第16話
目的の人物はすぐに見つかった。
「一体どうしたんだ、夏海? パスがなってないぞ!」
「す、すみません!」
「ん……。何か悩み事があるなら聞いてやるから、今は練習に集中しろ!」
「はいっ!」
涼介は、先輩に喝を入れられているところだった。
流石に練習中に割り込むのは無粋だろう。俺は近くのベンチに腰掛け、涼介のプレーを見守ることにした。
今日は模擬試合の日だったらしい。市大会や県大会でどうなるかは分からないが、今は男女混合でチーム分けがなされている。
涼介の違和感には、俺もすぐに気づいた。精彩を欠いている。中学時代にも劣ってしまうような有様だ。
フった側の心も気遣ってあげてね、という聡美の言葉が脳裏をよぎる。やはり、涼介の心も傷ついていたのだろうか。
フラれたことしかない俺には、想像のつかない心境だ。
三十分ほどが経過して、練習が終わった。皆が大きくお辞儀をして、ありがとうございましたー、と声を合わせる。
俺は用具類を片づける涼介を見つめながら、もうしばらく待つことにした。
※
それから約十分後。
「涼介!」
自分のスポーツバッグを背負った涼介に向かい、俺は声をかけた。が、涼介はこちらに一瞥もくれない。聞こえなかったのだろうか?
再度呼びかけると、涼介はその場で一旦立ち止まり、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。
西日が逆光になって、その表情を窺うことは難しい。だが、いつもの優しさというか、爽やかさが失われていることははっきり分かった。
ここで怯んだら負ける。そう思った俺は、勢いよく声を張り上げた。
「大丈夫か、涼介? 悩み事があるなら、俺も聞くぞ!」
「……」
「どうしたんだ? 俺と涼介の仲じゃないか!」
「……」
「ここで話しづらいなら、場所を変えても――」
「僕のことは放っておいてくれ!!」
傍から見たら、きっと俺は目を真ん丸に見開いていただろう。口も塞がらずにいたかもしれない。いわゆる、鳩が豆鉄砲を食ったような顔、というやつだ。
この感情が驚きなのか衝撃なのか、自分でもよく分からない。
そんな俺を差し置いて、涼介はバツが悪そうに顔を逸らし、俺のそばを通り抜けて昇降口へと向かってしまった。
「……え?」
そんな間抜けな声が出たのは、グラウンドからサッカー部員がいなくなってからのこと。俺の胸の中は、これでもかとざわついていた。
「今の、本当に涼介か……?」
俺が考えついたのは、やはり他人に意見を求めること。涼介が何を感じ、何を考えているのか。それを推測できる人間に相談すべきだと判断した。
咄嗟にスマホを取り出し、合唱部員のリストを表示させる。しかし結局、俺が誰かに連絡を取ることはなかった。
恐ろしい考えに囚われてしまったからだ。
「もしかして、涼介が凹んでいるのは俺のせいなんじゃないか……?」
繰り返すようだが、聡美はフった側の心のケアも大切だと言っていた。だとしたら、凹んでいる涼介に無遠慮に接した俺に責任がある。
涼介を慕う朔実と彼を引き合わせたのは、他ならぬ俺、春山茂樹なのだ。
自分がすべての元凶なのではないか。そんな気持ちが胸の奥を凍らせる。
さらに言えば。
もしこのまま涼介との関係が悪化すれば、俺は教室で本当にぼっちになってしまう。それは恐ろしいことだ。こんなことなら、きちんと自己紹介くらいしておけばよかった。
「うあぁあああああ……」
俺はゆらゆらとベンチに戻り、頭を抱えてしまった。
※
それから数日後。
「あら茂樹くん、ちょっと今日は集中力が欠けている様子ね」
「え?」
「ほら、お茶碗を返す順番が逆になってる」
「ああ、すみません、宗像先生」
俺は毎週のごとく、茶道教室に出向いていた。
この数日は部活でも上手く歌うことができず、皆に心配されてばかりだったところだ。
宗像先生、そのあたりを見事に見抜いていらっしゃる。
「何があったかは聞きませんよ、先生はね。でも、悩めるうちに悩みなさいな」
「そんな、悩めるうち、って……。随分呑気なんですね、先生」
「そうでもありませんよ。愛の反対は何なのか、あなたは知っていますか、茂樹くん?」
「え?」
俺はふと、茶碗を握った手を止めた。
「そりゃあ、憎しみとか、嫌悪感、とか?」
「残念でした」
ありゃ、違うのか。
そう思う間に、先生は清楚なロングスカートを押さえて正座し直し、こう言った。
「愛の反対は無関心、なんですって。もし何かあって、あなたが嫌われているとしたら、まだ救われる余地はあるってことですよ、茂樹くん。関心を持たれている証拠なんですから」
「そ、そういうもんですかね……」
ううむ、相変わらず宗像先生のおっしゃることは意味深長である。
その中身について、誰か相談できる人がいいのだけれど……。
帰りの電車内では、俺はずっとそれを考えていた。そして、あ、と閃いた。
早速スマホを取り出し、LINEを展開。この人の連絡先は――。
「あった!」
急いでメッセージを送る。
「今晩お話できますか、っと」
返信はすぐに来た。
《夜十時くらいなら大丈夫です》
俺にはその相手が天使、否、女神に思えた。LINEの相手、愛川瑠衣が。
※
帰宅するなり、俺は急いで夕飯を平らげ、風呂に入り、パジャマに着替えて夜十時を待った。まだ時間がある。宿題でも潰すか? いや、今は何を話すべきかをまとめる方がいいだろう。
何故、俺が相談相手に瑠衣を選んだのか。
まず、彼女は涼介と接点がない。部外者だから冷静な意見が期待できる。
次に、先輩たちより頼りにできる。朔実は涼介との一件があったし、潤子と美幸は何か問題を抱えている様子だし。
そしてこれが決定打だが、瑠衣は俺が普通に会話ができる、数少ない学校関係者だということだ。
うむ、俺の選択に盲点はない。
「よし……」
俺はルーズリーフに、今自分が抱えている問題と宗像先生の言葉、それに、どうして瑠衣を相談相手に選んだのかという根拠を列挙した。
それなりに頭を使ったが、お陰でちょうど夜十時を迎えられた。
俺は自らのスマホを手に取り、ごくり、と唾を飲んでからLINEを展開した。
そう言えば、自分から女性に通話するなんて初めての経験だな……。
《はい、もしもし》
「あっ、瑠衣さん? ど、どうも、春山茂樹です」
《そのくらい分かるよ、ちゃんと表示が出るもの》
「そ、そうだよね! 俺ってば一体何を言ってるんだろうね! あははは、あは、は……」
なんだかデジャヴを思い起こさせる展開だが、まあいいか。
《それで、私に相談って、一体何なの?》
「ああ、それが……」
俺は先日、涼介に決定的に嫌われてしまったらしい、ということから語り始めた。
女子をフってしまった涼介を元気づけようとして、逆に避けられるようになってしまったと。
「ど、どう思う、瑠衣さん?」
《あちゃあ……》
「え?」
《ごめん、茂樹くん。あなたがそんなに、あー、その……単純だって思わなくて》
「え、えぇえええええ!?」
俺が単純? 地声のせいでびくびく生きてきた俺が、単純、だって?
そんな動揺を察したのか、瑠衣は続ける。
《人間にとって一番大切な感情って、誰かを好きになることだと私は思ってる。もちろん、相手の好意にしっかり向き合って、正直に自分の想いを伝えることも》
ふむ。そうやって涼介は朔実をフったわけだが。
《でもね、それはとっても勇気のいることなんだよ》
「勇気?」
《だって、その一番大切な感情を抱いている相手に、真摯に向き合わなくちゃいけない。そりゃあ体力、っていうか精神力を使うよ。日頃の行動に支障が出るくらいにね》
「そう、なのか」
《それで、茂樹くんは涼介くんに何て言ったの?》
俺は淡々と語った。心配事があれば聞くぞと、大声で呼びかけたのだと。
《はあっ!?》
「どわっ!」
《なっ、ななな何してんの、茂樹くん! そんなの逆効果だよ! もっとゆっくり時間をかけて、相手を安心させてあげなくちゃ!》
「そうなの、か?」
《そうなの!》
どうやら瑠衣は完全にご立腹だ。俺はとんだ失言をしてしまったらしい。
《日頃思ってたことを言うとね、茂樹くんは視野が狭すぎるんだよ! 自分の声が低い? それがどうしたっていうの? 私たちは、あなたがいてくれたお陰で新しい曲や新しい表現に挑戦していける。それのどこがいけないの?》
「いや、だって、こんなに声が低いんじゃ気持ち悪いと思われるんじゃないかって……」
《だから視野が狭いって言うんだよ! 私は茂樹くんの声、とっても好きなのに!》
「え?」
《え?》
しばしの沈黙が、通話回線に舞い降りた。
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