1枚目
1枚目 シミ
疲れている体に、コーヒーを流し込む。
早朝会議が続いた回数を数えて絶望も一緒に飲み込む。
「もう1ヵ月にはなるのか…」
色々ありすぎて、実感がない。
まだ1ヵ月。さらにここから半年以上はかかる見込み。
「大丈夫?今回は、ちょっと大変だったよねぇ」
駒野香織は、俺を心配そうに見て笑う。
付き合いだして、半年ほどの彼女は俺とは正反対で救われる。
張り詰めたまま沈みそうだった心が、優しく解かれていく。
「大丈夫。あと一息だし」
「うん。へへ。ちょっと笑ってくれたね。…そうだね。今、踏ん張りどころだね」
香織は、砂糖とミルクをたっぷりといれて、ゆっくりと口にした。
「あっまい」
「コーヒー。苦手じゃなかったっけ?無理してない?」
「ん?なんとなく、コーヒーがよかったんだよ」
「そっか」
「私、ちゃんとやれてるかな?」
「大丈夫だと思うけど」
「でも。まだ。ちゃんとできてないよね…。結局は、佐山君に補足させちゃうじゃん?」
「俺は、そういう仕事だから」
納得がいかないのか、香織は不満な顔から戻らない。
どうすれば彼女の中で、渦巻いている憂いを止めることができるだろう。
「なんだか、思った以上にきつい役回りだな」
「でも、香織だからってみんなが言ってきたんだろ?」
「信用されてるのは、うれしいからね」
「がんばるしかないよ」
「―…強く居られたら…。もっとね噂にも負けないくらい…いられたらもっといいんだけどね」
香織の表情を曇らせる噂。
それ以上でも、それ以下でもない。
香織にまとわりついて、離れないもの。
一般的に、噂とは人が目立てば目立つほど、出てきては消えていく。
『火のない所に煙は立たぬ』など昔から言うけど。
自分に責は無いことを言いたいだけの防御的な言葉だとおもう。
煙のように見えたら、なんだっていいんだと思う。
実際、「間違えました」と正直に言った人は居るだろうか。
でもそれで、言った側の責任はチャラになるのか?
おかしい話だとおもう。
それでも俺は、次の言葉を探している。
「気にしなくていいよ」
そうして、いつもの言葉へ落ち着いてしまう。
言いたいようにいえばいいのに。聞こえ方に気を付けてしまう。
言いたいことも、伝えたいことも沢山あるというのに。
「私、がんばるよ!えへへ…会議はおわったし。授業までまだあるし、ちょっとゆっくりできるよね!!あっ…!!ごめんなさい…!」
「-…大丈夫」
後ろへ不用意に歩いた香織は、思い切り菊姉―菊原由美にぶつかって。服を汚した。
コーヒーのシミを少しみやっただけで、なにもなかったように飲み物を買う。
菊姉が着ているのは、アリア・エオス軍の幹部候補生の純白の正装だ。
正装には、アリア・ヘリオスの創設に関するものや、矜持と、決意も織り込まれているらしい。
らしいって言うのは、俺は外部の人間だからいえる言葉で、授業や社会で教わる、一般常識としての部分しか知らない。
逆にプライドを汚された側である、菊姉の行動のほうが冷ややかで怖い。
「大丈夫じゃないよ」
「大丈夫だってば」
慌てる香織のその手でコーヒーのシミは余計に広がっていく。
「あああああ…」
手をとり、落ち着くように促す。
「香織。落ち着こう」
「でも、でもさ」
「この後、練習前にでも手入れするよ」
「クリーニング代!!その額は、払うからね!」
「わかった」
せめてものつもりでハンカチを渡すが、手に取ることなく返されてしまった。
「本当、大丈夫だから」
「…今日、召集かかったんだね」
「うん。アステール・カウス議会が動いたから」
と生徒ホールを指さす。
そこにはケイローン・サジットの制服を着た生徒もいた。
「そっか。両方あったのか」
たしか、歴史の教科書だと…。
この国の名家が中心となり、根本からこの国を支え。発展のために尽力したケイローン・サジット。
大戦がおわって、サジット手動で、復興へと進もうとした時。
世界中で革命を先導してきたアリア・ヘリオスの考え方がこの国にも浸透し始めた。
まもなく、この2つは、若者を中心に対立することになる。
サジット側は、ヘリオスを「侵略行為だ」「偽善者の集団だ」などと言い立てて徹底的に排除しようとしていた。
しかし、ヘリオス側のトップが国際会議の場で。
『太陽の国の子供たちが、我々の力を望んでいるのは、もちろん知っている。その国の尊厳がその邪魔のするためにあるのなら。その尊厳を蔑ろにしない事をここに誓おう。そして、特別な議会を設立しても構わない』と宣言。
ヘリオス側が各地で熱い演説をするようになった。
同じくして、サジットの存続に関わるような報道もでた。
なにより、組織としての器量の違いが露見したことにより、サジット側の勢いが落ちて収束。
ヘリオス側は、本当に特別な議会―アステール・カウスを設立。
お互いに協力姿勢でいることの署名をする運びとなる。
会見では、手を取りあうことを明言し、サジットのゴシップに対しても、信頼回復の助けをすると明言した。
化学や技術の発展に力をいれ、国の基盤をつくり。繁栄を成功させたサジット側の人間も、これにより胸を撫でおろした。
各専門職を養い。創始者であるとされる7人の子供の願いを道標に。多岐に活動を広げていくヘリオス側とは、正反対だから、根本的な考え方まで潰したほうがスムーズだっただろうし、多くの組織はその選択をとるだろう。
今でもヘリオスは、サジットに対し、敬意をもって接している。彼らのルールブックにも刻まれている。
ここまでが教科書でよくでる流れだ。
俺は、サジット側の人間にはなるけれど。特別な感情はないし、強い思いもない。
ヘリオスの恩恵をうけている部分もあるし、大体がこういう感じなんだとおもう。
この国が好きか?といわれれば好きだし。別の国に生まれたかったという気持ちもない。
想像力に乏しい俺は、当時の人の事を思ってなんてこともできないから、結局は中立という立場に収まる。
時折、アステールカウス議会が正常に動いていて、ことを示すときに、所属している制服を着て登校するときは、それぞれの存在を見て感じる一般人だ。
「あのさ!ヘリオスのところいっていい!?」
「「え?」」
「元々、生徒会長として挨拶にって思ってたんだけど。承認が通らなくて。でも部長がここにいるんだし。このシミのこともあるし…!」
「承認が通らない?その話初めて聞いたけど」
「そうなの?3週間くらい前からしてるよね?」
「うん。次期生徒会の名義でしてるはずだけど」
「…ちゃんと正規手順であれば、問題はないと思う。なんでだろう…。先生も止めることはないとおもうけど…」
履歴のデバイスを操作し見せた。
菊姉も自分のデバイスを操作し提示してきたのが、ログにそれらしいものはない。
「おかしいな…」
「おはよう。佐山君。珍しい形デバイス使ってるんですね」
「先生。おはようございます」
「飲み物を買いたいので、ずれてもらっていい?」
「あ、どうぞ…」
「私、行くわ」
「あ。菊原さん、ちょっと待って。ちょっとこっち来て」
温厚で生徒に対してやさしい小峰先生と、綺麗な顔立ちなのに仏頂面の深見先生。
小峰先生はヘリオス側で、深見先生は、サジット側だったはず。
この2人の接点は無かったのだけど、昨年の文化祭のピンチを乗り切ったときあたりから、よく揃って行動している。
「佐山君の派閥は、サジットでしたっけ?」
「いえ、中立です。集会にいかないのでそれが証拠になるでしょうか」
「なるほど。いや。随分端末の型が古いので、支給品申請をお勧めしようとおもったのです」
「これは、趣味です。最新型はなんというか…」
「そうだったんですね。とはいえ、不便なところもあるとおもいます。どうしてもそのデバイスがいいならメンテ先を探しますよ」
「それは嬉しいです。――あの…あらためて聞くことになるんですけど。小峰先生は、射撃部の顧問でもありましたよね」
「正確にいうと、顧問のうちの1人でしかないですよ。ミデン所属の教師になります」
「ミデンの試験を受けたんでしたっけ…」
「そうです、授業でも話しますが。本来は別の職業でした。でも悩んでたんですよ。そこにタイミングよく適正検査があったので」
「…対立思想の方とか、いらっしゃったりしますか」
「今の時代では、その思想は昔の方しか見受けられませんが…。あぁ、恒元さんも、施設には来たことありますよ」
「梓ちゃんが?」
「言い合いには、なりませんでしたよ」
あの梓がヘリオスに突っかからないわけがない。
梓は、サジットを創設した名家のひとつ「恒元家」の人間だ。
言い合いはなかったということから。大体の時期がわかる。
それと、申請が棄却された原因のひとつと予測していたものは、消えた。
「…あの。さっき菊姉にコーヒーかけてしまって…。制服が…。できれば謝罪もかねて…!!!」
―ガン ゴロン
菊姉が、空になった缶を、乱暴に投げ捨てると、声をかける間もなく俺たちに「じゃあ」と一言おいて、行ってしまった。
深見先生は大きくため息をついて、後ろ姿を睨んでいる。
「なにか、ありました?」
「別に…?怒らせたわけじゃないですけど。いつもあんな感じですよね。彼女」
小峰先生の穏やかな問に。深見先生は、眼鏡を拭きながら、吐き出すように言う。
「いつも…? いつもかどうかは、わからないですが」
「わ。私がコーヒーをかけてしまったからかもしれません!!!」
「この場合は、関係なさそうだけどね…」
「話が途中でしたね。謝りたいということですか?」
「謝りたいというか…」
「先に言質をとってしまった形になってしまってすみません。さっきも話していたんです」
「私。次期生徒会長なので、それぞれの部に許可をもらって見に言ってるんです。でも、射撃部だけその履歴さえ残っていないんです」
「―俺のほうにも来ていませんね」
「送った履歴はこちらです」
「いつ頃の話ですか?」
「3週間前からです。その話をしていて―」
「…。なるほど、対立思想の人がいるのかもと思ったんですね?」
「はい」
「深見先生は、サジット派ですか!?」
「…え?…あぁ。はい」
「サジットにも、専門職みたいな部門があるんですか?」
「いや、個人的に受講して、資格をとっただけです。ミデンのような部門はサジットにはないです」
「菊姉に、何の話があったんですか?」
「駒野さんには、関係のないことです」
「…」
「うーん。申請先が間違ってるわけではないですね。送信履歴にあって、宛先も間違っていない。でもこちらでは確認できない」
「じゃあ、申請しなおします!!そうすれば、先生たちは証人になりますよね?」
「えっと。このまま手続きしましょう。まだ時間ありますし。俺がやったほうが早いでしょう」
「私の分も、いいですか?」
「え?深見先生もですか!?」
「そこまで、驚かなくても」
「驚きますよ。興味ないですよね?」
「そういう風にみえているんですね。見学に行こうとすると、機嫌の悪さにぶち当たるだけです」
「ぶち当たる…」
「菊原さんって、あんな感じじゃないですか。この機会に彼女の担任として、色々知っておきたいと思っているところだったので」
「…さっき?うーん?…あぁ。いや。大丈夫だと思います。一緒に手続きしてしまいましょう。すこし連絡をしてきます」
先生は、そのままどこかへ電話をかけながら距離をとった。
行動的に、学校外の人と話していることがわかる。
「菊姉さんがいつも不機嫌っていってましたけど。私の前では違いますよ」
「―…そうですか」
「いつも大人です」
「…」
しばらくすると、小峰先生はふりむいて、okとサインをだしてにっかりと笑った。
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