8:一期一会

「紗冥ちゃんが質問攻めにするから、ぬらりひょん目を回しちゃったよ」

「そうだった、ぬらりひょんはおつむが足りないんだった」

「わしゃ、ぬらりひょんなんかじゃないわい……」ぬらりひょんが泣き出した。

悪人の気持ちでめそめそ泣くぬら……じじいに謝ったが、ぬらじじいは蛙のように地面に伸びて拗ねてしまった。

「おじいさん、ごめんなさい。紗冥の悪口、謝りますから、教えてください」

 紅葉がフォローを入れてやっと、ぬらじじいはようやく気を取り戻して立ち上がった。

「ここは窟屋じゃ。ちょうど己らは、窟屋の真下におる。わしが来た道をまっすぐ進め。窟屋の裏手に出よるはず。お、その剣と勾玉は置いて行ったほうが……」

 わたしがひょいと手にした棒を気にして、ぬらじじいは、声を掛けたが、また紅葉を観てシワぁと笑った。

「そのご主人らが、気に入ったのか。ならば、行くがよいなぁ。そうか、そうか」

「気に入った? 剣と勾玉が? あたしたちを?」

返事はない。ぬらりひょんの特徴の鯰っぽさが消えて、拉げた顔になっている。洞窟の暗がりのせいではない。ぬらじじいの表情は、ゆっくりと変化していた。

「どこかで見た……顔が菱餅のおじいさん」紅葉も何か感じた様子だ。

「急いだほうがよいぞ。満潮になれば、ホレ。この辺りにも水がやって来る。界隈の満潮は通常よりも穏やかだが、一気に水嵩みずかさが増えるんじゃ。はよう岩壁を一段上がって、走るんじゃな。渦の分、駆け抜けねばほれ、水にやられるぞ」

 告げている間に、早速足元をちょろり、と一縷の逃げ水が通り過ぎ、水黽あめんぼが撥ねた。考えている暇はなさそうだ。ここが窟屋の一角ならば、何があっても不思議ではない。半世紀前から封鎖されていた理由もここにあったのだろう。奇妙にも、わたしたちは求めていた場所に来ていたはずが、水に遮られて、気付かなかった。

「なんだって?!」

「聞こえんかのぅ? ゴゴゴゴゴ……」

「いや、笑いごとじゃないし! 紅葉、出よう!」

 わたしは紅葉の手を掴み、一気に広い洞窟を走り抜けた。洞窟の高台に引き上げた紅葉と振り返ると、ぽつねんとじいさんは立って、手を振っていたが、驚いたことに、ひょい、と水の圧を飛び越えた。

 ぬらりひょんじじいに御礼を言うべく声を響かせた。

「おじいさん、ありがとう! ぬらりひょんなんて言ってごめんなさい」

「たっしゃでなあ~」しわがれた声がして水音が聞こえ。振り返った時には、じじいの姿はなく、水がゆっくりと入って来たところだった。

「え? おじいさん流されちゃった?」

「まさか。さっき、ぽーんと飛んでたよ。身軽で驚いた」

「良かった。あのお顔、どこかで見たんだけどな―。紗冥ちゃん、ここ、なんなのかしら。岩壁が塞いでたから、水が入らなかったのかな。ねえ、紗冥ちゃん」

「さあねっ……全く、なんて旅行なんだか。紅葉といるといつもこうだよ! 後ろ、水!」

 水というよりも、水龍に近い。ぱっくりと口を開け、細い獣道を水の色の胴体をうねらせて近づいてくる。追いつかれたら終わるだろう。

「でも、楽しいね? ウフフ」

「そうだね! 水に飲まれたら終わりだからね!」

 長い髪をたなびかせて、走りながらも、わたしたちは懲りずに不思議について問い掛け合った。窟屋のちょっとした歴史を学ぶつもりが、とんでもないものを見た気がしてならなかった。わたしたちは空いた穴から入り込んだ海流に、またしても外に追い出される格好になり、押し上げられて、ようやく穴から出た場所は、あの龍穴だった。

 流されて走って、くたくたになって、二人で砂浜に立ち止まった。水龍から逃げきれたのだとほっとした刹那、腹からの笑いがこみ上げた。わたしは剣を持ったまま、紅葉はポケットを探ると、あの翡翠の塊を手のひらに乗せて戦利品のように見せて笑った。

「なんか、手から離れなかったんで、持ってきちゃった」

「うん、わたしも。これ、どうしよう。少しヨゴレが取れたみたい。高級そうな剣だな。そして、抜けないの」

 神道では、出会いを大切にしろと教えがある。どのようなものでも、命が宿っていて、手にしたものとの出会いには、前世からの深い意味がある。

 泥だらけのお互いの頬を指で擦って、わたしたちは夕暮れの海岸をようやく歩き始めた。

 海はあの渦は夢だったのではないかと思うほど穏やかだった。どうやら「天命」ではなかった様子だ。「天命」が来たら、助からないとの言い伝えはわたしたちに強く根付いていた。

 しかし、誰も「天命」とは何かを教えてはくれない。わたしたちの間の「天命」は独り歩きをしていた。世界を揺らがすものは「天命」であると、擦り込みされた雛のように。

 和暦と呼ばれる世界がどうして出来たのか。天命とは何か。神道特区の特異性と、本来の倭の姿。巫女として学ぶことはたくさんあったが、何一つ分からないままだ。

「そうね。兄貴さま、そろそろ帰ってくる?」

 思い出したように紅葉が兄貴さまの話題を持ち出す。巫女の勘が働いたのか、わたしは聞きそびれていた質問を思い出してしまった。

「――紅葉、誰と婚約するのか、聞いてないよ」

 一気に気まずい雰囲気。紅葉はじっとわたしを睨み、ふいっと横顔を向けたが、すぐに手をパンと打って笑顔になった。

「ぬらりひょん、引っかかるなと思ってたの! ほら、わたしが気に入った弁天様に似ていたのよ。助けてくれたんだね、きっと……」

「ああ、似ていたかも、紅葉、話をはぐらかさないで」

 しかし、紅葉は拗ねた。

 よほど、婚約の話が嫌らしい。せっかくの友愛の旅行を台無しにしては、根強く後悔が残るだろう。わたしはあきらめて、抜けない剣もそのまま連れて、窟屋海岸を後にした。

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