2枚目-キエル ⑥
ビルを通り抜ける風の特有の音で目が覚めた。
「また…?」
いや、情報を集めるチャンスだ。
少女の姿もあった。
「少し離れているな…」
問題は、どうやって近づくか。
前回は、ビルの屋上で。今回は浮遊状態。
試行錯誤の結果。歩くことをイメージすると移動しやすい。
「さて、次は…」
体勢を立て直し、つま先で空を蹴ると、移動できた。
これをつかって、行き交う人の近くまで寄ってみる。
この間、いい思いをしなかった手法は使わない。
道を歩いている人には、俺は見えていないみたいで、騒ぎにはならない。
立っていても避けることなく、ぶつかることもない。体になんかの感触もない。
アバターでは、多少の振動があるように設定している。ということはアバターではない。
ビルを蹴ってみる。蹴った反動や痛みはないが、体は後ろへ飛び浮かんだ。
今度は、ビルを勢いよくけって、体をひねり、反対方向の建物も蹴ってみる。
『ゲームみたいだな』
笑い声。漏れて聞こえる歌。飯のにおい。
俺たち以外の人の何気な行動。
半日見てないだけで、すごい懐かしく感じる。
「楽しい?」
少女の声は、遠く離れて見えるのに、きちんと声が届く。
―思ってはいたことが、確固たるものに変わっていく。
『この夢は、やっぱり無関係ではない』
じゃあどうやって、それを裏付けていくか。
今の状態を少しづつ知るしかない。
この夢のことを、説明するときに、すこしでも情報があったほうがいい。
少女は満面の笑みで俺を迎えた。
「こんばんはー!いい夜だね。見て―。あの人たちなんか特に楽しそうだよ。久しぶりに会ったんだって」
「…こんばんは」
少女は、いろいろ指さしては笑う。
この態度は、なんなんだ…。
「そういえば、君の名前を聞くのを忘れてたから、教えて―」
「―無理」
あんなに楽しそうだったのに、この拒否反応。
逆光で顔もみれない…。しばらく、彼女の特徴や素性を探るのは無理そうだ。
「あは…あはは―…。ごめんね。でも、教えられることは、教えるよ」
「じゃあ…。昨日、招待しますって言ってたよね。あの世界は君が―」
「そう。私が作った世界だよ」
「俺たちを転移させた?」
「そうだね。死んでないから、転生ではないよ。不安だった?」
「まぁね。死んでもおかしくないことがあったから。元の世界では、俺らはどんな風になってるの?」
「深く眠ってるって感じ。周りは大事だと思ってないよ」
あんな時間にあの人数が深く眠っても?
「んー。あの世界この世界だとアレだなー。区別しやすいように、名前を考えておくよ。なにがいいかなー」
「あの人選に理由ってある?」
「あー。まだそんなに経ってないのかー」
懐中時計を見て、ため息交じりにいう。
ため息をつきたいのはこっちだ。
「半日経った」
「そっかー。それは、醍醐味のひとつだから教えられないかな」
「この夢のことも?」
「夢かー…。うーん…」
…この悩み方は、夢ではないというのか?
でも、さっき試したことも含めると、俺がこれを現実として捉えるのは、まだ難しい。
「そうだ。感想くれる?」
「なんの?」
「世界の感想!名前つけるときの参考にしたい!!」
楽しそうに話すのは、創造主としての純粋な気持ちか?
「―…変わった世界だなとおもうよ」
「ほうほう」
「今もそうだけど、わかりにくい」
「わかりにくい…―。あー…。あー!!!!たしかに!!学校だもんね。異世界風味強めがよかったかな」
「冒険する性格じゃないから…」
「あぁ。佐山君はそういう人だったねー」
「平和ならなんでも」
「それじゃ、世界を作った意味ないしー!!案内人みたいなのがいたほうがよかったかなー。それとも―」
「…転移されたくなかった」
「それは、言わないお約束でしょー?」
「だって、勝手すぎるだろ!」
もっと情報を集めるべきなことも、わかる。
少女の態度に、自制がきかなくなる。
もう無理だ。
空気がわかりやすいほど冷えていく。
「君が誰で、何の目的なのか。それにい、なんで俺に言う?岬先輩とかじゃだめだったのか?」
「佐山君じゃなきゃダメ」
「生きてる人が持つ特権とか、フェアでありたいとか言ってたけど、やってることがフェアじゃないじゃん」
「皆のこと、ちゃんと大事に思ってる。だから、あの世界を作ったの」
「大事にしてる?どこがだよ。死ぬかと思ったんだぞ」
「切り替わりだよ。それに、切り替わりは、こっちが用意したものじゃないし」
どこかズレてる。少女にどれほどの力があるかは別として。
本当に大事に思うなら、そっと見守って欲しかった。
転移したことで、逃げられないことが増えた。
「人間が生きていくために、目を背けることもあるよ」
「生きていくには、何かを犠牲にしてるのが普通ってこと?」
「そうだね」
「それは、おかしいよ」
「おかしくはないよ。我慢して、遠慮して。そうやって生きていく」
「わかんない」
「生きてく上で、仕方ないことなんだよ」
「逃げることは悪いことじゃないよ。だけど。傷つく事が大前提みたいな言い方するの」
「避けられないからだよ」
「だから、そうじゃない方法もあるってば」
「君も、俺らの立場をそうさせてるじゃないか!!」
「!?」
「こんな形で、逃げ場なくして!!なにがしたいんだよ!!」
黒い靄がべっとりと覆ってくる。
敵意むき出し、数えられない視線。
心拍数があがり、呼吸が乱れる。
呼吸を落ち着かせて―。違う。
意識的に呼吸をしないと、止まってしまう。
声が、言葉が闇の中で反響し。その中で溺れて薄れていく。
本音。恨み。悲しみ。やりきれない感情が呪いのように何度も、俺を刺す。
俺はこういう状況を、知っている。
「香織…?」
いつからいたのか香織は、まっすぐ。冷たく。俺を否定してる。
なんでそんな顔をするんだ。言葉も、手も届かない。
「手、どうしたの?」
俺の手は、赤黒い粘液で染まっていた。
べたべたして、ドロドロとして気持ち悪い。
「なんだこれ」
「それは血だよ」
「変なこというなよ」
「何、持ってるの?」
鈍く淡く光る千枚通しのようなもの。
「知らない。俺のじゃないよ」
振り払う。綺麗でいて悲しいく、寂しい音を立て折れた。
「俺は、誰かを傷つけるようなことは極力していない!!」
香織の頬を、一筋血が流れた。
痛みにも表情をかえず、拭おうともしない。
「え…」
「まだわからないの?」
「おい…。趣味悪すぎるぞ」
「見えやすいようにしただけ」
「なんだそれ」
「極力してない…か。すごいね」
「馬鹿にしてんのか」
「人が傷付くってね。いろんな形があるんだよ。極力してないようにしてても。それは佐山君の視点からで。その人のどこに傷ができるかなんてわからない」
「…ッ」
「それを思いさせてあげる。あの世界でちゃんと生きてみせてよ」
「ふざけるな。全員、今すぐ元の世界に帰してくれ」
「私は、ここでいいよ」
「香織を使ってしゃべるな…」
「ううん、これは、私の本心だよ」
「え?」
「佐山君が、いるなら、私はここでいい」
今まで見たことのない、強い意志を持つ目に、吸い込まれる。
「…佐山君、言ったよね。どこにも行かないって。一緒にいるって言ったよね?」
「でも…。今まで通りの生活のほうが―」
「私は、ここでいい。ここがいい。一緒ならどこでもいい。だから絶対離れないで。消えないで。死なないで」
―――
「―ッ!!!ハァ…」
助かった。
重く残る嫌悪感と、最後まで夢とは言わなかった少女。
反響した声と香織の視線。
喉の奥、耳の奥のまで、なにかがべったり張り付いて取れない。
ハッと横を見る。
寝息をたて、すやすやと寝ている香織は穏やかな顔をしている。頬も、傷ついてない。
「夢…でいいんだよな…?」
触れたい衝動はあったが、起こしてしまいそうで、我慢する。
顔を見れた。それだけでいい。今はその事実が1番いい。
とりあえず、汗の不快感をどうにかしたい。
「風呂入り直すには、岬先輩の許可があったほうがいいだろうな…。ここから近いとなると」
運動部がよく使う、大きめの水場があるのを思い出す。
香織を起こさずにそっと抜け出し、廊下を歩く。
階段を降り、外に出る空気の冷たさに清らかな気分と、安らぎを感じた。
「はぁ…」
水場につくと、心の底から安心し、体から力が抜けていき、情けない声が出た。
あのまま目が覚めなかったら、殺されていたかもしれない。
夢で殺される…?
夢とはおもえないほどの狂気に、殺されるところだった…?
はは、とんでもない感情だな。
「どうした?…顔色悪い?」
「あぁ、いや…」
「ん?」
「ちょっと…悪い夢を見て…」
「そっか」
だめだ。情報がすくなくて。関係のありそうだとおもいつつも今は、うまく説明できない気がした。
あの時みた、俺の両手は、この世のどんなものよりも凶悪なものに見えた。
今は、汚れてないだけだろうか。
他にはどう見えるだろうか。俺は、汚いのか?
「手、どうかした?」
「夢で、その…。ひどく汚れてて」
「どこも、汚れてないよ」
「うん」
「痛みは?」
「ないよ」
冷たい水を頭から被る。心をゆっくり整えてくれる。
こんなに取り乱すなんて、バカだな。
「あ、やば。タオル忘れた」
「―ここにおいとく」
「ありがとう」
手を洗った後も、しばらく水を流してぼうっとしていた。
考え事もしていたのだけれど、いろんな物事を考えていた気がする。
俺はどうすればいい?
俺は、俺たちは、どうしてこんな目に遭っている?
たぶん、
もうなにも考えたくはない。
タオルで水を拭きながら、空をみあげた。
「あれ?」
…俺。さっき、誰と話してた?
月が、欠けていく。深い夜は、まだ明けそうにない。
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