第2話


         ※


 そして現在。

 俺は有難く頂戴した飴玉の一つを口に含み、ころころと転がしていた。一体いくつもらったのだろう? ポケットはパンパンだ。


「いやあ、瑠衣もよくやってくれましたよねぇ! 共学になって早々、男子部員、ゲットだぜ!」

「ちょっと朔実さん、まだ確定ではありませんよ。彼の意見を聞く必要があります。それに、自己紹介もしておかないとね」

「あぁ、そうっすねぇ! じゃあ、あたいから!」


 そう言うと、俺を連行してきたツインテールの先輩がぐっと胸を張った。あんまりない胸だな、と思ったのは俺だけの秘密。


「二年七組、廣坂朔実だ! パートはメゾソプラノ! よろしくな!」


 こくこくと頷く俺。次は、自己紹介を促した先輩だった。


「三年二組、秋野潤子と申します。パートはアルトです。分からないことがあったら何でも遠慮なく訊いてくださいね。よろしくお願いいたします」


 深々と頭を下げる潤子先輩。こんなに丁寧に接されたら、普段の俺なら委縮してしまうところだ。

 が、潤子先輩は適度に脱力していて緊張感を纏っていない。やや高めの身長と和風のポニーテールが似合っていて、丸眼鏡の向こうから差す眼差しも穏やかだ。


 俺もまた、ゆっくりとお辞儀を返した。

 そうそう、先輩っていうのはこういう人のことを言うんだよな。さっきの男口調な朔実先輩とは違って。


 さて、残るは机に突っ伏し、目だけを動かして様子を見ている人物だが……。


「さ、あなたもご挨拶なさい、マーキュリーちゃん」

「な!?」


 マーキュリー? あのイギリスの伝説的ロックバンドのボーカルかっ!? 俺も大好きだっ!

 

「ほえ? ああ、あたしの番か」


 しかし、かのボーカリストの姿は見る影もなく、逆にどんよりとした雰囲気が漂っている。そのまま、件の先輩は席を立った。


「えーっと、美幸・マーキュリーですー。パートはソプラノ。ああ、クラスは三年八組ねー」

「……」

「どしたの、少年くん?」


 俺がぽかんとしていると、潤子先輩が間に入った。


「ああ、美幸さんはお父様がアメリカ人なの。まあ、生まれも育ちも日本なんだけどね」

「どーしよー、英語今度は赤点かもー」

「……」


 さっきとは違う意味で、俺は黙した。美幸先輩とやら、英語赤点って……。

 だが、それより大問題がある。ずばり言ってしまえば、美幸先輩の容姿だ。


 金髪のウエーブのかかった髪に、碧い深みのある瞳。

 彼女もまた長身で痩せてはいるのだが、ここで言及すべき点が一つ。


 胸だ。巨乳なのだ。本人がぐったりしている分、重心が定まらずにボインボインと揺れている。

 俺は思わず、目が吸引されそうになった。


「ん? どしたの、少年くん?」

「なっ、ななな何でもありませんっ!」


 するとちょうどよく、景気のいい声が割り込んだ。


「ああっ! そうだ、愛川の援護に行かねばっ! また一年生を連れてきやすぜ、先輩!」

「よろしく頼みますわ、朔実さん。くれぐれも強制連行はしないように!」

「分かってまさぁ、んじゃっ!」


 すると竜巻のような勢いで、朔実先輩は教室を出ていった。俺は半ば強制連行されて来たんだが……。また犠牲者が出る、ということか。


「さて、そういえばあなたの自己紹介を伺ってなかったわね。お名前から教えていただけるかしら?」


 相変わらず穏やかな口調で尋ねる潤子先輩。ううむ、これは地声の低さを隠せる状況ではないなあ。さっきちょっと喋っちゃったし。


 しかし、いざ自己紹介となると……。

 ここにいるのは先輩が二人。共に初対面。この場で踵を返して、やっぱり無理です! と言える状況でもない。


 ええい、こうなったら当たって砕けろだ。いや、入部希望ってわけではないけれども。


「いっ、一年四組、春山茂樹です! 趣味は週末のガンプラ作りです! よろしくお願いします!」


 勢いで、よろしくお願いします、とまで言ってしまった。だから入部希望ではなくて――。

 などと考えていると、先輩二人が顔を見合わせていた。何だ? 何かマズいことを言っただろうか。趣味をガンプラと言ったから、オタクだと思われたのだろうか?

 そりゃまあ、お台場に実物大ガンダムが立った時には喜び勇んで観に行ったけれども。


 先輩たちが俺に視線を戻した。


「あの、俺、何かマズいこと言っちゃいました……か?」


 すると唐突に、潤子先輩がずかずかと歩み寄り、ぐわしっ! と俺の両肩を掴んだ。先ほどまでの大人しさはどこへやらだ。


「ねえ、春山茂樹くん! 改めてお尋ねするわ!」

「はっ、はぃい?」

「あなた、合唱に興味ない?」


 が、合唱? まあ確かに、今までの会話の流れからすれば、ここが合唱部の拠点であり、俺が勧誘されるのも道理だが。


 どうしたものかと必死に頭を回転させていると、突然潤子先輩の眉がハの字になった。


「あーあー、少年くん、女の子を泣かせちゃ駄目だよおー」


 呑気にツッコむ美幸先輩。


「あっ、あの、すみません、潤子先輩……」

「入部してくれないの? そんなあ、あんまりよ……。去年の三年生は五人いたんだけど、当然皆いなくなっちゃったから、なんとか新入部員獲得を頑張ろう! ってノリだったのに……」


 そうか、そういうことか。

 となると、俺はますます意固地にならざるを得ないな。


「潤子先輩、美幸先輩。本当に申し訳ないんですけど……。俺、自分の声に自信がないんです。こんな低い声、気持ち悪くないですか? 歌うのに合わないんじゃないですか? その……俺なんかいても、迷惑じゃないですか?」


 すると、はっとした様子で潤子先輩が顔を上げた。

 俺の肩から手を離し、そんなことないわ! と一喝。正直、ビビった。


「ねえ、茂樹くん。あなた、合唱で一番重要なパートってどこだか分かる?」

「え? そりゃあ、主旋律を歌ってるソプラノ、とかじゃないですか?」

「甘いッ!」

「どわあっ!」


 潤子先輩は手刀を袈裟懸けに振り下ろすようにして俺に攻撃。慌てて飛び退ったので無事だったけれど。

 ふと横を見遣ると、美幸先輩がやれやれとでも言いたげにかぶりを振っていた。


「確かに、場面によって重要なパートは代わる。でも、常にリズムを刻み、皆を導いていくのは、他でもない低音パートなのよ! そして、あなたにはその資格がある! 才能があるの! だからどうか、私たちと一緒にステージに立ってもらえないかしら?」

「ス、ステージ!?」


 突然出てきた言葉に、俺は驚きを隠せない。だが、思い返してみれば、今日の部活動紹介だって、合唱部は歌っていた。たったの四人で。


 どの部にも所属するつもりのなかった俺は、正直中途半端な気持ちで体育館の檀上に並んだ四人を眺めていた。しかし、感銘を受けなかったと言えば嘘になる。

 たったの四人でも、これだけの人数の聴衆、あれだけの広さの空間を、自分たちの世界に取り込むことができるのだ。


 そんな四人に期待されている――。それを無下にしていいのか?

 俺はごくり、と唾を飲んだ。しかし、出てきた言葉はこれだ。


「あの、す、すみません……」


 できる限り先輩二人から目を逸らすようにして、俺は語った。


「小さい頃から、俺は自分の声が低いことに苦手意識があったんです。虐められやしませんでしたけど、それでも変な目で見られることはあって……。だから、できれば自分の声を聞いてもらう機会は減らそうって、ずっと努力してきたんです。申し訳ないんですが」


 俺はそうっ、と目を上げた。先輩たちの期待に沿えないことに、罪悪感を抱いていたのだ。

 だが俺の目に入ったのは、微かに笑みを浮かべた潤子先輩と、片肘を机について頬に手を添えている美幸先輩だった。


「あなたの気持ちは分ったわ、茂樹くん。こちらこそ、勝手に盛り上がっちゃってごめんなさいね」

「いっ、いえ……」

「もし気が変わったら連絡を頂戴。これ、宣伝用のチラシだから」


 そこには、マイクを握って熱唱する件のマーキュリー氏のモノクロ写真と、『来たれ! 合唱部!』の文字が並んでいる。


 マイクを握ってあんなハスキーボイスで歌う合唱部があってたまるか。などとは思ったものの、それもこの合唱部らしくていいんじゃないか、と思う自分もいた。


「そろそろバスが来る時間だよー。少年くんもそれで駅前まで行ったらいいよー」

「あっ、ありがとうございます、美幸先輩。潤子先輩も」

「うん。定期演奏会とかあるから、よかったら聞きに来て。それじゃあ、気をつけてね」


 俺は深々と頭を下げて、空き教室を辞した。


         ※


「おかえりなさい、茂樹! 雨で大変だったでしょう?」

「ただいま、母さん。バスと電車の乗り継ぎだから、大したことないよ」


 帰宅した俺は母からタオルを受け取り、頭をぐしゃぐしゃと拭きながら玄関に上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る