3:水天一碧の弁天様

 さて、行動の早い霧生紅葉についても少々。彼女は思い立つとすぐに実行した。お祭りに小さなほこらを見つけると、すぐに走って行って手を合わせたり、海が気持ちよさそうだと思うと飛び込もうとした。巫女でありながら、天真爛漫てんしんらんまんな紅葉は嫌いではない。むしろがんじがらめの巫女の中で、紅葉は異色だが、一番輝いて見えて。

 先を続けられなくて、わたしは頭を振った。

 紅葉のことで、頭をいっぱいにしたいと思いつつ、何かが邪魔をする。それは風だったり、急な揺れだったり。今は紅葉本人だったけれど。集中して考えることを拒むのだ。

「紗冥、早く、早く! ここの神社、14刻にはお詣り終えなきゃって書いてあるの」

「え? そうなんだ。読んでなかった」

「もうっ、走らなきゃ! この、階段……戸隠以上にあるんだけど~~~」

「戸隠よりは、緩そうだけど、行こっか。覚悟っ」

「せーのっ、先についたらアイス奢りね~」

「まだ食うの?! 負けないからね!」

 江ノ島の神社はぐるりと囲うように、たくさんの神社が並んでいるから、階段を上がりながら、それぞれの神社の鳥居をくぐり、本殿に出向かなければならない。代表的な神社が、宗像三女神と呼ばれる卑弥呼の三巫女だ。それに江島神社。龍神を祀ったお宮もあるし、半世紀以上も前の「天命の凪」でも、強固に残った神社だった。

 大半の神社は産土神うぶすなかみとしての役目を終え、摂末社、或いは移殿、或いは閉鎖されたが、まだまだ元気な神たちは今日も海を守っているらしい。

 海の色は、淡青の水天一碧すいてんいっぺきのなだらかさで、水面は銀色の帯のように揺蕩たゆたって煌めきを返していた。

「不思議な場所だね」海風に揺れるポニーテールがよく動く。紅葉は長めのカーディガンを羽織っていて。太陽の光に透けた紅葉は天女の如く、ひらりと飛んでしまうのではないか。また紅葉で一杯になりそうな手前で踏みとどまった。

「小さなお宮。弁天さまに手、合わせて行こう」

 江ノ島の主らしい弁天には特に丁寧に二人で並んで詣でた。拉げた顔の弁天は愛嬌があるが、どこか胡散臭い、人のような神様だった。じいさん、の形容詞が浮かんだ。

「あは、あたし、この神様好きかも。こんにちは、お世話になります。霧生紅葉です」

 紅葉は甚く弁天神を気に入ったらしい。弁天は奉安殿ほうあんでんと呼ばれ、裸弁財天という名称で、七福神のうちのひとりである。本来は異国の神様だが、倭に仲間入りを果たしたらしい。

 紅葉は舞手でもあるから、芸能・御曲祈願の弁天とは気があったのだろう。名乗って手を合わせるは珍しい。

 二人で縁側で「はい、おじいちゃん」とかお茶を飲んだら似合いそう。ぷっとなったところで、踵を鳴らしながら、紅葉が振り返った。

「言っちゃおうかな。紗冥ちゃん、あのね」

「うん? 何か、話?」

 何か言いたげな紅葉だったが、「行こ」とまた階段を駆け上がって行ってしまった。そこで、私は違和感に気づいた。紅葉は接触が多い。しかし、今日一度も、腕を絡ませては来なかったどころか、手を繋いでもいない。わたしは空っぽの手をぱくぱくと動かしていた。

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