2枚目ーキエル ④


脈をとる岬先輩の手が震え、動揺をかくせていない。

「岬さん…」

「麻実。時間計ってくれ」

「はい」

「大丈夫ですか?」

「弱いけど、脈はある」

「よかった…」

迂闊に近寄れないなとおもってる横で、香織が破片を手に取った。

「危ないよ」

「これ、ガラスじゃないよ。氷」

「氷…?」

「ほら」

香織の手のひらで、じわりと溶けていく。

よくみると床に散らばった一部は、溶けはじめていた。

ガラスじゃなかったら余計に気味悪い。

「こんなにたくさんの氷…。どこから…」

「菊姉、なにがあったのかな」

「本人にきいてみないとわかんないな」

滲んでいく、黒い液体を指す。

「岬先輩」

「なんや、香織」

「それもしかして…」

「医療班のカバン。頼む」

「はい!!」

「私も何か―」

「何が、できるっていうんですか?」

「そういう言い方はないだろう」

久しぶりの会話がこれか…。

「僕らは適切な処置を学んでいません。ここで今は見守るほうが賢明でしょう」

「それでも…何か…」

「安易に近づくよりも、控えているか、他にできることをしようとはなりませんか?」

「でも」

竹内の顔がきれいなまま、歪んだ。

『あぁ…そういう顔をするんだな』

「お友達のことまで気が回らない状態をまず自覚なさったらどうですかと言ってるんです」

「ちゃんと、心配してるよ」

「してませんよ」

「なんでそういうこと言うの…」

「…姫。綺麗事でなんとかなる事じゃないんですよ」

「その呼び方やめろって」

黒い感情を抑えるのに必死になる。

「佐山君…。いいよ。気にしないで。私はちゃんと菊姉のこと心配してるし、なにかできることがあればと思ってるよ」

「では、恒元さんはお友達ではないと」

「そういうわけじゃ…」

「だから、追い詰めるような言い方するな」

「できることがあればといってましたよね?」

「うん」

「では、あそこでひとり震えている恒元さんのお話を聞いてあげようと思わないのですか」

「あ」

「こんな状況になっても、中心にいないとダメなんですか?」

どんな状況でも、梓のことを優先していた香織。

でも今は、菊姉のことばかりで。

梓のことを忘れていたような言動といわれても反論はできない。

「視野が、エゴだらけで狭いんですよ」

悔しいけど、正しい。

輪をはずれ、話しかけもされずに取り残されて震えている。

気付かなかった俺たちは、視野が狭いといわれても仕方ない。

とくに香織は、かなりショックをうけている。

「あー。話し中すまん。竹内、保健室からこのメモのものもってきてくれ」

「はい。ホールの様子もみて、坂巻が回復してそうならみんなで上がってきます」

「頼むわ」

心を許せる数少ない親友だった背中が遠くなる。

当時はまだ香織と付き合う気持ちもなくて、生徒会の揉め事もなく平和だったころ。

香織から、相談をもちかけられた。

ひどい物言いをされて、神経をすり減らしているという聞くにも苦しく、切ないものだった。

姫というのは、香織を攻撃するときの呼び方で。呼び方が姫にかわると、嫌味がひどくなるのだと。

それが同じく編入してきた竹内だと知って、俺はどこか信じたくない気持ちがあった。

香織も、俺の見解を疑って、『信じてくれていない』と思っていたとおもう。

それくらい、違っていた。

信じてないわけではなかった。

久しぶりに話して。言っていたことが裏付けされてしまったわけだ。

俺が知っている竹内は、あんな顔で嫌味をいったり、皮肉を言わない。誰にでも丁寧に接するやつだ。

岬先輩はこちらを見ずに、俺らに梓のところへ行けと合図をする。

引き離してくれなかったら、俺はどうしていただろうか。



「梓ちゃん、なにがあったの?」

「なにって―私は…、通りかかって見つけただけで…」

「疑ってないから」

「本当?」

「うん」

「あの破片。氷みたいなんだ。あれだけたくさんの氷をもってくるのは不可能だよ」

「えぇ…そうね」

「最初はどこにいたの?」

「サジット施設。研究室…」

「何が起こったか、聞いていい?」

「…研究をしていたら、床が沼のようになって、飲み込まれたわ」

「どこで気付いた?」

「屋上」

「また、皆と違うんだな」

「どういうこと?」

「落ち着いて聞いてね。みんなそれぞれ不思議なことがあってね、私たち以外の人が消えたの」

「なにそれ…」

「まだちゃんと聞き取りしてないけど。普通に考えられないことがおきてる」

「人が消えたって?」

「そこから、外みてくれたらはやい」

「…物だけ…。人影がないわね」

「ホールもそんな感じだった。鞄や、今までそこにいた形跡があるのに人がいない」

「…避難したとかじゃないの?訓練や人災に巻き込まれたとかじゃ?」

「全員が地震を感じてたらそうだとおもえるけど。現実では考えられないことがおきたあとだから、違うとおもう」

岬先輩から聞いたことよりも、確認したものをそのまま伝えたほうが、説得力があるだろう。

「どんな仕組みをつかっても、研究室だけ床が沼にならない。そういう装置があるったとして梓につかってもメリットがない」

「いやがらせとか…」

「そうだとしたら、沼にのみこまれてるのに、服が汚れてない。手の込んだことをしているのに、自由に動けるし、怪我もなさそうだ」

「確かに…そうね。けっこうべっとりとしたものに飲み込まれたのに」

「落ち着いた…?」

「えぇ。さっきよりは」


「これでいいですか?」

応急手当がおわって、布団がかけられる。

「生きてるの?」

「生きてる…!息もちゃんとしとる」

「きれいだったから…。ごめんなさい」

「―…苦しそうじゃなかったってことやろ?」

「そうです」

「大丈夫そうですか?」

ちらりと麻実と目を合わせたあとに、岬先輩は静かに言う。

「ちょっと見たことない感じやな。怪我も不思議な感じ。それ以外でいうと、深く寝てる感じやな」

「じゃあ、下手に動かすことはしたくないですね」

「そうやな。経過みときたいし、もう暗いしな…もう外の方までは探さんほうがええやろ。…ここにおるので全員って一旦考えようか。今日は、寝泊まりやな」

「私は、施設のほういってきます」

「あぁ」

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