10:言霊と九頭龍仙の存在

「んー、いい天気だよ、紗冥ちゃん」

「……んむ……眩しい」目を瞑っていても弾ける眩しさに、わたしは観念して布団を捲り上げる。紅葉はもう起きていて、ぼんやりと外を見詰めているところだった。窟屋が見える。あくびをかみ殺して、隣に立つと、紅葉は頭を押えていた。

「なんか、くらくらして、昨日、わたし、いつ、布団に入ったかな」

「……おやすみって潜って背中、向けたじゃない」

 どきりとしながらも、取り繕うと、紅葉はすんなり信じた様子だったが、登り始めた朝陽を見ながらぽつり。

「誰かに激しく抱かれる夢、見ちゃった……」

「紅葉、嘘はつきたくない。多分、その夢の――」

 まただ。言霊ことだまが続かない。それも江ノ島に来てから、抑制が激しい。紅葉の両肩を掴んで、事情を伝えようにも、言葉が出せずに諦めた。

「変な紗冥ちゃん。ね、もう、お迎え来ちゃうかな。まだやってたの?」

「うん、抜けなくて。刀身、見たいし。でも、禍々しい感じもしたよね」

「うん、指先から何か入った感じはしたね」

 紅葉も、目の前に広げたハンカチに、小さな翡翠の欠片。気になって眺めていたのだろう。

「これ、海に返しに行こうか」

「紗冥ちゃんとの江ノ島での想い出にするの。ほら、舞の時とか、護ってくれそうじゃない? 翡翠は最高級の守り石だもの」

「ああ、鬼女紅葉」にやっとして告げると、紅葉は「鬼女じゃない」と膨れて見せた。

「頑固もの。取りあえず、うちに持ち帰って祀っておく。磐境の中にあったわけだし、神具かなとも思うんだ。前時代の名残かも知れない。あいつなら知ってるかも」

「あいつ?」紅葉は首を傾げ、わたしはしれっと「天命時代の遺物かも」と話題を変えた。

****

ここで、わたしには幼少にもう一つの神との出会いがあった話をしよう。

戸隠神社には、九頭龍神なるものがいる。

ある日を境に、交流が持てるようになった。この話は紅葉にも言っていない。

 鬼無里特区は特殊で、神との交流や巫女をあがたてまつるが、時に異能を排除もする。鬼の無い里。そんな由来を持っている人々は、どこか、何かに怯えている様子で。カミの由来は隠れた身からだと言われているから、鬼のおんと同等で、忌み成る存在とも取れる。戸隠神社の龍の化身については、兄に固く部外への口外を禁じられている。

『妹、俺と二人だけの約束だ。九頭龍仙くずりゅうせんのことは、紅葉にも言ってはいけないぞ』

 聞いたところによると、龍や蜘蛛と云った神ならざる神獣との交流は、異端である。彼は名前を『九頭龍仙一香くずりゅうせんいっこう』と名乗り、時にはわたしの悩みを聞いてくれるもう一人の兄のようでもあった。長い髪に、伏目に、時代を思わせるバカ長い着物。翠の目をして、爪は緑で長い。土地神でもなく、存在があやふやなまま。

 よく人を理解している龍神様と、わたしは意気投合した。龍仙のほうが兄貴に近い。むしろ、あの恐怖の兄貴さまのほうが龍の化身の説明のほうが納得はするのだが……。

「え? 天命の凪が関係? やだなあ……ねえ、やっぱり海に戻したほうがいい?」

もしも神具ならば、産土うぶすなの教えに背かず、土地に置いておくべきだ。しかし、それを妨害するように仲居がやって来て、わたしたちは荷物まとめに追われることになった。

 鬼無里から、父が迎えに来た合図だった。

「今から窟屋の海に行くには時間が無さすぎるよ。それに、返すということは、あの海に投げ込む? 無理でしょう、大切にしよう」

 紅葉は心底嬉しそうに、翡翠の勾玉を胸元に握りしめた。勾玉の形については憶測があとを絶たない。子宮の子供の魂、という説が濃厚だ。それに紅葉は勾玉や鉱石の類が好きなことも知っている。

 わたしとの想い出にするの言葉も、悪い気はしなかった。

「ん! 大切にします。やった」

結局わたしたちは紅葉の希望通りに、それぞれを大切に持ち合うことに決めた。

(不思議なもので、こんな些細な繋がりが、不思議な心の安定感をもたらすのだった。わたしはどこかで安堵していた。これで、紅葉に言えない言霊を絞り出す必要はないと)


 これは神道特別区である「鬼無里・戸隠神道特区の天命」と呼ばれる出来事の三年前の話。

 それでは、わたしたちが遭遇した「天命」について、聞いて欲しい――。


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