5:夜鷹

「本当は、随神門からは入っちゃいけないんですけど、お誘い受けて」

 紅葉は嬉しそうに頬を赤く染めて、わたしを見やる。柚季の持つ空気で怒りも中和されたらしい。伊勢の龍気りゅうきまとっているのだろう。ますます気になるは仕方がない。

「戸隠神社の跡取りの婚約者なんだから。もう氏子も同然」

 するりと台本があるかの如く、わたしは棒読みで続けた。紅葉は気にならなかったらしく、柚季と並んで、天命の話題を持ちかけていた。

「柚季さん、天命に関わる話、知っているのですか。狐が憑いたままって」

「――うちが話す資格はないんやけど」と柚季は寂しそうに髪を揺らし、子ぎつねたちにしゃがみ込んだ。

「親が子を想う。そのカタチはいろいろや。子を置いて、祓うんは、鬼やった。一緒にいたい一心で、うちに食い掛って来て、子供も震えていて、……気負けたんや。母はつよしやで」

 自分に言い聞かせるように告げて立ち上がると、ぴったりと閉まった門を振り返る。外界を遮断した神社は、夜は別世界の雰囲気を醸し出していた。彪隠しすら入れない。代わりに、人間も出られない屈強な結界だ。

 三人の合間に、彪隠しの風が吹き抜けた。注連縄しめなわ紙垂しでが不気味に揺れ始め、夜伽よとぎの鳥たちの鳴き声に、樹々は黒に染まって、重く騒めいている。柚季がぼやいた。閉門の太鼓が鳴り、背後の門が重々しい音を響かせ、閉じられる。

「こうして、門、閉じてまうと、まるで黄泉よみのようやな。先、急ご」

 夕暮れに増える注連縄を潜るようにして、わずかな提灯を頼りに進む。神社の明かりは提灯ちょうちん以外は赦されない。護摩ごまの意味があるからだ。

 ふいに何かが頭上を通り抜け、紅葉が目ざとく夜空を指した。

「何か、飛んでる。大きい鳥だわ。戸隠山から来たのかな」

夜鷹よたかや。こっちでは珍しいやろ。なんや、近くにおるのか、斎宮さいぐうは」

 柚季の言葉に振り仰ぐと、夜鷹は夜空を切り裂くような黒い影で、戸隠神社から飛び立ち、しばらくして戻って来た。

「心配性やな。相変わらず慎重や。紗冥ちゃんだったか? おもろいな。さくらともみじ。咲くんと散るん。ああ、紅葉は狩るとも云うわ」

 柚季の遠慮会釈えんりょえしゃくの見えない物言いに紅葉は拍子抜けしたような表情になった。

 ――どうして、紅葉は狩られちゃうの……?

 必ず思い出す、幼少の紅葉の泣き顔。

 蘇らないで、泣かないで。例え、自分の裡でも、紅葉、もう泣かないで。

 紅葉が咲いたとしても良かったのに。桜が散るでも、構わないのに、何故、紅葉は……。

「また言われた~……」

「柚季さん、それ、紅葉の前では禁句で。……気にしているんだよね」

「んー……もうあきらめてるけどね。色々変わったのに、紅葉はいつまで狩るなんだろう」

 柚季は何も言わず、「ん」と小さく頷いて、狐憑きの目をわたしに向けた。狐神が出たり入ったりする一身は、どんな感じなのだろうと興味を抱く。巫女にとって憑依は宿命さだめだ。巫女をかんなぎ憑代よりしろと代名詞で言うも、然りである。

 しゅんとなった頭を撫でてやり、わたしは話題を変えようと顔を上げた。紅葉は子ぎつねたちのほうに行ってしまい、しゃがんで手を差し出したりしている。

「触れられないって言っているのに、懲りないな、紅葉、彪隠あやかくしだよ、それ」

「紗冥ちゃん、紅葉ちゃんが大切なんやなぁ」

 ぎょっとして振り返ると、柚季はうんうんと独りで玩具の赤べこのように頷いている。

「伝わるわ。あんた、ほんまに紅葉ちゃんが大切なんやな。何も出来んくらい自由でいて欲しいって思ってる。なんやその優しい目。こっちが困惑するやろが」

 目線の先で柚季はほんのりと目元を赤らめ、月夜の陰りを帯びていた。紅葉は子ぎつねたちが寄って来るが嬉しいらしく、指先で空気に小さな丸を描いて子狐たちの視線を遊ばせている。

「言葉で言うには足りない。わたしは、紅葉が在ることが愛おしくて。でも、なぜか紅葉にだけは伝えられないので、困っているんです」

「おもろいな。今、うちに言うてるけど、うちに告白すんない」

「多分、一切の想いは届かないように、なっている気さえします」

「ほ?」と柚季の目が好奇心に染まった。

「魂でも封じられているんかいな」

 頷いて、わたしは秘策が全て不可能だった事実を思い返す。筆談ではどうか試した覚えがある。駄目だった。手に言葉が届かず、脳は真っ白になってしまう。普段の生活に支障はないが、それでも、愛情を抱えることを何かが妨げる。

 女のコ同士の枷かと思い込んでいたが、そうではない。もっと、大きな呪のような――。

「なら、触れたらええんちゃう? 手を繋ぐだけでも、見つめ合うだけでもええというよ。斎王のような唐変木が相手ならともかく大抵の人間は心動くやろ?」

 ぎゅ、と手を握られて、わたしは心臓が跳ね上がる心地だった。柚季の力は強すぎる。

「な?」と笑われて、確かにと頷いたところで、柚季はぱっとわたしの手を離した。

「嫌~ァな夜鷹がこっち見とる。やめよか。うちまで一緒に祓われるわ」

 わたしたちを見下ろしている夜鷹はゆっくりと旋回し、大きな翼を畳むようにして先へ翼を広げ、ちょうど龍社の前に降り立った。

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