第一章 神道特別区・鬼無里・戸隠特区の巫女たち

1: 三種の神印璽

第一章 神道特別区・鬼無里・戸隠特区の巫女たち

三種の神印璽


 古くから修験や、神を敬い、信仰を集める土地を「神道特別区」と云う。日本古来の神社や八幡宮など、また貨幣制度かへいせいどとは別の国の姿と言えよう。ちょうど陰と陽のような関係性だと思ってください。

 さて、わたしたちは神道特別区内でも有力勢力の「鬼無里・戸隠きなさ・とがくし」にて産声を上げた。わたしは四卯月生まれなので、桜に因んで紗冥と、紅葉は霜月生まれなので、紅葉と名付けられ、共に戸隠神社と鬼無里神社の巫女として、育っている。

 戸隠の特徴は霊山のふもとにある。「天岩戸伝説」や「鬼無里伝承」「鬼女紅葉伝承」と相まって龍の信仰も根付いており、産土神信仰うぶすなしんしんこうと上手く土地を調和している部分にある。倭国を隈なく探しても、龍と調和が取れている神社は珍しい。

 わたしは台所に置いてあった小袋の豆菓子を手に、戸隠神社への道を進んだ。

 裏参道にあたるので、鬼門は避けて、剣を布で包んで持ち、夜の杉並木を速足で駆け抜ける。慣れていなければあや隠しの雰囲気で一歩も進めない、閉門後の神社を。

「……龍仙りゅうせん、いる?」

 大鳥居を潜り、その次に随神門ずいじんもんにて穢れを落とし、進むと見えて来る大きな龍社の前で足を止めて、身なりを整えた。鎮座の年や、理由は定かではない戸隠地方と呼ばれたころからの、龍神。父と母と、産まれてすぐに参詣したのが、この九頭龍社だった。

 神社には、「氏神」・「氏子」・「巫女」といったランクがあって、わたしは神社の直系なので、「氏子」にあたる。九頭龍仙までは一般の人はたどり着けない。紅葉は精々「隋神門」までしか入れないはずだが、一度だけ龍神の前に来たらしい。

 その奥には奥社と呼ばれる本堂があり、祀っているのは天手力雄命神あまのてゆうのみこと。力強い神様の隣に、元鬼と呼ばれた九頭龍仙がおわすのは、変な話である。

 九頭龍社の境内に座って、わたしは持ってきた菓子の小袋を開けた。ふわり、と空気が温かくなる。振り返ると、長い髪を揺らした男が夜に揺れて浮かんでいた。

 我が戸隠神社が護る龍神、龍仙一香りゅうせんいっこうである。

「豆菓子食いながら、気軽に俺を呼び出すなんて、紗冥くらいだよ」

「お腹空いちゃって。江ノ島から戻った途端に、兄貴さまの説教だよ。どう思う?」

 龍人は感情のなさそうな目で、わたしを見下ろし、「慧介けいすけ様はお厳しいな」とくつくつと笑った後で、吊られたように、何かを口に放り込んだ。

「俺を呼んだ理由は? また、歯医者祈願か。紅葉少女に手を合わせられた俺の身にも」

「その話はもういいって。でも、おかげで痛くなかった」

 虫歯の神とも揶揄される龍神との出会いは、至極巫女らしいものだった。龍神を祀った殿には神の名前が彫り込まれており、通常は読めない仕組みである。しかし、わたしには読めてしまい、名前を知られた龍神は、おとなしく戸隠兄妹に従う事態になった。

「江ノ島で、見つけたものが気になって」

「違うな。その調子だと、紅葉姫だろ。何か進展が?」

 鋭く突っ込まれた挙句、紅葉だけ姫呼ばわり。わたしはむかっと立ち上がったが、相手は戸隠特区を古くから守っていた神と痴話げんかもアホらしい。

「うん、兄貴さまと婚約するって知らなかったから。龍仙、知ってた?」

「知っていたに決まってる。それで? 何を見つけたんだ? また俺の御守りを無くしたか、それとも、鬼の角でも拾ったか」

 わたしは布に包んだ江ノ島の想い出をそっと広げて見せた。

「――剣……? ずいぶんと懐かしいものを」とせせら笑った。

 龍仙はじ、と緑の龍の目で、剣を睨んでいたが、紗冥に向き直った。

「三種の神印璽じんいんじ、三種の神器が一つだ」

「三種の神器? 大昔に散り散りになっていた神道の?」

「古来から、だ」

 龍仙は目線を夜空に向けた。戸隠は高度があるので、空が近く、冬に近い季節の星座は天然の丸天井プラネタリウムのようになる。遠くから、来る都会の人たちもいるくらい、穏やかな空が、神社を彩っていた。

「磐境があったんだ。海底にだよ?」

 言いかけたところで、気配に二人で話を止めた。「兄貴さま」「慧介様」二人に呼ばれた兄は、「剣だと?」と眉を潜めている。

 神道神主の威厳を更に高めるような短髪に、すっきりとした襟足。白袴にご神体を磨いていたらしい磨き粉のセットの籠。戸隠神社の跡取りとして謳歌している兄貴さまは、紅葉をも手に入れた。 

「龍仙、それは神器なのか? 妹、江ノ島に磐境が? 日本古来の剣か? それはまさか? いや、そもそも江ノ島特区からそんな報告はないのだがどこで?」

 ぬらりひょんが目を回した質問攻めの気分を味わいつつ、わたしは頷いたが、兄に説明は難しい。紅葉との婚約云々が顔を出して、嫉妬の気分になってしまう。

「説明すると、長くなるんで嫌なんだけど」

「龍仙、俺が許可する。妹の思考を読み取れ」兄は小さく息を吐き、龍仙を見やる。

「お待ちください」と龍の手が伸びて来て、頭上で止まった。

 記憶を読み取られるのはごめんだ。身じろぎするわたしを兄が捕獲した。

「貴方さまと紅葉の婚約を知って、動揺を隠そうとしている様子は愛らしく」

「余計なものはいい。隠し事ばかりか、妹。動くなよ」

 逃げようがない。龍神の手の前で、渋々目を閉じた。

「どうやら、窟屋の海底を潜ったようです。水没した祭祀場のうちの一つでしょう。慧介様、何やら嫌な予感がしますが、妹様は、どうやら磐境をぶち抜いた様子で」

「――あ」手を翳していた龍仙だが、「御前失礼、夜も遅いので」とすぐに消えた。

「ヒトの頭勝手に探っておいて! 、お離しくださいませんか?」

「名を呼ばれて身動きが取れないとは憐れな龍神だ」と慧介は独り言ち、今度は頬を指でコリコリやりながら、わたしを伺った。

「紅葉さんは、その話をするために江ノ島に誘ったのだろうな」

「聞いたよ、紅葉自身から」

「そうか」それだけ会話を交わして、龍社を後にする。兄もついてきた。

「三種の印璽いんじの神器だと? 現在、三種の神器は行方知らず、ちりぢりになっている。一つは伊勢神道特区にある八咫鏡やたのかがみ、それに八尺瓊勾玉やさかにのまがたま草薙くさなぎの剣……倭国以前から御代代わりに伝わったものだ。龍仙がいうなら間違いはないだろう。剣、草薙の剣が其処にあったということだよ、妹。夜更かしもほどほどに」

 兄に諫められて、そっと祀り台に戻して、奥社の裏の自宅に引き上げた。鬼無里・戸隠特区の鬼柳が夏の終わりの風に揺れて、鳴いている。

 三種の神器のひとつ? ……が? 

 大昔の呼称から、がらりと変わった御代の中のの悲しさの光景は、わたしの脳裏から離れなかった。

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