1枚目ーシミ ⑥
香織を送り終え、自宅についた。
反対側まで行って戻ってくるのだが、苦ではない。
「ただいまー」
「おかえり。今日は早かったわねぇ」
台所からの夕飯のにおいで、お腹がすいていることに気付く。
「今日も生徒会?」
「うん、まぁ」
「そう。おつかれさま」
「…兄さんは?」
「歩は、友達と食べてくるって」
「そうなんだ」
「どうしたの?」
「いや、聞きたいことがあっただけ」
「そう」
夕飯の支度に台所へと消えていく母。
その脇をとおり、自分の部屋につく。
パソコンを起動し始めると、奇妙な音を立てだした。
もうすぐ寿命なのだろう。かといってこの手の部品はもう簡単に手に入らない。
「んー…最新式を買う金も、新しく組み立てる金もないし。稼ぐ時間も…」
開いた手帳には、予定がみっしりと書き込まれている。
「ないな…」
いつリスケがあるかわからない状態で、入れるアルバイトなんてない。
今朝、小峰先生が言っていたのは端末のメンテ先といっていたが。もしかしたら、この手のパソコンの部品の手配もしてくれるだろうか…?
図々しいお願いではあるが、作業ができないほうが困る。
「明日、聞いてみるか…」
今は再起動し安定するのを、気長に待つしかなさそうだ。
ベッドに倒れこんだ。
ずっしりした重さで、疲れてることを感じる。
時間に追われてないのは久々だ。なにせ、過ごし方を思い出そうとしているのだから。
組み立てパズルを解きながら、今日を振り返る。
あのコーヒーがシミになるように、心が乱されていく。
煮詰まる思考から逃げるように、バーチャルワールドを起動した。
リアルの街を模した空間。
大通りでは、いつも通り平穏が混雑してる。
飲んだくれてクダをまいている者。
寝そべっている者。歌を歌う者。
騒がしいがそれぞれに適切な距離がある。独特な安心感で少し落ち着いた。
呼び出し音がなる。確認しなくてもタイミング的に、相手は香織だとわかる。
[こんばんはー!送ってくれてありがとう]
[うん]
[あの場所で、お話しよう]
[向かうよ]
香織は最新式のツールを、よく使いこなしている。巧く表現し、表情豊かに動かす。
シンクロがうまいのかと質問したときには、いつもと変わらないように動いているのをイメージしているだけだと笑ったことがあった。
まるで、本人がそこにいるかのようにできるのは、大したものだと思う。
俺のアバターは、顔から上が動けばいいほうで、うまくリンクしていない。
リアルもバーチャルも、俺は一緒だが、リアルよりはうまく話せるような、余裕をもてる。
宇宙と混じりあう街。懐かしさの残る、俺たちの場所。
[一人になったら、また落ち込んできちゃったんだ…]
お気に入りの場所に腰を下ろす。
[大丈夫?]
[うん。大丈夫。私がうまくやれてないだけだから]
[最初からうまくいくのは難しいよ]
[最初だから、しっかりしたいんだよ]
[…噂があるから?]
[うん]
[そっか…]
[ごめん。ちゃんと明日はやれるよ!」
[無理しなくてもいいけど…]
[無理とかじゃなくて!…ごめん]
[今夜はもう考えるのはやめよう。明日また直前まででも話聞くから]
[うん。明日の総会が終わったらさ、気晴らしにどっかいきたいなー]
[いいよ。例えばどこに行きたいとかある?]
[んー。佐山くんとならどこでもいいけど。なにかある?]
[最近、その手の情報は仕入れてないからなー…。調べておくよ]
横顔をみながら、生徒ホールの楓と須賀の姿を思い出していた。
どんなふうに居れば、恋人同士なのだろう。
正解はなくても、せめて香織の考えを聞くべきかもしれない。
[香織はさ]
[なに?]
[今の俺た―]
坂巻にストレートにいわれたから、いつもはかけらも考えてないことを考えてしまっているのかもしれないと躊躇った。
あんな風になれたらなんて思ってない。プレッシャーがかかっている状態で、俺たちの関係性について、戸惑わせてどうすんだ。
ただ、まだお互いに、付き合いが短いから、ちょっと遠い存在なところがあるだけかもしれない。
俺だけが不器用なのも問題な感じもする。
[なに?どうしたの?]
「聡介ー。ごはんー」
「あ、うん。いまいく」
[あ、ごはん呼ばれた?]
[ごめん。飯と風呂いく。そのまま寝るかもだから、明日のために寝てて]
[はーい]
[…また、明日]
香織のアバターが悲しそうに見えて、アバターを残したまま部屋をでた。
―――
時刻はもう深夜帯。
寝れずに何度も寝返りをうち。何度も深呼吸をした。
暑くも寒くもないこの時期は、なんだか妙に心がモヤモヤとしやすい。
端末を起動すると、新着メッセージが届いていた。
顔文字のない、短いが、優しい文章。
俺に対する配慮に、寝れない焦りが和らぐ。
素直な考えを、書いて飛ばした。
愚痴と不満も、言葉に気を使いすぎなくていい。多少乱雑でもいいから、吐き出して返す。
これは、相手とのルールでもあるし。齟齬があった場合は、訂正したらいいとも言ってくれてある。
リアルだと、誰かを気にして言えない事も、バーチャルでよく話していた頃と変わらず、ペースに合わせてもらえてるのもわかって、とても伝えやすい。
それからしばらくすると、『言葉で、悩み事を聞いてほしい』と、通話に切り替えてもらった。
相手のほうが、元気がないのではないかと不安になったからだ。
なのに、促されたのを切欠に、俺の事を話まくっていた。
止めどもないほどに、あふれる問題と思いがあふれ出す。
いったん置いておくことで、やり過ごしていたが。やはり限界はある。
「特に今日みたいな日は…」
そして、気持ちの良い答えは欲しい。
しばらくすると、ホッとしてあくびをしてしまったから、寝れるだろうと寝るように促されてしまった。
最後に気になっている部分を言ったら、何時ものように笑い返されてしまった。
窓越しに、見上げた月はいつもより大きく、きれいに輝いている。
「―大丈夫。ありがとう。明日は晴れみたいだから、俺も気分転換できるかも。―うん、お休み」
そう通話を切ったか、切らないかで、一瞬にして深く眠りに付いた。
__
夢のなかにいた。しかし、夢という確信がない。
強く吹き付ける風。街の騒音。
見ているというより、確かで妙な現実感。
無意識にバーチャルとリンクしたのかともよぎったが、窓ガラスに映るのはリアルの俺だ。
放置してある場所のでもないし、都会を忠実に模した見たことない空間だ。
高いビルの上。屋上の端に、少女の影をみつけた。
「こんばんは…?」
空を見上げた。さっきもみた満月が、ほんのすこし大きい気がする。
「起きた?いや、寝たから来てくれた…のほうが正しいのかな?不思議な表現だよね」
嬉しそうなその声に、懐かしい気分になる。
「ねぇ。この世界っ――――――う?」
「なに?…ごめん、風で聞こえない」
「こうやって穏やかに日々が―――いとおもうよね」
向こうにも俺の声が届いていないのかもしれない。
風がやむ気配はないし、あとで確認すればいいか…。今は、無視するのも悪いし、聞こえない部分は脳内保管しよう。
「穏やかに過ごせたらいいとはおもうよ」
「でも、それってさ客観的に――、それは――んじゃないのかなって」
「どういうこと?」
風がぴたりと止まった。
こちらを見た少女の目には、あの大きな月の光さえ、映っていない。
真っ黒な瞳の中に、俺がいる。気味が悪い。
「そんな簡単なことも、私には、できなかったの」
「なにができなかったの?」
「人が人であるための、当たり前の行動。理解できなかったし。同じようにはできなかった」
「?」
「聞いてみて?」
促され、街に手を伸ばすといろんな人の声がきこえてきた。
それは横暴で、過激で。我儘な声。
「なんだこれ…」
手にまとわりついて、足を引っ張られる。
四肢がちぎれそうになる。胸が苦しくなって息をすることを忘れる。
頬を強めに叩いて、自我を取り戻す。
「大丈夫?」
「これなに…」
「生きてる人の特権だよ」
「特権…?」
「建て前と本音っていうのは、生きているからあるんだよ。とくに生きているから、苦しいから。抱けるものなの。尊いと思わない?」
「…でも、使い分ける…だろ?」
「関係が壊れるっていいたい?」
「うん」
「使い分けなくても、壊れるものじゃない」
「まぁ…。そういう場合もあるけど」
ものすごい考えをもっているな。
「誰かが、そう生きなさいって決めたの?」
「決めたというか…。微妙なバランスを保って関わっていくものじゃないか」
「不安定すぎない?だったら初めからなかったほうがいいし。」
風が渦を巻きはじめた。
「それは―。…ごめん、すこし近くにきてくれると…。顔もまともにみれな―」
少女は、俺を無視して続け、風がまた、強く俺を殴りはじめる。
「何も無理したり、理解しなきゃ――んだよ。私みたいに逃げても――」
逃げる…。少女は何から逃げたのだろうか。
「私の作った世界に、みんなを招待するね。また違った―――追われる――けど。ごめんね。佐山君」
「俺の名前知ってるの」
「知ってるよ。佐山君のことだけじゃなく――全員とは―――」
無邪気に、子供のように。にっこりと笑った。
「―――。―――平等や、フェアでありたい―――」
「みんな、それぞれフェアだろ」
「噓つき」
「え?」
「そんなこと、思ってないくせに」
視線と月光が俺を貫いた。血は流れないのに、胸が熱く燃え。急に冷たくなった。
「私に教えてよ。あの時の約束を守って見せて」
少女は意味のわからないことを続けた挙句、また笑ったような気がした。
「…あー…。朝が来るね。お話はこれでおわり。頑張ってね。佐山君」
「…ちょっと…こっちの話がまだ…」
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