第11話
「こんにちは、夏海涼介さん。わたくしは現在、霞坂高校合唱部部長を務めております、秋野潤子と申します。今日は無理やり連れだしてしまったようでごめんなさいね」
「あっ、いえ、僕もどうせ暇でしたし……」
おずおずと言葉を返す涼介。礼儀正しくも芯のある潤子の態度に、多少驚いたのかもしれない。
「でも、僕は茂樹の――春山くんの頼みでやって来ただけで、合唱部の皆さんのお役に立てるとは思えないんです。ましてや今からサッカー部を辞めてまで……」
「そのあたりはゆっくり考えてくださって構いませんわ。ただ、わたくしたちのことを何も知らずに、合唱部という選択肢を捨てていただきたくはなかったのです。今はただ、カラオケにご一緒していただいて、楽しんでいただければと思っています。もちろん、夏海さんの経費はわたくし共で負担させていただきます。どうぞご遠慮なく」
「はい……」
涼介が弱い人間だとは思わないが、優しさや親切心といった情に流されやすくはあると思う。潤子による掴みはバッチリだ。
「えー、それじゃあ予約したカラオケ店へ行きまーす。皆さんこちらへー」
美幸がいつも通り、間延びした声で誘導を開始する。
「まあー、一曲目は自分のお気に入りの曲を歌って、自分の名刺代わりにしてくださいー。カラオケ後のディナーの席で、また自己紹介の場を設けますー」
すると美幸はくるりと振り返り、駅の出入口、繁華街の方へと足を向けた。
※
俺たちは三人ずつに分かれて歩いた。
前を歩くのは、潤子、朔実、そして涼介。後ろは俺と美幸、それに瑠衣だ。
どうやら潤子の接待能力からすれば、俺が皆と涼介の中継ぎをする必要はない様子。正直、ほっとした。
肝心の朔実と涼介だが、どうやら好きなアーティストの話題で意気投合したらしい。ここぞとばかりに、朔実が話題をマシンガンのように涼介に浴びせる。
おいおい、会話のキャッチボールになってないぞ。
と、いう俺の心配は杞憂だった。涼介もまた、積極的に話に乗っている。一番好きな楽曲が同じだったらしく、朔実は歓喜してツインテールを振り回しまくっていた。今度は涼介が話す番。
「よし……」
上手くいっているな。
すると、隣から俺はシャツの袖をくいくいと引かれた。
「どうかした? 瑠衣さん」
「ううん、よく涼介くんをここまで連れてこられたな、って思って」
「ああ、それは皆が協力して日程を調整してくれたからだよ。俺は何も――」
「そんなことないよ! ちゃんと朔実先輩の気持ちが伝わるといいね」
「ああ、そうだな」
その時唐突に、ぱしゃりとシャッター音がした。
何事かと見遣ると、美幸がスマホをこちらに向けていた。写真を撮られたらしい。
「ちょっと、突然なんですか、美幸先輩! いくら先輩後輩の仲だからって、勝手に写真なんて――」
「むう。二人共仲良さそうだったから」
どきん! と胸が高鳴る。
って何をやっているんだ、俺は。今日の主賓は涼介で、援護すべきは朔実のはず。
自分が瑠衣とのツーショットを撮られたからって、慌てている場合ではない。
だが、そこまで考えが及ばなかったのだろう。瑠衣は必死に抗議していた。
「美幸先輩! 今のはずるいです! 肖像権の侵害です! 逮捕・監禁して、闇ルートで先輩の臓器を売り払いますよ!」
「って待て待て待て!」
おいおい、そこまでするなよ。っていうか、瑠衣も怒るとこんなこと言うんだな。気をつけよう。
「はい、カラオケ店に到着です!」
瑠衣が美幸に掴みかからんとしたところで、仲裁が入った。よく通る潤子の声だ。
「今から手続きをしますので、皆学生証を用意して入店してください!」
はーい、と皆が返事をする。瑠衣だけはまだ美幸の方を恨みがましく睨んでいたが。
※
俺たちに宛がわれていたのは、十人規模で歌えるようなやや広めのパーティルームだった。天井にはミラーボールが輝き、マイクは四本も用意されている。
《えー、それでは!》
選曲前に、潤子がマイクを取った。
《今日は夏海涼介くんをお招きしました! 飽くまで体験入部、というか顔合わせみたいなものです。と言っても、緊張する必要性は皆無! じゃんじゃん歌いましょう! では不肖、この秋野潤子からお送りいたします!》
なんだか突然テンションが上がったな。そんな潤子が歌ったのは、スタジオジブリの作品のテーマ曲。
そう言えば、俺が合唱部の皆の歌唱を一人一人聞くのはこれが初めてだ。
潤子はアルトらしく、しっとりと深みのある声でこれを歌いきった。
「よっ! 社長!」
社長じゃなくて部長ですよ、朔実先輩……と、いうツッコミはわきに捨て置き、俺は真剣に考え始めた。何を歌えばいい?
今までカラオケに来たことがないわけではない。だが、完全に聞く側だった。自分からマイクを取ったことはない。というか、歌ったこと自体、今まで片手で数えられえるほどの回数しかないのではないか。
いや、ここで株を上げるべきは朔実だ。ぶっちゃけ俺の評価はどうでもいい。
結局、美幸が演歌に情熱を注いでいる間、俺が選んだのはジョン・レノンの『イマジン』だった。
オクターブ下で歌ったため、随分と低い感じに陥っていく。しかし、曲調と皆のテンションに救われ、なんとか歌いきった。
「はあ……」
「お疲れ様、茂樹くん」
「ありがと、瑠衣さん」
どさり、とソファに腰かけながら、瑠衣から飲み物を預かる。ありがたや。
「あっ、次私の番!」
俺はついと顔を上げた。瑠衣がソロで歌う曲というのが、俺には想像がつかない。見たことのない曲名が表示されているが。
映像が表示され、前奏が始まったところで、俺はようやくこれがボカロ曲だと気づいた。
へえ、瑠衣はこういう曲を歌うのか。じっくり聞き入ろうとした瞬間、俺は津波に襲われた。暴力的なまでの、言葉の数という波に。
凄まじい語数の言葉が、瑠衣の口から放たれていく。
俺は自分が何を聞き、何を体験しているのか、さっぱり分からなくなった。
荒波のような歌詞にもまれること、約四分。
「あ~、スッキリした!」
ご機嫌で腰を下ろす瑠衣を横目で見ながら、俺は熱に浮かされたようになっていた。
今の四分間、これは何だったんだろう……?
亜空間を脱した頃には、既に次の曲は始まっていた。歌うのは――おや? 朔実と涼介の二人がマイクを握っている?
おお、流行りのデュエット曲じゃないか! これくらいは俺でも知ってるぞ。去年の紅白でも歌われて――。
って違う! 問題はそこじゃない!
朔実と涼介が仲睦まじく過ごしている、ということだ!
こうして、カラオケの一曲目は全員が歌い終わった。
「ん? どうかしたんですか? 皆さんすごくニコニコしてますけど……」
控えめに尋ねてきた涼介。しかしその問いに答える者はない。
答える権利と義務があるのは朔実だけだが、今はそのタイミングではないだろう。
「では二周目、またわたくしから参りますね」
そう言って、潤子は再びジブリを歌い出した。
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