第4話

「ところで茂樹、昨日二本角の怪物に拉致られたってのは本当なのかい?」

「二本角の怪物? なんだよそれ、って、あー……」

「思い当たりがあるようだね?」


 不気味に口角を上げて見せる涼介。これでもイケメンに見えてしまうのだから大したもんである。


「あれは合唱部の廣坂朔実先輩。飴を貰ったら突然引っ張られた」

「合唱部? 僕はてっきり陸上部の先輩かと――って、ちょっと待て」

「ん?」

「まさか茂樹、合唱部に入るつもりなのか?」


 そう言い放った時の涼介の驚きようといったら、そうそう忘れられるものではなかった。目と口をまん丸に開き、肩をすとんと下ろしている。膝カックンでも仕掛けようものなら、全身が崩壊していきそうだ。


「ああ、そっか……」


 俺は呟きながら、後頭部に手を遣った。他人に対して明確に、自分の合唱部入部表明をするのはこれでたったの二人目だ。しかも一人目は瑠衣だから、合唱部関係者。

 親友とはいえ、部外者である涼介にとっては衝撃が大きすぎたかもしれない。


 涼介は腕組みをして、うーむと唸った。


「なるほど、ということは、さっき茂樹と一緒に歩いてたのは合唱部の一年生か」

「ああ、愛川瑠衣さん。そういえばクラス訊くの忘れちゃったな」

「ふうん、ま、いいや。おっと、予鈴が鳴ってる。教室に入ろう」


 涼介が明けてくれたドアを有難く通過しながら、俺は一年四組へ足を踏み入れた。


         ※


 そして放課後。

 俺は辛うじて、授業初日を乗り切った。入学式から数えて二日目ではなく三日目から授業があったというのも、不幸中の幸いだったかもしれない。

 それだけ部活動選択に余裕を持たせているということだろうか。だとしたら随分と太っ腹な高校だ。入学した後で言うのもなんだけど。


 さて、問題はここから。俺は昨日の空き教室に行きたい。が、行ったのは一回きり。しかも目まぐるしく連行されてしまったため、何という名前の教室だったか覚えていない。

 実際三階に上がってみれば分かるかもしれないが、上級生ばかりの廊下をうろつくのは得策とは思えない。


 いっそのこと、昨日と同じように連行してもらえれば――。


「はぁぁぁぁるぅぅぅぅやぁぁぁぁまぁぁぁぁ!!」

「うわっ!!」


 ビビった。それはそれはビビった。今朝涼介から聞いた二本角の怪物が、突如として目の前に現れたのだ。

 いや、これは怪物じゃない。朔実先輩だ。俺は自分に必死に言い聞かせ、辛うじて足の震えを押さえ込んだ。

 これから先、頭の中で合唱部員の名前を呼ぶときは敬称略ということにしよう。


「逃げずによく来たなぁ、春山茂樹ぃ! これより貴様を空き教室――通称・旧三年十組へ連行する! ここが年貢の納め時だぁ!」

「ちょっと待ってください」

「あぁん?」


 謎の乱入者に、朔実はぐるん! とツインテールを回して顔を上げる。


「僕は春山茂樹の友人の、夏海涼介といいます。誤解でしたら申し訳ありませんが、あなたは茂樹の意思を無視して、無理やり合唱部に入部させようとしているのではありませんか?」


 あちゃあ、それを言っちゃあ駄目だよ、涼介。俺はもう合唱部に入ることを決めている。それにこんな物言いをされて、朔実が黙っているはずが――。


「……」


 黙った。あの朔実が、沈黙した。ど、どういうことだ?


「あ、あのぅ、そこの御仁。もう一度拙者にお名前を教えてくださらぬか?」

「はい。夏海涼介です」


 喧嘩を売られると思ったのだろう、やや固い口調で答える涼介。その前に、朔実の時代劇がかった口調は何なんだ。


「う、うむ、ここは夏海りゃ、りょ、涼介殿、誠に失礼。夏海涼介殿の顔を立てて、貴様を静かに連行する。異存はないな、茂樹?」

「は、はあ」

「ついて来い」


 急に大人しくなった朔実。取り敢えず、俺は涼介に軽く手を上げながら鞄を提げ直し、旧三年十組とやらへと素直に連れていかれた。


         ※


「そうか、なかなか現れぬと思ったら、教室の場所を思案しておったのか」

「はい。わざわざ迎えに来てくださってありがとうございます」

「礼には及ばぬ」

「でも、その侍口調は止めた方がいいんじゃ……」

「あぁあん!?」

「す、すみません……」


 振り返って睨みを効かせてきた朔実に、俺は素直に謝っておく。


「ここだ。見覚えあるよな?」

「はい。昨日のことですから」


 そうか、と俺は心の中で手を打ち合わせた。そうだった、確かにこの教室だけ、ドアが古い木製のタイプだった。

 がらがらとドアを開ける朔実先輩。自分の制服に乱れがないか確認していた俺は、次の先輩の行動に対して大きく反応が遅れた。


「さぁ入れぃ! 新入部員、もっかいゲットだぜ!」

「ちょっ! 何をするんで――」


 と言いかけて、ぼよん、と何かに頭部を打ちつけた。

 いや、打ちつけたというのは違うな。衝撃を綺麗に吸収され、柔らかく包み込まれたと言った方がいい。


 何だ何だ、この感触は? 取り敢えず離れてみないことには、その正体が分からない。

 よろよろと距離を取ると、何者かの足が目に入った。すらっとした綺麗な脚が、細めのスラックスに覆われている。


「あっ、どうもすみません。突然ぶつかっちゃって――」


 顔を上げると、そこにあったのは相手の顔ではなかった。

 胸だ。胸部だ。おっぱいだ。


「どわひぃっ!?」


 慌てて距離を取る俺。しかし、すぐに入口側の壁に背中がぶつかってしまう。

 相手の方が随分背丈があるらしい。そう判断した俺は、ちゃんと目を見て謝るべく、ゆっくりと顔を上げた。そして、ドン引きした。


「ぐすっ、ぐすっ、うわああああああん!」

「え、あ、ちょっと!?」


 相手はフォックススタイルの眼鏡の似合う、見るからに理知的な人物だった。白いブラウスの上からスーツを着用している。学校にいるから教職員だと分かるが、街で見かけたらスタイルのいいOLさん、とでも認識するところだ。


 それはそうと。

 突然子供のように泣き出してしまった先生に、俺はどう対処すべきなのだろうか?

胸に抱き着いてしまってごめんなさい、とでも言えと?


 俺が対応に苦慮していると、先生はこんなことを言い出した。


「びえ~ん! せっかく共学になったから楽しみにしてたのに、男の子に拒絶されちゃったあ! お姉さん、もう生きていけないわ!」

「ちょっと何言ってんすか、ヤマちゃん。誰だって突然おっぱい攻撃喰らったら引きますよ」


 やや鋭い口調で、後ろの方で突っ伏している美幸先輩が持論を語る。


「ヤ、ヤマちゃん……?」

「あー、少年くんは知らなかったんだねー。この人は顧問の谷ヶ崎麗先生だよー」


 ああ、やっぱり顧問だったのか。と、いうことが分かったところで、何も問題解決になっていない。

 幸いなのは、俺が先生を拒絶した『ように見えただけ』だということ。こちらから謝れば済みそうだ。


「あの、谷ヶ崎先生、どうもすみません。その、えっと……ぶつかってしまって」

「ぶつかってなんていないわよ!」


 先生は目を真っ赤にして顔を上げた。


「あれは先生なりの愛情表現! ハグしてあげたの! それなのにあなたが逃げちゃうから……」

「そっ、そりゃあ逃げますよ! 一歩間違えば、俺の方が痴漢じゃないですか!」

「ううう、そんなつれないこと言わないで……」


 朔実の方を振り返るが、両の掌を上に挙げて、やれやれとかぶりを振るばかり。

 が、しかし。

 俺が先生の方に向き直ると、先生はもう泣き喚いてはいなかった。それどころか、爛々と目を輝かせ、眼鏡越しに俺を鋭い視線で射貫いてくる。


「ねえあなた、今の台詞、もう一度言ってみてくれない?」

「え?」

「いやいや、え? じゃなくてね? あなたが先生にかけた言葉、もう一度聞かせてくれないかしら?」


 今の台詞、って……。


「お、俺の方が痴漢じゃないですか……」


 自分を弁護するはずの言葉なのに、再度言わされると屈辱的な気分になる。

 それと反対にテンションアゲアゲなのは、谷ヶ崎先生の方だった。


「なんてクリアな低音! そう! 私たち霞坂高校合唱部は、あなたのような人材を求めていたのよ!」

「は、はい?」

 

 すると先生は、ぱっと俺の両手を取ってぐいっと引いた。


「潤子ちゃん、音楽準備室、今空いてるわよね?」

「はい、今は大丈夫です」


 淡々と答える潤子。一体何を見聞きしていたんだ。


「それじゃあ、私が直々にあなたの適性パートを選んであげる! ささ、こっちへ! えーっと……」

「ああ、俺は春山茂樹です。一年四組です」

「茂樹くんね! じゃあ、ちょっと隣の部屋に行きましょうか!」


 ルンルンと鼻歌を奏でながら教室を後にする先生と俺。

 そんな状況で場違いながら、ふとある人物のことが気になった。


「瑠衣はちゃんと飴配れているかな……」


 誰にも聞こえないように、そう呟いた。

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