第14話

「あたしにはその先輩だけじゃない、きっと誰か、もっと素敵な人がいる……」

「えっ?」

「まあ、それはあたしの場合だけど。そうとでも信じられなきゃ、人間やっていけないよ。逆に、そうやって巡り合った人が本当のパートナーなんじゃないかな」


 つい、と視線を下ろし、俺と目を合わせる聡美。その含蓄のある言葉を飲み込むのに、俺は必死だった。まさか妹の口から、こんな言葉が発せられようとは。


「あたしの場合は、やっぱり部活の皆が励ましてくれたから。何事も話せる人がいてくれる、っていうのは、きっと兄ちゃんが思っているより大切なことだよ」

「そ、そうかあ!」


 ダン! と掌を床に着き、俺は勢いよく立ち上がった。


「ありがとう、聡美! 明日部活で、その先輩をどうやったら励ませるか、具体案を練ってみるよ!」

「あ、うん。っていうか、今の話ちゃんと分かってくれた?」

「たぶん!」

「な、ならいいんだけど……。でも、フった側の――涼介さんの心も気遣ってあげてね?」

「任せろ! 俺とアイツの仲だ、心配ない!」


 何か言いたげな聡美を残して、俺は勢いよく彼女の部屋を後にした。


         ※


 翌日の放課後。

 俺は頭の中で試行錯誤を繰り返しながら、三年十組に向かっていた。

 

 朔実が元気を取り戻す。そのためには、彼女が抱いている悲しみを吐き出してもらうことが一番だ。

 もちろん、自分の胸中を明かすのに躊躇いを持つ人もいるだろう。だが朔実のことだ、きっと上手く話してくれる。


「よし!」


 俺は自分の頬をパチン! と叩いて三年十組の扉を開けた。


「お疲れ様で……す?」


 あれ? 誰もいない? 今日が休みだという連絡は受け取っていないのだが。

 と思ったら、教室の隅で、ゆらり、と何かが揺らめいた。


「う、うわっ!?」

「ああー、少年くんじゃないか。どしたのー?」

「って、美幸先輩でしたか……」


 今度こそ本物のゾンビかと思ったぞ。


「今日は美幸先輩しかいらっしゃらないんですか?」

「いやー? さっきまで潤子ちゃんも瑠衣ちゃんもいたよー? なんでも、朔実ちゃんと連絡がつかないから、どうにか連れて来ようとしているみたいだねー」

「そもそも朔実先輩は、今日学校に来てるんですか?」

「そうみたいだよー? 人づてに聞いただけなんだけどー」


 ふむ。かつて、失恋の翌日に学校を休んだ聡美に比べれば、まだ朔実の傷は浅いのかもしれない。これならまだ、悲しみを吐き出してもらうチャンスが見込める。

 しかし、気になったことが一つ。


「美幸先輩」

「んー?」

「先輩は、皆と一緒に行かなくていいんですか?」

「別にあたしが行ったところで、どうにかなるもんじゃないよー」

「そんな! 励ましてくれる人は多い方がいいんじゃ……」

「あたしにそこまで望まないでよ、少年くん。あたし、そんなに空気読める性質じゃないし」


 そう言いながら、憚りなく大きな欠伸をする美幸。

 俺は正直、イラッときた。同じ部の仲間が心理的な致命傷を負っているのに、この態度は何だ? 人の心というものを、彼女は考えないのか?


 いや、今はそのことで波風を立てている場合じゃない。

 俺は美幸から朔実の教室を訊き出し、潤子や瑠衣の援護に向かうことにした。


         ※


「ねえ、聞いた? 二年五組の廣坂さん、フラれたらしいよ?」

「え、マジ? 誰に?」

「よく分かんないけど、新入生らしい……」

「そりゃあ、ウチに男子が入ったのって今年からだからね」


 不穏な噂が耳を掠める中、俺は一際野次馬が集まっている教室、二年五組の扉の前にやって来た。外側にいる先輩の肩を叩き、声をかける。


「あの、すみません」

「ん、どうしたの?」

「廣坂朔実先輩のクラスって、ここですか?」

「ええ、そうだけど――」

「失礼します」


 俺は身体を縦にしながら人混みを抜け、二年五組に歩み入った。

 目的の人物はすぐ見つかった。机に突っ伏し、肩を震わせている朔実。その肩に手を載せている潤子。不安げに周囲と朔実とに視線を遣っている瑠衣。


 俺はすっと息を吸って、三人に声をかけた。


「お疲れ様です」

「あら、茂樹くん……」


 その潤子の言葉が聞こえたのか、朔実の肩がぴたり、と止まった。

 ゆっくりと顔を上げる朔実。その顔が潤子を見上げ、さらにその視線の先にいる俺に向けられる。


 考えてみれば妙な話だ。というのも、これだけ不特定多数の人が集まっている場所で俺が自分から声を出すなんて、今までは自殺行為だと思っていた。皆にドン引きされるだろうと。


 だが、今はそんなことは些末な問題に思えた。この場で困っているのは、そして救いを求めているのは、俺ではなく朔実なのだ。それを覚悟で、俺はここへ来た。


「部の皆で話し合いましょう。泣いているばかりが能じゃないでしょう? ちゃんと自分の気持ちを言葉で表現すべきです。俺らがやってるのって、そういう部活でしょう?」


 腫れぼったい目でこちらを見ていた朔実だが、微かに顎を上下させた。了承したとみていいのだろうか。


「それじゃあ三年十組に行きましょう、朔実さん」


 潤子に促され、朔実はゆっくりと立ち上がった。歩み出す二人に、俺と瑠衣はついて行く。

 野次馬はさっと割れて、俺たちに道を空けてくれた。


         ※


「うわああああああ!!」


 結局、朔実は再び泣き出すことになった。やはり自分の感情をため込んでいたのか。

 朔実の声がひそまる度に、瑠衣がティッシュを差し出す。

 それで朔実は目を拭い、鼻をかむ。

 合わせて、潤子がゴミ箱を差し出し、背中を擦る。


 俺はそばに立ったまま、朔実が落ち着いてくれるのを待っていた。というか、それ以外にできることがない。

 美幸にいたっては完全に戦力外だ。

 

「うわああ、ひっく、えぐ……」

「そうそう、思う存分泣きなさい。あなたにはわたくしたちがついてますわ」

「そ、その通りですよ、朔実先輩! 私も、えっと……飴、舐めますか?」

「う、うん、頂戴……」


 こうして二、三個飴を舐めている間に、だんだん朔実の様子も落ち着いてきた。


「大丈夫、朔実さん?」

「あい……」


 ぐずぐずと手首を目に押し当て、それでもなんとか顔を上げる朔実。


「ねえ茂樹くん」

「はっ、はい?」

「何か歌いましょうか。せっかく入部してくれたのに、まだ満足に歌ってないでしょう? カラオケはカウントしませんけれど」

「え? でも俺、合唱曲なんて分かりませんよ?」

「皆が知ってる曲の主旋律を歌って。あなたの声が加わってくれた方が、ずっと深みが出るでしょうし」


 何かリクエストはある? と首を傾げてみせる潤子。

 いざ尋ねられると迷うものだな。俺は手を顎に当てて唸った。


「ほら、美幸ちゃん! 歌うわよ!」

「へーい」


 のっそりと腰を上げる美幸。ようやく協力する気になったのか。


「じゃ、じゃあ、潤子先輩、この曲なんてどうですか?」


 俺がスマホで楽譜を検索していた曲。それは、『見上げてごらん夜の星を』だった。

 

「あら、いいじゃない! 瑠衣さん、歌ったことある?」

「あっ、はい。去年の学園祭で、メゾソプラノで」

「ちょうどいいわ。美幸ちゃん、ソプラノで主旋律をお願い」

「うーい」

「これで面子は揃ったわね」


 俺たち一人一人に目線を合わせていく潤子。それに向かい、俺たちもまた頷いてみせた。


「じゃあいくわよ、朔実さんの幸せな高校生活を祈って! さん、はい!」

「え?」


 唐突な始まりに、俺は呆気に取られた。

 が、すぐに潤子が、ぽんぽんと美幸の肩を叩いた。そうか、美幸に合わせて歌えということか。


 いざ聞いてみると、美幸の声にははっきりとした芯があった。それでいて孤立せず、皆を緩やかにリードしていくような柔らかさがある。

 これこそ美声だと、俺は思った。


 そして、メゾソプラノの瑠衣と、アルトの潤子が巧みに響きを拡張させていた。

 このまま黙っているわけにはいかない。歌わなければ。いや、歌いたい。


 俺は深く息を吸い、腹式呼吸の真似事をした。それがどれだけ、皆の役に立ったのかは分からない。だが、歌うことに確かな喜びを覚えたのは間違いない。

 これはもしかしたら、励ましたいと思わせてくれた朔実のお陰でもあるのかもしれない。本人にはとても言えたものではないが。


 それでも、俺たちを見つめて目を輝かせる朔実には心打たれるものがあった。

 悲しみという鉄扉に押し込まれた朔実の心を、ゆっくりと開いていく。そんな実感がある。


 ふと横を見ると、潤子が腕をそっと上げて、すっと下ろすところだった。どうやら曲はここで終わり、ということらしい。

 

 改めて息を吸ってみた。同時に腹の底から温かい感情が広がってくる。


「ふう」


 俺は声に出して溜息をついた。

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