第19話

 自分がどれほど馬鹿馬鹿しい綺麗事を述べているか、潤子には百も承知だった。


 日本人が他者との違いに寛容だなんて、嘘っぱちだ。そんなことは、日本で育った美幸だって十分把握しているはず。


 それは理解している。それでも潤子は、美幸を引き留めずにはいられなかった。

 理由は……やはり自分の性格上の問題、ひいては我がままだろうか。


 それを自覚し、潤子は俯いた。肩をぷるぷると震わせながら、ぎゅっと両手を握り締める。

 すると、ばたん、と下駄箱を開け閉めする音がした。顔を上げると、美幸が目の前に立っている。


「美幸さん……」

「潤子、あたしはあんたに免じて、校則通り部活動に入ろうと思う」

「え……?」


 潤子は目を真ん丸に見開いた。何が美幸の考えを変えたのか、それがさっぱり分からない。いや、説得したのは間違いなく自分なのだが。

 その眼前で、ただし、と美幸は条件を付けた。


「あたしはあんたと同じ部活動をやらせてもらう。あんたほどあたしの心配をしてくれる人間はいないしな。それでよければ部活動をやる。ま、あたしには遠慮なく、あんたのやりたい部活を選んでくれ。あたしはそれに従うよ、潤子」


 するりと潤子のそばを抜けて、美幸は歩み出した。

 

「どうしたんだ、行こうぜ。もうすぐ始まるんだろ? 部活動紹介」

「ええ、そ、そうね」


 鞄を肩に掛ける美幸に対し、潤子は胸に抱きながら、その後を追いかけた。


         ※


「すう~っ、はあ……」


 そこまで語り終えて、潤子は両手で握り込んだ湯呑をことり、と置いた。


「ありがとう、茂樹くん。大変美味なお茶でしたわ」

「あっ、いえ」


 教室内にポットと茶筒、それに急須が用意され、皆の前には一つずつ湯呑が置かれている。

 これらの道具を持ち込んだのは谷ヶ崎先生だ。


「で? それからどうなったんすか?」


 急いて答えを求める朔実を横目で睨んだものの、俺もその後は気になる。


「そうね、結局わたくしは部長にまでなったけれど、元々緩い部だったから。わたくしたちの母校の合唱部はね。だから三年間かけて、さっきのナマケモノの出来上がり」

「それで、高校に入ってからは?」

「あんまり変わらなかったわね。うちの合唱部だって緩いでしょう、茂樹くん?」


 と言われても、合唱部に入ったことのない俺にはよく分からない。


「それにしても」


 そう言って問いを投げかけたのは、瑠衣だった。


「どうして美幸先輩は、そんなに不良っぽくなっちゃったんですか? 潤子先輩が出会った時から、既にダウナーな感じだったみたいですけど」

「これは私の持論だけれど、やっぱりそれまでの生活環境と日本の文化が合わなかったんじゃないかしら」

「えっ? でも、美幸先輩は日本育ちだって……」

「その通り。でも、美幸ちゃんのお父様はアメリカ人。他国の方々を悪く言うつもりは毛頭ないけれど、家庭内での教育方針と日本人の考え方にギャップがあったとしてもおかしくはないわ」


 ううむ、これは問題の根が深いな。俺たちで美幸の家に乗り込むわけにはいかないし。どうしたものか――。


「あ」

「どうしたの、茂樹くん?」


 腕を組んでいた先生が顔をこちらに向ける。


「先生が行けばいいんですよ!」

「へ? 私?」

「先生だったら、家庭訪問っていう名目でマーキュリー家に潜入できます! そこで状況を探ってくればいいんですよ!」

「茂樹くん、それはスパイ映画の見過ぎじゃあ……」


 と、顔を引きつらせる瑠衣。しまった、中二病っぽかったか。

 しかし朔実はノリノリだし、先生も顎に手を遣って熟考している様子。


「そうね、善は急げって言うし、一旦美幸さんの担任の先生に状況を伺ってから、行ってくるわ」

「えっ、今日ですか?」


 流石に、提案者である俺も驚いた。そんなに早急に事を運んでいいものだろうか。


「なんとかするわ。今日はこれで解散。結果は後で皆に伝えるから、今日の午後九時くらいは空けておいて。よろしい?」

「了解っす!」

「は、はい」

「分かりました」

「大丈夫かしら……」


 相変わらずノリに乗っている朔実、先生の勢いに気圧される俺、落ち着いて頷く瑠衣、心配を隠し切れない潤子。


 それらをどう受け止めたのか、先生は、任せておきたまえ! と言って胸を張ってから颯爽と教室を出ていった。


         ※


 同日、午後九時。


《いやー、あは、あはははは……》

「その様子だとあんまりいい結果は出なかったみたいですね、先生」

《あ、バレた?》


 俺は谷ヶ崎先生からの着信を受けて、スマホを手に取っていた。


《正面切ってぶつかっていったんだけどねえ。お父様が堅物でね》

「美幸先輩のお父さんが?」


 おや。てっきり、自分の娘は自由に行動させる! とか言い出すのかと思っていたが。

 それが堅物? どういうことだ?


《ああ、違和感あるかもしれないけど、堅物っていうのは自由主義を掲げて譲らない、っていう意味の堅物ね》

「ああ、そういうことですか」


 娘の自由行動を制限するような圧力は排除する、という意味で堅物だったわけか。

 厳しく当たられたのは、美幸ではなく先生の方だったと。


「美幸先輩とは話せたんですか?」

《それもできなかったのよねえ。部屋に籠って出てこないって言われたけど、どこをほっつき歩いていたのやら》

「ふむ……」


 さらに聞けば、美幸の母親も父親と同じ意見だったという。


《アメリカといえば自由の象徴みたいなもんだからねえ。お母様も、お父様のそういうスタイルに惚れてゴールインしたみたいだから、娘の自由を尊重する、の一点張り。美幸さんの扱いについては一対二で議論しても勝ち目はなかったわ》

「そうですか」


 ううむ。ここまで事態がこじれているとは。

 いや、待てよ? 確かに、美幸の両親が日本で窮屈な思いをしているのは事実だろう。

 だが、美幸本人はどうだ? 以前聞いた話では、海外留学どころか旅行にすら出たことがないという。

 だったら、俺たち他の合唱部員と状況はほぼ同じだ。両親を介さない方が、むしろ美幸を説得しやすいのではないか。


「先生、美幸先輩の家の地図、後で送ってもらえますか? 俺たち部員四人で行ってみます」

《え? でも――》

「自分たちが合唱部員だっていうことは伏せます。単純に、まあゲーセンで会って意気投合した、くらいの感覚で」

《何を話すつもりなの?》

「美幸先輩は、きっと自分の足場というか、立ち位置がまだはっきりさせられてないんじゃないかと思うんです。ただでさえ、日本では珍しいハーフですから」

《そうね》

「だから、そう、えーっと……。とにかく説得します。俺も最近、友人関係でいろいろありましたから、こういうケースは初めてじゃないので」


 ほほ~う? と人を試すような声が聞こえてくる。


《じゃあ、あなたたちに任せるわ。お手並み拝見》

「分かりました」

《あ、そうそう。美幸さんのお父様には注意してね?》

「何かあったんですか? 怒りっぽいとか?」

《そうじゃなくて。先生のどこに釣られたのか知らないけど、やたらとボディタッチしてきたのよね。どうしてかしら?》


 ……自分の胸に訊け。

 そう念じて、俺は通話を切った。


         ※


 翌日、部活動は休みとなった。

 潤子曰く、やはり美幸は昨日の件で、学校をサボることにしたらしい。


 こうなったら、作戦通り俺たち部員だけでマーキュリー家を急襲せざるを得まい。そこでなんとか、美幸の気を変えさせる。

 その作戦概要をまとめるため、一応俺たちは三年十組に集まっていた。


 最適な理屈の道筋や、美幸にかける言葉を吟味していると、音楽準備室の扉が開いて谷ヶ崎先生が出てきた。


「皆、ごめん!」

「どうかなさったのですか、先生?」

「潤子さん……」


 ひれ伏した先生の手を取り、潤子がゆっくりと立ち上がる。


「私、カレンダー見間違ってたの……。来週末の老人ホームの慰問コンサート、今週末だったわ……」

「なっ、何だってぇええええええ!?」


 こういう時もハモってしまうのが、合唱部員としての性か。


「ってそんなことはどうでもいいっす! 美幸先輩のソプラノがなかったら、あたいらの演奏丸つぶれになりますぜ!?」

「そう、朔実さんの言う通り。事は一刻を争うわね」


 冷静に語る潤子。


「では、皆で美幸さんのお宅に参りましょう。くれぐれも粗相のないように!」

「了解!」

「あっ、先生、地図アプリありがとうございます」

「……ええ、ど、どうか……私の屍を越えて……」

「そういうお芝居はいいんで。それじゃ、行ってきます」


 先生の構ってちゃんな言動に見切りをつけ、俺たち四人は教室を出て、昇降口から校門前のバス停に向かった。

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