしたちは神道祭祀さいし学を取っているので、普通の生徒より、知識はあった。それでも、本職の伊勢宮の話は興味深かった。

 まして、昨日兄貴さまと三種の神器については会話をしたばかりだ。

「知ってます。三種の神器」紅葉が大きく頷き、伊勢宮は「そう」と儚げに上滑りで返答した。

「伊勢はそのうちのひとつを保管しているよ。稲荷、狐がいつしか居なくなったが」

「ほんまや。逃げよった。うちも奥社、入れて貰えるかな」

「慧介殿に頼んでみよう」

 狐が消えると、普通の姉さんに戻る。わたしは正直、柚季の不思議なミステリアスさに惹かれていた。紅葉にもある影が、柚季にも見えるのだ。

「龍神さまが追い払ってたりして。あの子たち、龍社のあたりで見えなくなっていたもの」

「ま、ええわ、肩が休まるし」と柚季は腕を伸ばすと、軽々と歩き出した。伸びた手足が艶めかしさを帯びていて、目線をくぎ付けにしていると、伊勢宮がさも可笑しそうに語りかけて来た。

「狐憑きの巫女シャーマンが珍しい? 隣で妻が膨れているよ」

「妻……紅葉ですか」

「おや? 違ったか。二人の空気が夫婦のように見えたのだが。果たして抱いてしまって、失礼」

「どちらがどちらか?」妻の言葉に気を能くした紅葉が怪訝そうに問い掛ける。

「伊邪那美と伊邪那岐の話は聞いていないか? 四月十日、十一月七日、鬼無里では滅多に振らない「狐の嫁入り」があって、伊勢の八咫鏡にはひびが入った。伊勢では八咫鏡が割れると、天命が起きると言い伝えがあった。先日も、瑞雨ずいうが伊勢と熊野に降り注いだ。天命の前触れではないかと言われている」

 伊邪那美の話は、もう知っている。お伽噺は全て憶えてしまった。この時代を遥かに遠くした、まだこの地の呼び名も真新しく、龍の国と呼ばれる倭国が出来た、創生の話である。

「あれって神話じゃないの?」伊勢宮は龍社に手を合わせ、つま先をわたしに向けた。

「表向きはね」とやんわりと答え、奥社へと進路を取る。珍しく、龍仙の姿が見えて、わたしはひやりとしたが、恐らく見えていないだろう。

「なんや、長い名前の龍さまやな。うち、虫歯はないが、御祈りしとこ」やはり真名が読めないらしい。紅葉と並んで龍神に手を合わせると、紅葉が畏まった。

「――にぎにぎしいな」奥社の境内に、祭祀用の剣を持った兄が立っていた。

「兄貴さま、なんで剣なんか持ってるの」

「ついさっき、狸神が冷やかしに来ていたんで追い払ったんだ。久しぶりだな、伊勢宮」

「慧介殿も相変わらず、霊力がお強い。こちらの稲荷も同席しても良いかな」

「構わないぞ。おや? 招かれざるお客……紅葉さんまで連れて来たのか」

 兄の目が、紅葉に向いた。ぺこ、と紅葉は頭を下げているが、わたしの袖を掴んでいる。兄は頷くと、一行を奥社内に誘った。

 和室の随を凝らした欄間に、長押にも注連縄が掛かっている。立派な和室造の寝殿には、6枚の座布団が並び、兄貴さまは座るように指示をする。伊勢宮と柚季の前には、戸隠の玉串が添えてあった。奇妙なのは紅葉の前に、注連縄が貼られた小さな神薙かんなぎが置かれている。

 紅葉は不安そうに兄を見詰め、わたしの隣に大人しく座った。

「いま、母も来る。紅葉さん、よく来てくれたね」

 兄妹でよく似ている照れた頬を引っ込めると、兄は伊勢宮に向いた。

「はるばるようこそ」と昔ながらの挨拶を交わすと、「本題を」と一言。

「なんや、動きがきちきちしとるな。ここの神様か?」

 柚季がぼやく前で、伊勢宮は持っていた袋から大きな鏡を取り出した。

「本物に通じる、媒介の鏡です。本物はひびが酷過ぎて、内宮からは持ち出せない。

代々、伊勢の斎宮は、代替品で祭事を行っておりますので」

 

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