第二話 陽だまりの中で
町の基地の近くに女学校があり、当時は特攻兵の身の回りのお世話を行っていた。
彼女たちは、多くの特攻兵が若いこともあり親しくなることも多く、中には恋愛感情もあったかもしれない。
小百合は今日から、特攻兵のお世話をする事になったのだ。男性との関わりが無かったので不安はあったが、少しだけのときめきはあったのだろう。恐る恐る兵舎に入り、自己紹介をすることになった。
「今日から兵舎での当番をすることになりました、小百合といいます」
「あ、そういえば、小百合さんじゃない」
「達夫さんですね。昨日は失礼しました」
緊張していた彼女の表情が明るくなった。
「ごめんなさい、勝手に名前で呼んでしまいました」
「ああ、気にしなくていいよ。僕は上杉達夫、階級は少尉だけど達夫でいいから」
「いえ、そんな言い方をしたら先生に叱られます」
「いいんだよ、気にしなくて、君が今日から当番なの」
「はい」
「もしかして、僕の下着とか洗ってくれるのかな」
「はい」
再会という言葉は、二人のことが羨ましかっただろう。それは、これから起こる出来事が起こり得ないように思えたのだった。そこに、佐々木中尉が話しを割ってきた。
「君は可愛いな。達夫と知り合いなのか」
「いえ、昨日ばったり会ったばかりです」
「そうですよ、佐々木中尉、実は小百合さんの……」
達夫は小百合との出会いの話をしはじめたが、小百合はそれを遮るように懇願した。
「いえ、言わないでください」
「はははは、わかったよ」
「恥ずかしいです」
「そうか、俺のパンツは臭いけどいいか」
「はい、大丈夫です、佐々木中尉」
「ありがとう、小百合さん」
でも、本当に恥ずかしいのは佐々木だったのだ。そこには、それを隠すような笑顔が舞っていた。
「佐々木中尉、可哀そうじゃないですか」
「はははは」
佐々木はからかうように、小百合に話しかけた。
「小百合さん、俺の恋人になってくれないか。君は恋人はいるのかな」
「いえ、そういう人はいません」
「だったら、いいじゃないか」
「いえ、学校で特攻兵の方とのお付き合いは禁止されています」
「そうか、それは残念だな」
「そうですよ、佐々木中尉、女学生をからかったら駄目ですよ」
「そうだな、今日からよろしく頼む」
「はい、一生懸命に頑張ります。佐々木中尉」
「俺は、少し散歩でもしてくるか。達夫とでも仲良くしていろ」
「中尉、待って下さい」
小百合は、達夫と二人きりになるのが恥ずかしかったのだ。
優しさが風になっていく。二人は兵舎の中で話し始めた。
「行ってしまったね」
「はい、そうですね。佐々木中尉に何か申し訳ないことをしました」
「そんなことはないよ。気にしすぎだよ。そういえば学校の帰りなのかな」
「はい、帰りにピアノを教えていただいてから、こちらに来ました」
「そうなんだね。実は僕もピアノを習っていたんだよ」
偶然であった、何かが二人を寄せているのかもしれなかった。
「そうなんですね。私はピアノをまだ習い始めてまもなくて、ブルグミュラーという作曲家の曲を練習しています」
「ブルグミュラーはいいね。さほど、難しくはないかもしれないけど美しい曲が多いね」
「今は、ブルグミュラーのゴンドラの船頭歌という曲を練習しています」
「ああ、知っているよ。僕もこれでも以前弾いたことがあったんだよ」
「あの曲は僕も好きだよ。優しい曲だよね。今度一緒に弾こう」
「はい」
「約束だよ」
「はい」
小百合には留美という親友がいた。彼女はひまわりのような、鮮やかな温かい心につつまれていたが、さびしがり屋な一面もあった。小百合より一足遅れで兵舎に入り自己紹介をしようとしたが、小百合はそれを遮った。
「留美、遅いじゃない」
「ごめんなさい。私は留美。今日からここの当番よ。よろしくね」
「留美、そんなに馴れ馴れしい話し方はいけないでしょ」
「まあ、いいじゃないか」
自己紹介をしていると、佐々木中尉が帰って来た。
「ただいま、帰って来たよ。声が聞こえていたけど、留美ちゃんか、君は明るくて元気だね」
「はい、よくそう言われます。でも、元気なだけなんです」
「そうか、僕は佐々木というんだ」
「佐々木さんですね」
「留美、佐々木中尉だからね」
「ちゃんと、中尉と言わないと駄目よ」
「ごめんなさい。中尉とは、すごいですね」
「留美ちゃんか、そんなことはないよ。君は恋人はいるのかな」
「佐々木さん、今、探してます」
「留美、今言ったばかりでしょ。ちゃんと佐々木中尉と呼ばないと駄目よ」
「いいんだよ。小百合さん」
「佐々木で十分だ。留美ちゃん、俺が恋人になろうか」
「どうしようかな」
「いいじゃないか。俺じゃ駄目かな」
「考えておきます」
「はははは。君は面白い子だね。俺のパンツは臭いぞ、洗ってくれるんだね」
「駄目です。自分で洗ってください」
「はははは。これはやられたよ、よろしくな」
「はい、佐々木さん」
「留美、駄目よ。さっき言ったばかりでしょ」
「いいんだよ、佐々木さんで」
「はい、佐々木さん」
「もう、留美」
「はははは。元気があってよろしい」
「はい、佐々木中尉殿」
「ははははは。わかったよ。留美殿」
「小百合は真面目だから、からかわないでくださいね」
「ああ、わかったよ」
こぼれ日の陽だまりがあった。兵舎の近くには碧く緑が染まった野原が広がっていた。地平線には夕日が沈む光景が見られたが、赤く染まっていたのは野原だけではない。それは互いに惹かれ合う心があったのだ。
夕暮れ時の野原に佐々木少尉が野原で横になっていたのだ。そこには現実と悲しみが襲っていた。そこに、留美が帰り道で野原を通りがかった。
あ、佐々木さんが横になっている、行ってみよう
「お母さん……」
「佐々木さん、お母さんがどうしたのですか」
「いや、なんでもないよ」
「涙を流してますよ。佐々木さん」
「留美ちゃんだね。もう遅いから帰りなさい」
「佐々木さん、元気をだしてね」
夕日は切ない碧い色を求めているのだろうか。女学校からの帰り道であったが、いつもの景色とは異なっていた。
翌日になり、留美は小百合に昨日の野原での出来事を話した。
「小百合ね、佐々木さんが野原で涙を流していたの。お母さんって言っていたけど……どうして、佐々木さんは泣いていたのかな……」
「留美、あなたもわからない人ね」
「そうだけど、御国のために戦うのだから、こんな幸せなことはないでしょ」
「留美の馬鹿」
「どうしたの? 小百合、走って帰らなくていいのに」
やさしさだけではなく悲しみの風も吹いていた。いずれ、それは何を意味するのだろうか。この時は二人に何が待ち受けているのかわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます