第17話【第四章】
【第四章】
瑠衣とLINEで話してから、三日が経過していた。
最近はもっぱら老人ホームでの慰問コンサートの練習が主になっている。とは言っても、扱う楽曲は簡単なものばかりだ。
よって顧問の谷ヶ崎先生は、皆の苦手な部分を聞き分け、そこを重点的に練習するようになってきている。一対一の練習もまた然り。
そして今日は、俺の個人練習の日。合唱未経験者は俺だけだから、こうして日程を設けてもらえるのは大変ありがたい。
図々しいのを承知で、俺は敢えて練習時間の延長を頼み込んだ。例の件について、谷ヶ崎先生からも助言を貰えればと思ったのだ。
ここは三年十組ではなく、音楽準備室。先生と二人っきりで話ができる。なんだかんだで、瑠衣とも話しづらい雰囲気になってしまったし……。
「そうだねえ……」
悩ましいポーズで足を組む先生。
徐々に気温が上がってきたせいか、スーツの胸元の開きが大きくなっているような気がする。俺の勘違いであってほしい。
「先生はどう思います? 涼介と俺のこと」
「まあ、こういうのはスクールカウンセラーのお仕事なんだろうけど、茂樹くんは私を見込んで持ち掛けてくれたわけだし、何か言わないとね」
親指と人差し指の間に顎を載せながら、先生は言った。
「茶道の先生の意見としては、無視されるよりは嫌われてる方がまだいい、ってことだったんでしょ?」
「ええ、まあ……」
「じゃあいっそ、嫌われるところまで嫌われてみたら?」
「え?」
俺がぽかんと目を見開くと、先生はぶんぶんとかぶりを振った。
「単純なのねえ、茂樹くんって。瑠衣さんが言った通りだわ」
「瑠衣さんが俺について何か?」
ざわり、と胸騒ぎがした。
「だから今言ったでしょう? 単純だって」
「はあ」
そう言われても、何と言うべきか分からない。それでも、だんだん自分の目が細まっていくのが実感される。
不快に思っている、ということだろうか? 自分で自分のことがよく理解できていない状況を?
そのあたりの判断は、先生の方がずっと早くて鋭かった。
「まあ、性格を変えるっていうのも難しいしね。開き直って、嫌われるようなことをしてみたらどうか、ってことよ」
「そんな! そうしたら僕はクラスでぼっちに――」
「ストップ!」
ざっと掌を差し出す先生を前に、俺は口を噤んだ。
「確かにあなたの危惧は分かるわ、茂樹くん。でもね、嫌われることを恐れていたら、人と人って心の触れ合いができないものなのよ。あなたと涼介くんだって、今まで全く喧嘩をしたことがない、ってわけじゃないでしょう?」
「そ、そりゃあ、まあ……」
「だったらこんなところでウジウジしないの。嫌われるようなことをする、っていうのは、なにも相手に不快な思いをさせる、っていうだけじゃないわ。自分の弱さを受け入れて、その上で相手にぶつかっていくのよ」
「自分の、弱さ……?」
こくり、と頷く先生。
「あなたの弱さはその単純さ。言い換えれば気の弱さ。それを自覚した上で、そのままぶつかってみるか、多少工夫してみるか、それとも何もしないのか、考えてごらんなさい」
「……」
「ほら、戦国武将の俳句であるじゃない! 信長と秀吉と家康、それぞれがホトトギスをどう扱うか。知ってる?」
「ええ、そりゃあまあ」
「そゆこと。さて、先生は残業が嫌いなので、今日の練習はここまでにします! 少しは参考になったかしら?」
「はい、た、多分……」
「よろしい! では、お疲れさまでした!」
「あっ、ありがとうございましたっ!」
その後、俺は一人でバスと電車に揺られて帰宅した。頭がまともに働き始めたのは、その日の夕飯後のことだ。
※
自分の部屋に引っ込み、机にルーズリーフを何枚も広げる。情報整理だ。
涼介に何を伝えたいのか、どれをどこでどのように行うのか。言ってみればシンプルかもしれないが、最善を尽くそうと思うとそう簡単にまとまるものではない。
そこで参照したのは、谷ヶ崎先生の言っていた戦国武将の喩えだ。
鳴かないホトトギスに対し、信長は斬り捨てろという。これは、俺の覚悟だ。恥を捨て、過去を葬り、涼介に自分の思いの丈を全身全霊でぶつける。
かといって、何の策もなしに突撃するわけにはいかない。そこで、秀吉のターン。
鳴かせてみせようと彼は言った。上手く作戦立案を行わねば。言葉を伝えるには、メールか? 通話か? それとも手紙か?
いや、信長の俳句と合わせて考えるなら、堂々と正面切って、自分の声で伝えるべきだろう。自分の弱点を晒しながら、というわけだ。
残るは家康の、鳴くまで待とう、という話。これを俺は、運を天に任せるものと捉えることにした。出来る限りの言葉を尽くし、どうにか涼介を納得させる。
随分な量の兵糧が要るだろうが、望むところだ。
結局、俺は箇条書きにした言葉を繋げ、暗記を試みた。
こんな精神論的な会話を前に、暗記なんてものがどれほど効果を上げるか分からない。
だが、何もせずにはいられない。
きっと俺の苦労は、涼介を救うことにもなるはずだからだ。
こうして迎えた翌日。
案の定、俺が教室に着いた頃には、涼介は既に朝練に出ていた。
生徒はどんどん教室に入ってくる。彼女たちを驚かせたくはないが、その恥を斬り捨ててこそ、俺の思いはより強く涼介に伝わってくれるんじゃないかと思う。
そう信じて待つ以外、俺にできることはなかった。
やがて予鈴が鳴り、ほぼ同時に涼介が姿を現した。
やはり今日も浮かない顔をしている。涼介の席は俺からやや離れているが、それを気にしている場合ではない。
「涼介!」
俺は呼びかけた。
ぴくり、と涼介の肩が揺れ、スポーツバッグがずり落ちる。
きっと初めて俺の声を聞いたのだろう、一部の女子が驚きを以て俺を見つめている。しかしそんなこと、知ったこっちゃない。
「どうしたんだ、茂樹」
涼介の声は落ち着き払っていた。やや棘があったり、疲れたりしているようにも感じられる。
こんな親友の顔、見たくはない。だが、それは俺のエゴだ。傷つけ合い、許し合ってこその親友なのだから。
「ごめん!!」
俺は声を張り上げ、腰から直角に上半身を折った。
これには面食らったのか、涼介がやや後ずさるのが視界の隅に入る。
「何があったのかは、きっと涼介の考えている通りだ。俺は自分の経験不足のために、お前にひどい気苦労をかけさせてしまった。申し訳ない!」
涼介は空咳を一つ。色恋沙汰に関することだということは伝わった様子。流石にそれをここで暴露するほど、俺とて馬鹿ではないが。
「いいのか?」
相変わらず淡々とした調子で、涼介は尋ねてくる。
「茂樹、君の苦手としているのは、大勢の前で喋ることだ。今はこの教室中、いや、廊下の野次馬たちも注目しているぞ。それなのに――」
「だからこそだ!」
俺はがばりと顔を上げ、真正面から涼介と目を合わせた。
「償いにも何にもならないことは承知してる。でも、手紙や電話を使ったり、どこかに無理やり呼び出したりしてお詫びするのは、不誠実だと思ったんだ。だから今謝る」
俺は、ごめん!! を繰り返した。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは涼介だった。
「放課後、グラウンドのベンチに来てくれ。そこで話の続きをしよう」
え? 持ち越し?
「あ、ああ、分かった」
賛同する以外に、俺に選択肢はないのだけれど。
※
またもや俺は、どろどろとした時間経過を感じることとなった。
授業内容が耳に入らないのは当然としても、この身体の奥底で地獄の窯が湯だっているような感覚は何なのだろう? 入試の時もこんなに緊張しなかったぞ。
そうしてやっとの思いで迎えた放課後。
俺はわざとタイミングを遅らせて、グラウンドに出た。きっと用具の設置は一年生の仕事だ。それを邪魔すべきではない。ただでさえ、涼介は最近の集中力の欠落で先輩に目を付けられているのだから。
ぼんやり用具入れを見つめていると、涼介が駆けてくる姿が目に入った。
「すまない、茂樹! 遅くなった」
「いや、謝るのは俺の方だよ。本当にごめ――」
「待った。その前に、僕から茂樹に伝えたいことがある」
「えっ? 涼介から俺に?」
「ああ」
すると、さして運動もしていないのに、涼介は顔を真っ赤にしてこんなことを言い放った。
「茂樹、君もやる時はやるんだな」
「……は?」
「あれだけ人の集まった教室で、直接に、それも自分の欠点だと思っていた地声で、僕に謝ってくれたじゃないか」
「いや、それは当然だろう! 俺が一方的に事を運んで、涼介を傷つけたんだから」
しかし、涼介はそれを否定するようにゆるゆると首を振った。
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