第24話

「それはそうかもだけど……」

「担任の先生にはちゃんと言っておくから。万が一、合唱部員以外の人に俺の欠席理由を訊かれたら、風邪だってことにしといて」


 俺はすっと視線を瑠衣に走らせた。その真ん丸な瞳がぱちり、と俺の視線とぶつかり合う。

 直後、それはすっと細められ、瑠衣の笑顔に飲み込まれてしまった。


「ふっ、ふふっ」

「どうしたのさ、瑠衣さん?」

「そういう抜け目のないところ、私は好きだよ」

「っ!?」


 なっ、ななな何が何だって?


「ほら、もう駅に着いちゃった。早く降りよう?」

「うん……」


 それから瑠衣と別れるまで、俺は顔を上げることができなかった。


         ※


「さて、来てくれるかな、潤子先輩……」


 翌日、午前十時。

 平日だと言うのに、昨日瑠衣と別れた駅、すなわち市街地中心部の駅前大通りは賑わっていた。皆、春の陽気に頭をやられたのだろうか。


 俺は時間を確認がてら、スマホで昨日の潤子とのLINEの遣り取りを復習した。

 俺がカラオケへ誘い、潤子が躊躇う。学校をサボると同時に、勉強時間を削ることにもなるからだ。それは想定内。


 そこで俺は反論した。今日(すなわち昨日)のようなことになっていいのかと。ここで気分の切り替えができなければ、ますます勉強にも部活にも集中できなくなり、本末転倒だと。


 既読マークがついてから、しばしの間があった。が、約五分後には返信があった。『よろしくお願いします』とのこと。


 律儀な潤子のことだ、もし気が変わったとなれば、すぐに俺に連絡をくれるはず。そう思った矢先、俺は、茂樹くん! と呼びかけられた。


「あっ、潤子先輩!」


 俺はぶんぶん右手を振り回す。こんな人目につくようなことをするなんて、高校入学までは考えられなかった。瑠衣の言う通り、俺も変わってきているのだろうか?


 そう考えた矢先のこと。


「茂樹く~ん、潤子せんぱ~い!」

「ってえぇえ!? 瑠衣、さん!?」

「ええ、途中でバッタリ会ったのよ。瑠衣さんも呼んでたのね」

「呼んでませ――むぐっ!?」


 素早く伸ばされた瑠衣の右手が、俺の口を押さえ込む。息ができない。

 一瞬交わされたアイコンタクト。俺はその時の瑠衣の瞳の中に、確かな殺意を感じた。


「そう! そうなんですよ、潤子先輩! 二人も女の子を誘うなんて、女ったらしですね、茂樹くんは!」


 畜生、なに事実を捏造していやがる! ……と反論できればよかったのだろうが、生憎それは不可能だった。今日の作戦の主導権の半分は、既に瑠衣の手の中だ。


「それじゃあ、カラオケ屋さんに行きましょうか!」

「ええ、そうね。でも瑠衣さん」

「はい?」

「いい加減、茂樹くんを放してあげたら?」

「ああ、すみません」

「ぶはっ!」


 謝るのは先輩にじゃなくて、俺に対してだろうが! 

 と、これもまあ胸に仕舞っておく。


         ※


 俺たちが到着したのは、カラオケチェーン店の激戦区。平日だから料金も割安だ。


「あ、俺、この店の割引券持ってます。ここにしましょう」


 ちなみにこの割引券は、昨日聡美から譲り受けたものだ。

 妹として、彼女もまた俺の変わりようを前向きに受け止めてくれていたらしく、頼んだらすぐに譲ってくれた。

 逆に言えば、俺の懐がそれほど温かくはないということでもある。


 それはさておき。

 俺たち三人が通されたのは、四~五人用の中型の個室。はしゃぐのに十分な広さがある。


 各々が荷物を置き、ソファに腰を下ろした、その時だ。


「はい」

「はい」


 俺が選曲コントローラーを、瑠衣がマイクを、それぞれ潤子に差し出すところだった。

 覚悟はしていたのだろう、ごくり、と唾を飲んでそれらを受け取る潤子。


「ねえ、二人共。引かないでね?」

「もちろんです!」

「無論です!」

「じゃあ……」


 ゆっくりと曲名を入力していく潤子。一体何を歌うつもりだろう? どうやら洋楽のようだが――。


 直後に響き渡ったのは、エレキギターの耳をつんざくような前奏だった。


「こっ、これは……!」

「デッ、デスメタル……!」

「YEAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!」


 潤子の発するあまりの音圧に、俺も瑠衣もソファに叩きつけられた。

 耳を塞ごうにも、手先が震えて上手くいかない。これが、潤子が溜め込んでいたものの破壊力なのか……!


 最早潤子を引き留めることも叶わず、俺と瑠衣は、びりびりと振動する室内の空気に揺さぶられるがままになっていた。


 やがて、ぎゅいん! と弦の鳴る音を思いっきり立てながら、ギターの伴奏が止んだ。

 対して留まるところを知らなかったのは、潤子のボルテージの上昇だった。


「っしゃあ! 次、いっくぜぇえ~~~!」


 俺たちの悲鳴は、潤子の絶叫に掻き消された。


         ※


 俺たちがカラオケ店を出た時、すでに時刻は午後三時を回っていた。

 お昼頃には切り上げて昼食を摂る予定だったのだが、これではおやつの時間である。


「いやあ、歌った歌った!」


 さも満足げな潤子。その後ろを、俺と瑠衣は歩いていく。肩を落とし、げっそりした態度で。

 それでも会話で間を持たせようとしたのは瑠衣だ。


「潤子先輩、ああいう歌がお好きだったんですね……」

「まあね。実は両親にも隠しているんだけれど。合唱部の皆以外には秘密にしてね?」

「それはもちろんです」


 人格変わる人っているんだな。ただマイクを握って、自分の好きな曲を歌うだけで。

 二人の他愛無い遣り取りを聞きながら、俺はこれからのことを考えていた。


 今の潤子はテンションも高く、元気いっぱいに見える。だが、こんな毎日を過ごすことはできない。学校や勉強はあるし、部活にだって行かなければならない。


 重要なのはこの一点。

 今日のウザ晴らしを契機に、潤子自身が楽しんで、気楽に勉強や部活に取り組めるようになってくれているか?

 こればっかりは、明日以降の潤子を観察していくしかない。今見る限りでは大丈夫そうではあるが。


「潤子先輩」

「なあに、茂樹くん?」

「今日は勉強も部活も忘れて、ぱーーーっと遊びませんか? 駅中に美味しいパフェのお店ができたんですって。特大パフェに三人で立ち向かうってのはどうでしょう?」

「あら、男子なのに詳しいのね! じゃあ、早速行ってみましょうか!」


 やる時は徹底的にやる。やらない時は何があってもやらない。それが、切り替えのポイントだと思うのだ。


 結局、特大パフェは二つが注文され、一つは俺と瑠衣が、もう一つは潤子が一人でぺろりと平らげた。


         ※


 帰宅した俺は、カラオケ店の割引券について、あらためて聡美に礼を言った。


「ま、あたしの方が遊び慣れてるからね~」


 すごい返答だな。


 いったん自室に引っ込み、俺は今日いなかった朔実と美幸、それに谷ヶ崎先生に連絡を取った。潤子が何を歌ったのかは伏せておいたが。


《やっぱり先生が見込んだことはあるわね、茂樹くん! いっそトラブルバスターの称号でも差し上げましょうか?》

「いえ、結構です。これでも大変なんですからね? 人を助けるってことは」

《でもあなたは立派にそれをやり遂げた。あと気になるのは瑠衣さんなんだけど》

「え?」


 俺は思わず間抜けな音を発した。

 瑠衣に何かあったのか?


 それを尋ねようとすると、先生は俺の言葉を待たずにこう言った。


《まあ、そのあたりは瑠衣さんが自分で打ち明けるかどうかを決めることだわ。先生からは以上だけど》

「あっ、はい、分かりました……」


 随分中途半端な終わり方だったが、それでも先生は、明確に瑠衣が何らかのトラブルを抱えていることを示唆していた。


 とは言っても、定期演奏会まではあと一ヶ月半。トラブルバスターよりも、本業である重低音の練習に励まなければ。


         ※


 翌日からは猛練習の日々に突入した。

 改めて定期演奏会の概要を振り返ってみると――。


 開催日時は、六月第二週の土曜日、午後二時から午後六時まで。

 開催場所は、我が霞坂高校の体育館である。


 入場無料で、一時間ごとに軽い休憩が入る。


「去年は三年生が五人いたんだけど、今年はとりわけ人数が少ないから、皆には苦労をかけちゃうわね」

「なに水臭いこと言ってんすか、先生! あたいらは歌うのが好きでこの部に入ったんっすよ? ここは大船にのったつもりでいてください!」


 景気のいいことを連発する朔実。そのお陰で、部内のモチベーションは高水準を維持している。

 情けは人の為ならず、というが、どうやらあれは事実らしい。


 一つ気になることがあるとすれば、やはり瑠衣のことだろうか。

 今までのところ、本人が誰かに個人的な問題を話した様子はないし、大丈夫だとは思うのだけれど。

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