第10話


         ※


「ふわ~あ……」

「あら、美幸ちゃん、お目覚め?」

「んあ、よく寝た」


 しばらく体操の練習をして、ちょうどキリのいいところまで経った頃。

 教室後方で眠りに就いていた美幸が、ゆらりと立ち上がった。


 正直、練習に参加していない先輩の態度に思うところはある。だが、やや着崩れしたセーラー服が妙に扇情的で、俺の敵対心は失せてしまった。……情けない。


 その時、ちょうどチャイムが鳴った。午後六時。そろそろ部活動終了の時刻だ。


「じゃあ、わたくしと美幸ちゃんでポスター作製に戻りますわ。これで今日は解散とします」

「了解です」

「分かりました」

「ういーっす。お疲れ様っす」


 俺と瑠衣、それに朔実は、各々挨拶をして三年十組を後にした。

 ――はずだったのだが。


「ああ、そうだ。茂樹、ちょっと付き合え」

「え? 何ですか、朔実先輩?」

「いいから! じゃあ、瑠衣とはここでお別れな! 気をつけて帰れよ!」

「あっ、はい。お疲れ様です」


 瑠衣は自分より、朔実に連行される俺を心配してくれている様子。もっとも、彼女とて為す術があるわけではないが。


 俺は勧誘された時と同様に、朔実に手首を引っ掴まれて廊下の反対側まで連れてこられた。そのまま階段を下りると、見えてくるのは体育館だ。

 朔実はさらに、その裏側へと回っていく。


「どこまで行くんです、先輩?」

「うむ、このあたりでいいな」


 いつも通り、ツインテールをぐるん! と振りかぶって、朔実は俺に対峙した。

 今は薄暗くなっていて、しかも校舎からの光の加減で朔実の顔は窺えない。


 そんなこんなで俺が困惑を隠せずにいると、朔実がすっと息を吸う気配がした。

 そして、こう言ったのだ。


「あたい、廣坂朔実は、夏海涼介に恋をしている! 婿の筆頭候補だ!」

「ぶふっ!?」


 あまりにも唐突すぎるカミングアウト。なんじゃそりゃ。


「ちょっ、突然何言いだすんですか朔実先輩! っていうか、今の声、誰かに聞かれたら……!」

「案ずるな! 運動部は皆、グラウンド反対側の用具入れに殺到している! 立ち聞きされる心配はない!」


 いや、そりゃそうだろうけれども。

 なんとか心理的姿勢を立て直し、俺は尋ねた。


「もしかして、俺に協力しろって言うんですか?」

「うむ。お前に頼みたいことはただ一つ! あともう一回、あたいと涼介の出会いの場を設けてくれ!」

「え?」

「二つ目!」

「って、頼みはただ一つ、って言ったじゃないですか!」

「細かいことを気にするな! あたいは夏海涼介という人間を見極め、想いを伝えようと思う! 無論、対面でだ! お前にはその手引きを要請する!」

「は、はあ」


 まあ、涼介をどこかに呼び出すくらいなら苦労はないだろうが……。

 しかし問題は、頼み事の一つ目だ。何をどうやって、二人を会わせろというのか?

 

「参ったな……」

「ん? まだあたいがフラれたと決まったわけではないぞ? 参ったなどと軽々しく言うな」

「ま、まあ、それはそうでしょうけど――」


 しかし、俺は言葉を続けることができなくなった。朔実が驚異的瞬発力で俺の背後に回り、口を手で押さえつけたからだ。


「むぐむぐ!」

「シッ!」


 体育館の外壁に背を押しつける俺たち。するとちょうど、体育館の出口から声がした。

 どうやら、まだ残っている生徒がいたらしい。耳を澄ますと、バレーボール部員らしいということが分かった。涼介とは無関係だな。


「ねえ、明日土曜だけどどっか行かない? 新歓も兼ねてさ」

「なら私はカラオケに一票!」

「おっ、いいねえ! じゃあ、その後ボーリングってどうよ?」

「いいじゃんいいじゃん! じゃあ皆に連絡回しとくね!」


 だんだんとバレーボール部員の声が遠ざかっていく。一方、俺の肺も限界を迎えつつあった。

 中途半端なタイミングで息を止められたため、窒息しつつあるのだ。


「もがもが!」


 俺が必死に腕を振り回すと、朔実は一言。


「よし」

「だはあっ! はあ、はあ……」


 腰を折って荒い息をつく。


「おい、どうしたんだ、茂樹? 話の途中だぞ」

「せ、先輩、が、俺を、勝手に、押さえつけてたんでしょうが……」

「まあ、そうとも言えるな」


 じゃあ他にどう言うんだ。まったく、後輩に無理難題を吹っかけておいて……。こっちがカラオケで喚き散らしたい気分だ。


 ん? 待てよ? カラオケ……?


「何か思いついたのか、茂樹?」

「ええ、取り敢えず案は思い浮かびました。明日か明後日の土日、どちらかでいいんですけど、皆予定は空いてますか?」

「あたいは二日共空いているが……。何だ?」

「早めに他の部員にも、空いている日程の確認をお願いします。俺は涼介に予定を訊いてみますんで」


 俺は作戦内容を朔実に伝えた。


「うおおおお! それじゃあ早速、皆の予定を確認しねぇとな! ありがとよ、茂樹! んじゃっ!」

「あっ、はい、お疲れ様です」


 歓喜を全身で表現しているのか、朔実は猛スピードで駐輪場へと駆けていった。


「……台風みたいな人だな」


         ※


 翌日の昼過ぎ。

 俺は涼介の住んでいるマンションのエントランスにいた。


 空調機の前でぼんやり突っ立っていると、チリン、と音がして目の前のエレベーターが一階に到着した。スライドドアが開いて出てきたのは、半袖に薄手のスラックスに身を包んだ涼介だった。


「おはよう、茂樹。待たせたかい?」

「あ、いや、そんなことはないよ」


 すると涼介は笑顔をしかめっ面に変えた。不快だというのではなく、申し訳ないという雰囲気だ。


「昨日連絡を貰った時も言ったけど、僕は茂樹の期待には応えられないと思うな……」

「まあまあ、それはこれから判断してよ。俺が上手く中継ぎするから」

「うん、茂樹がそこまで言うなら」


 ちくり、と罪悪感が俺の胸に刺さる。


 昨日俺がやったこと。それは涼介を、無理やり合唱部に体験入部させるというものだった。

 もちろん、涼介の心はサッカー部一本に絞られている。それを承知の上で、合唱部の皆に引き合わせるには、あたかも俺が困っているように見せかけるしかなかった。

 男子が一人しかいない、頼れるのは涼介だけだ、と言って。まあ、半分は本音なのだけれど。


 一応、朔実に確認は取った。二人っきりにしなくてもいいのかと。

 すると朔実は、むしろある程度人数がいた方がいいと言う。涼介と二人だけでは雰囲気の作り方が分からないから、だとか。

 その気持ちは分かる気がする。しかし、それで後々告白などできるのだろうか?

 まあ、それは朔実のみぞ知る、といったところか。


 朔実が連絡を取った残り三人は、皆予定が空いているとのことだった。

これで取り敢えず、面子は揃ったわけだ。真相を知らないのは涼介のみ。さて、どうなることやら……。


 駅に着いた俺たちは、いつもの学校へ向かうのとは反対側のホームに立った。既に桜は散りかけていて、周囲一帯が緑色に様変わりしているような感覚に陥る。


 それにしても、これから見知らぬコミュニティの人間に会わされるというのに、涼介はよく落ち着いていられるなあ。

 俺ならこの時点で、帰ろうとか中止してくれとか喚き出すところだ。


 そんなことを考えていると、アナウンスと共に電車がホームに滑り込んできた。

 今回の集合場所になっているのは、駅前は駅前でも、新幹線の停車駅にもなっているような中心市街地の駅だ。

 二十分ほど電車に揺られることになる。


 その間、俺と涼介は他愛もない会話に興じた。もっとも、俺は周囲の人に怖がられないよう、ぼそぼそと小声で話していたのだが。


「でもさ、茂樹」

「ん?」

「僕は茂樹の声、いいと思うんだけどな。そんなに嫌いなのかい、自分の声が?」

「と、突然何言いだすんだ?」

「だって、合唱部の人たちとは普通に会話したり、歌ったりしてるわけだろう? 僕にはそれが似合ってるように感じるんだよ、茂樹にはね」

「そ、そうかな……」


 そうこうしているうちに、俺たちは目的の駅に到着した。


         ※


 合唱部の面々は、すぐに見つかった。というより、目立っていた。

 三人が春というより晩秋のような、単色系の地味な服装でいるのに対し、一人だけ季節を先取りした夏らしい格好の女子高生がいる。言うまでもなく、朔実のことだ。


 なるほど、朔実以外の三人は、示し合わせて自分たちは地味な裏方に徹しようというわけか。

 一方の朔実はと言えば、半袖の活動的なシャツにホットパンツだった。どちらも橙色の派手な色彩である。

 これもこれで似合うのだな、などと思っていると、しかし朔実の方から声をかけてくる気配はない。


 やはり涼介を前にして緊張しているのか。

 どうしたものかと皆の顔に視線を巡らせていると、一歩こちらに歩み出る人物がいた。潤子だ。

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