第2話

 でも、空に腕を伸ばしただけでは掴めない。そんな何かが、蒼空の中にはある。きっと、空を飛んだことのある者たちだけが知っている、答えのようなものが。


「だから、僕も白鳥みたいになりたくて……」

「その感性いいね。天技を始めるには、充分すぎる理由だよ」

「ありがとうございます。おかげで、天技をこれから行っていく覚悟が出来ました」

「そう。ならあとで、天技協会の描天島びょうてんじま支部まで案内してあげる」


 この島の名前である描天島。その支部の天技協会に行くということは、そこで、天技を競技する際に重要なルールを、詳しく教えてもらえるはずだ。もしかしたら、アイテムコーディネーターの紹介だってしてくれるかもしれない。


「本当に良いんですか?」

「もちろん。今日は協会で、魅空ちゃんが、天技を引退した軌保長道のきやすながみちさんから、直接、技術的な指導を受ける日だからね」

「それなら良かったです。ちなみに、軌保長道さんは、どういう方なんですか?」

「一言で表現するなら、史上初の快挙を成し遂げた人」


 その説明だけで、軌保長道という人間のすごさが分かった。誰も成功したことがない記録を達成するのは、中々できることではない。おそらく彼は、真似できない領域まで技を磨き上げたうえで、自らのスタイルを確立させていたんだろう。


「間違いなく、現役の時は強かったんでしょうね」

「うん、他を圧倒してた。多分、当時最強だったんじゃないかな」


 当時最強。その言葉を聞いても、あまり驚きはなかった。天技が始まって以来の新記録を作った人ならば、現役時に最強だったとしても、何ら不思議はない。


「その影響もあってか、軌保さんのことを尊敬している天技競技者は、たくさんいるし、技術指導のオファーも絶えないらしいの」


 いったい、どんな技術指導を、各競技者たちに行っているのか。今の時点で、天技を実際に1度もやったことがない僕には、想像すらできなかった。


「だから、私も天技をやってみたいと思ったことは、あったんだけどね」

「元々の視力が悪いと、天技が出来ないんでしたよね。魅空ちゃんから聞きました」

「その通り。じゃあ、どうしてか分かる?」


 清瀬志帆子に理由を尋ねられ、天羽魅空との会話を思い出す。しかし、夢想して上の空だったせいか、その部分の記憶については、かなり曖昧になっていた。だけど、だいたい予想ができる。おそらく、こういう理由だろう。


「眼鏡やコンタクトレンズが途中で外れると、空中で方向感覚を失い、最悪、死亡事故に繋がるからではないでしょうか」

「そうだね。視力が良くなければ、空を安全に飛ぶことさえできない」


 そのためだろう。コンタクトレンズをつけていると思われる清瀬志帆子が、羨ましそうに蒼い空を見上げている。だが、練習が終わった天羽魅空が、空からゆっくりと降りてくるとき、その羨望は、先ほどまでの笑顔に変わっていた。


「魅空ちゃん、おつかれ。練習は楽しかった?」

「うん。本番で使う技の確認もできたから、バッチリだよ」


 清瀬志帆子から声をかけられた天羽魅空が、ウィンクをしながら返事する。


「それなら、協会の支部まで、3人で一緒に歩いていかない?景上くんが、天技を始めるみたいだから、丁度いいと思って」


 清瀬志帆子の発言に、天羽魅空は、汗でべたついた額を拭う手を止めた。僕が、天技の競技者になるということに、相当驚いているらしい。


「え……?さっき、『僕には縁がなさそうだし』っていう理由で、私の誘いを断ってたじゃん。どうして、急に、天技を競技する気になったの?」

「魅空ちゃんが、空を自由に舞う姿に惹かれて、僕も、君みたいな天技の競技者になりたいと思ったからだよ」


 僕が答えると、天羽魅空は、急に照れた顔になった。


「そうなんだ。そんなこと言われたの初めてだから、ちょっと嬉しいかも」

「だからさ、昔に抱いていた夢を今、叶えるって決めたんだ」

「昔に抱いていた、夢?」

「うん。小さかった頃は、よく、鳥みたいに空を飛ぶ夢ばかり見てたから」


 しかし、そんな日が来ることはなかった。あの時に思い描いていた空想は、いつからか願望へと変わり、最終的には諦めという形で、心の奥深くに封印されていたのだ。だが、天技というスポーツを通して、夢が実現できると分かった今、その封印は解かれつつあることを、僕は実感していた。


「それなら、また、夢を持とうよ。夢があった方が、空を飛ぶのは楽しいよ」

「そうだね。もう1度だけ、あの頃の自分に戻ってみようかな……」


 ただ、それを実行するのは簡単なことではない。昔の自分のようになるには、当時の夢だけでなく、その時の感情さえも、思い出さなければならないため、忘れかけた記憶を取り戻すまで、しばらくは時間がかかるはずだ。


「それがいいよ」

「うん」


 そうして、僕らの会話が一区切りしたところで、清瀬志帆子が、割って入る。


「魅空ちゃ~ん。早く移動しないと、指導の時間に、間に合わないよ」

「あ、そうだった!景上くんも、ほら。自分のバッグ持って」


 天羽魅空に言われて、自分のバッグを持ち上げる。そして、自分たちがいた場所に、何も置き忘れがないことを確認すると、僕は、清瀬志帆子と一緒に、天羽魅空の後ろを歩くことになった。


「そういえば、景上くんって、天技っていうスポーツのこと、よく知らないみたいだったけど、最近、こっちに越してきたの?」

「はい。父が家業を継ぐことになったので、それに合わせて……」


 だが、僕の父は、現在51歳。家業を継ぐ年齢を考えれば、決して若くはない。当然、父もそれは充分に承知している。


「なるほどね。描天島での生活には、もう慣れた?」

「完全にとまではいきませんが、今は、ほとんど慣れましたね」


 僕の返答に、清瀬志帆子は、意外にも感心した顔を見せた。


「へえ。私なんか、ここに馴染むのに半年はかかったのに。景上くんはすごいね」

「いえ、そんなことはないです。元々、静かな場所が好きなので、こういった長閑のどかなところの方が、気持ち的にも落ち着くんですよ」


 それからも、清瀬志帆子と、あるいは天羽魅空も混ざった3人で、会話をしながら、歩くこと約15分。清瀬志帆子が、とある建物を指さして言った。


「景上くん。あそこに、蒼色の外壁が特徴的な3階建ての建物が見えるでしょ?あれが、この島の天技支部なの」


 空の色を模したと思われる外壁に、白い縁の窓や、地面と同じ茶色の扉が取り付けられている。あの建物の外観自体が、天技というスポーツに相応しくなるよう、計算して建てられていたとしても、おかしくはなかった。


 支部の建物までたどり着き、清瀬志帆子が扉を開け、3人とも中に入る。すると、何かの話題で盛り上がっていた男性2人が、来客者の存在に気が付いた。


「お、ようやく来たか。魅空ちゃん」

「時間ギリギリだけどね」

「それじゃ、技術指導をするから、清瀬さんと一緒に、こっちに来て」


 そうして、どこか別の場所に向かって歩き始めた軌保長道は、突然、何かを思い出したかのように立ち止まり、身体を反対方向に回した。


「あ、設楽さん。そっちの少年は、任せていいかな?」

「もちろん、良いですよ。今は、他にやることもないですからね」

「ありがとう、じゃ失礼するよ」


 軌保長道と、天羽魅空、そして、彼女のアイテムコーディネーター、清瀬志帆子の3人が、その場から立ち去り、僕と、設楽さんと呼ばれた男性の2人になった。


「自己紹介が遅れたね。私は、設楽実継しだらさねつぐ。天技協会の描天島支部の代表をやっているんだ。少年は?無理強いはしないが、君のことも教えてくれるかな?」

「僕の名前は、景上遊翔です。今日は、天技を始めたくて、清瀬志帆子さんの案内の下、ここに来ました」


 自己紹介を行うと、設楽実継の嬉しそうな声が聞こえた。聞けば、天技を始める目的で、描天島支部の協会に人が来たのは、2か月ぶりだという。設楽実継は嬉々とした表情で、ルール説明から入ることを宣言した。


「なら、必要な手続きをする前に、天技のルールから解説していこう!」

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