9:女のコ同士の、いけないこと

 紅葉は一旦拗ねると、なかなか気難しい性質だ。わたしは温泉に浸かりながら、紅葉の様子を伺っては会話を仕掛けてみた。

「あの、海底のお宮、多分泰宮たいみやだと思うんだ。あの岩壁が鳥居の役目をしていたのかも。紅葉、見なかった?」

 ――ざばっ。無言の代わりに、お湯を被る音と、檜の桶のかぽん、という音が帰って来た。

「紅葉一体何に似ていたんだろ」

言葉の途中で、紅葉が立ち上がった。ずいっと顔を近づけて来た。わたしは一瞬むくれた紅葉にまた昂ぶりを感じ、ばしゃんとお湯に飛び込むように沈んだ。

 蒸気は頬を熱くするので、すぐに半身浴に切り替えた。紅葉が足を温泉にそろりと入れて「紗冥ちゃん」と紅葉は構わず擦り寄って来た。腕が柔らかい胸に触れて、多分勝手に目玉を丸くしていたと思う。紅葉の目には、素っ頓狂な顔の、わたしが逆さに映り込んでいた。

「紗冥ちゃん、ずっと一緒にいたいって思わないんだ?」

 負けない素っ頓狂な言葉を投げて、紅葉は「ふう」と顔を緩めた。

「いいお湯だね、温泉最高。紗冥ちゃん、裸、綺麗」

 温泉効果で怒りを鎮めた様子。「ふふん、女のコの特権かも?」とにやっと見られて、わたしは慌ててお湯に身体を潜らせる。

「紅葉みたいに柔らかくないんだから、見ないで良いって」

「そんなこと、ないけど?」紅葉はうずうずした猫のように、唇を震わせて、わたしに飛びつこうと待ち構えている。受け止め損ねて、二人で水飛沫の餌食になった。寂しかった時間が吹き飛んだ。お湯が揺れて、紅葉のタオルがゆっくりとはだけて落ちた。

「ちょ、紅葉、ほら、タオル落ちてるから! どうどう、落ち着いてよー!」

 狛犬に抱き着かれた心地で、そろそろとおしりを叩く。紅葉はきらきらした水滴の中で、目を輝かせた。

「思い出したの。わたし、紗冥ちゃんと一緒に行きたくて、海で腕、伸ばしちゃったの。もう終わりかもって思ったら、引きずり込みたくなった。でも、良かった、生きてたね」

「まあ、あんたとはずっと一緒にいるだろうけどね」

「だから、考えたんだってば!」

 ばしゃん、とお湯を揺らして、紅葉は痛恨の一言を投げた。多分、どこかで予感していただろう、でも、そんなものはざばっと立ち上がった紅葉の弾いた言霊の前では無力で。

「あたし、戸隠神社に嫁入りすることに決めた。そうすれば、一緒にいられるよ」

 この時代、同性の結婚はおろか、結婚に関しては少々厳しい決まりがある。特に和暦とし、日本の在り方を見直した神道特別区に於いては、生殖や神社の派閥やランクも大きく考慮される。確かに、戸隠神社次期神主と、近くの鬼無里神社の巫女ならば特区としても喜ばしいとは思う。紅葉と兄、慧介の婚約は決まっていたこと。それだけがわたしには衝撃だった。

「……そっか、兄貴さまが相手か……」

 紅葉の相手が自分じゃないことにショックを受けたわけではない。わたしは割と、そこは淡泊な性質で、それに、紅葉には言っていないとっておきの相談者がいたりする。何も知らされないほうが衝撃だった。それも、兄貴への嫉妬は慣れている。

 誰でもなく、兄に嫉妬するとき、わたしは気兼ねなく、心の奥から震え、憎める。相手が兄ならば、遠慮もしないでいいだろう。

 紅葉は思う通りではないわたしの反応にまたむくれてしまったけれど、すぐに笑顔を取り戻した。

「兄貴さま、紅葉が好きみたいだから、いいんじゃない?」

「んー、あたし、戸隠神社の人間に好かれるのかなぁ、お母さんもね、一時期紗冥ちゃんのお母さん好きだったんだっていうし、仲良しだったんだって」

「今は微妙だよね、あんたの母さん」

 紅葉はまた会話を打ち切り、すりすり、と頬をくっつけて来た。心地よさに放っておいた。気が済むまでくっついていた紅葉が離れると、急に上半身が寂しくなる。

 兄貴さまこと慧介なら紅葉を大切にするだろう。少々お堅いが、絶対に曲がったことはしないし、清廉潔白で、何より紅葉を愛しているのは知っている。それはすごく真っ当な話で、喜ばしいじゃないか。表面上は。裏面はどろどろしていて見せられやしないが。

 それでも、あの兄貴さまは微笑んで「楽しかったか、妹」と嫋やかに言うのだろう。

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