第15話

 俺たちが歌い終わって、最初に口を開いたのは朔実だった。


「すごい……」


 そりゃあすごいだろう、これだけ上手く、それもたった四人で歌いきったのだから。だが、それにしては視線が俺に集中しているのは何故だ?


「すげえよ、茂樹!」

「へ?」


 間抜けな声を上げる間に、朔実は俺の眼前に立っていた。


「いい声してんなあとは思ってたけど、こんなに皆を支える力があったなんて!」

「え、えぇっ?」


 共に歌った三人も、じっと俺を見つめている。


「茂樹くん、すごいです! すっごく歌いやすかった!」

「その通り! やっぱり男声の低音が入ると、安定するわよね!」

「いやー、やるねえ、少年くん」


 俺は、それほどでも、だか、買い被られても、だか、弱気な言葉を吐いていたが、だんだん皆の興奮が伝わってきた。


 そうか。俺の声は、使いようによっては他人を幸せにできるのだ。

 心にすとんと落ち着くような安心感。

 俺は皆と一緒にいていいのだ。自分の声で皆を支え、役に立つことができるのだ。


 俺は自分の胸に手を当て、再び溜息をついた。


「な~に片肘張ってんだよ! もっと堂々としろ、堂々と!」

「そっ、それはあなたが言われたことでしょう、朔実先輩!」

「ぷっ、ははははっ!」


 なんだ? 俺は笑われるようなことを言ったのか?

 一瞬訝しく思ったけれど、その朔実の笑顔は俺の心に染み入り、今度は皆の方へと向かって広がっていった。


「あっ、あの、朔実先輩」

「何だ?」

「よかったら、先輩も歌いませんか? 俺たちと一緒に」


 きらん、と朔実の目が輝いた。


「いよっしゃあ! 今度はあたいが選曲するぞ!」


 結局、この日は『告白慰労合唱大会』なのか『模擬カラオケ大会』なのか分からなくなった。


         ※


 事件は翌日、授業中に発生した。いや、気づいたのは放課後になってからなのだが。

 この日は試験日だった。入学直後の基礎試験に続くもので、入学から約一週間、どれだけ学力を維持しているかを確かめる。それがこの試験の目的だ。


 そのはずだったのだが。


「あー、終わった終わった。どうだい涼介、そっちの調子は?」

「……」

「涼介?」

「ん、ああ、ごめん。僕、部活行かないと」

「わ、分かった」


 何だ? 妙によそよそしいぞ。試験の出来が悪かったのだろうか?


 だとすると、どうして試験で失敗したのか? 涼介はずっと文武両道で、霞坂高校の入学試験でも高成績を収めたと聞いている。それなのに……。


 涼介のことは、当然合唱部の皆が知っている。


「相談してみるか」


 俺は鞄に教科書を放り込み、足早に三年十組に向かった。


「お疲れさまでーす」

「あっ、茂樹くん!」


 満面の笑みで俺を迎えてくれたのは、瑠衣だった。皆が揃うのを待つのももどかしく、俺は彼女に相談を持ち掛けた。だんだんと彼女の眉根に皺が寄っていく。


「うーん……。それはやっぱり、朔実先輩のことを想って自分を責めてるんじゃないかな」

「え? だって、フラれたのは先輩の方だよ? フった涼介の方がダメージを受けるなんて」


 そう言うと、瑠衣はじとっとした目で俺を見た。


「茂樹くん、あんまり恋愛経験ないでしょ?」

「あ、うん」

「即答なんだね……」


 呆れた調子で肩を落とす瑠衣。


「やっぱり、朔実先輩をフったことで自分を責めてるんじゃないかな、夏海くん」

「ん……」


 俺は涼介の気持ちに同調しようと、頭をフル回転させた。

 朔実のみならず、涼介も心理的に消耗している。断っただけであるにも関わらず、だ。何故それだけで自分が傷つくのか?


 待てよ。涼介は、俺よりもずっと人付き合いがよくて、相手を思いやることができる人間だ。自分がフラれた側の人間の立場になって、事の重大さに打ちひしがれているとしたら。

 これは十分考えられる可能性ではあるまいか。


 涼介の性格上、このことを部活で誰かに相談する可能性は低い。そもそも、大半の人間が異性なのだ。とても話題にはできまい。

 この時点で、朔実がフラれて凹んでいたのとは状況が違う。


「と、いうことは……」


 俺が涼介の話し相手になってやればいいのではないか? うむ、それが最善策だ。

 今は部活中だろうから、放課後に待ち伏せするのがいいだろう。


「茂樹くん、何か意気込んでる?」

「うん! 俺が涼介を助ける! あいつの弱音をとことん聞いてやる!」

「そ、そう、なんだ……」


 俺は気づいていなかった。

 自分が自信過剰に陥っていることに。

 涼介の心に土足で踏み込もうとしていることに。


 そんなことになるとは思いもせずに、俺は一人でガッツポーズを取り続けていた。


「お疲れ様です~」

「ういーっす」

「おーつかれさーまでーす」


 潤子と朔実と美幸が教室に入ってきたので、俺は一旦涼介との問題を棚上げした。


         ※


「今日は、今年の活動予定を発表しますわ!」


 意気揚々と潤子が声を上げる。

 よっ、大将! などと煽っているのは言うまでもなく朔実である。


 潤子は珍しく頬を紅潮させながら、大きく片手でブイサインを作った。


「夏休み前には、重大なイベントがあります! では、瑠衣さん! お答えください!」

「え? え? えっと……。て、定期演奏会?」

「その通り!」


 ぱちん、と掌を打ち合わせる潤子。だが、勢いはそれに留まらなかった。


「もう一つ、定演の前に大事な発表の場があります! 何でしょうか? はい、茂樹くん!」

「は、はぃい?」


 あまりに見事な奇襲を受け、俺は呆気に取られた。


「俺が知ってるのは定演だけですけど……」


 するとすぐ隣で、ふっふっふ、と不敵な笑い声がした。朔実だ。


「甘いな、茂樹! あたいは知っているぞ、老人ホームで慰問コンサートが執り行われるということを!」

「な、何だってええええ!」


 って、何だこの熱血アニメみたいなノリは。俺のキャラじゃないぞ。


「で、話を戻しましょうよ、潤子先輩」

「そうね、瑠衣さん」


 冷静な二人のお陰で、すぐさま俺たちは冷静に戻った。

 しかしその時、思いがけないことが起こった。


「はいはーい」

「はい、美幸ちゃん! 何でしょう?」


 おや、あの美幸が積極的に発言を試みるとは。何事だ?


「あたしはコンサートに反対でーす」


 俺はガクッと椅子の上で体勢を崩した。なんだなんだ、せっかく楽しいイベントが催されるというのに。


「何言ってんすか、美幸先輩! あたいらの歌声を天下に知らしめる、絶好の機会ですぞ!」


 朔実の言葉に、俺と瑠衣はこくこくと頷いてみせる。


「まあまあ、皆落ち着いて。で、どうしてコンサートに反対なの、美幸ちゃん?」

「めんどくせーからでーす」

「な!?」


 その安易な発言に、俺はさっと頭に血が上るのを感じた。

 昨日、皆と声を合わせてから、俺は歌うことに新たな可能性を見出していた。何か自分の殻を破ることができるのでは、と。


 にも拘わらず、面倒くさい? そんな理由で発表の場を奪われては敵わない。

 それを知ってか知らずか、顎を机につきながら美幸は語った。潤子ちゃんなら分かるでしょ、と。


「どっ、どういうことなんすか、潤子先輩! 納得できねえぜ!」

「熱血のノリはもういいですよ、朔実先輩。それより、ちゃんと説明してください、美幸先輩」

「説明ぃ~? そうね、目立ちたくないから、かな」

「はあ!?」


 俺は思わず声を荒げた。

 目立ちたくもないのに合唱部に入るなんて、どういう魂胆だ? しかも、昨日はあんな美声を披露していたというのに。


「ちょっと、潤子先輩! なんとか言ってくださいよ!」


 そう言ってがばりと振り返る。しかしそこにいた潤子は、最早顔を赤らめてはいなかった。眉間に人差し指を当て、厳しい表情を作っている。

 真一文字に結ばれた口からは、言葉が発せられる気配は微塵もない。


「どうかしたんすか、潤子先輩?」


 朔実も異変を感じ取ったのか、やや低めのテンションで問いかける。


「……今日の活動はここまでにしましょう。では、わたくしはこれで」

「あっ、ちょっと、先輩?」


 鞄を引っ掴み、すたすたと歩み去っていく潤子。ぴしゃり、と扉が閉められる。

残された俺たちは、ただ視線を見交わすことしかできなかった。


         ※


 結局、この日の部活はこれで解散となった。


「潤子先輩、どうしちゃったんだろうね。てっきり美幸先輩とは仲がいいものとばかり……」

「そうだね、瑠衣さん。俺も腑に落ちない。朔実先輩、何か知りませんか?」

「何かって何だよ? あたいも詳しいことは知らねぇぞ。特に、二人が出会ったっていう中学時代の頃の話はな」

「ふむ……。あ、すみません、俺、用事あるんでした。ちょっと残ります」


 顔を見合わせる瑠衣と朔実を残し、俺は昇降口からグラウンドへ駆け出した。

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