36話 <凶悪化>って何?

「…い、君」

「———まさか、あいつも…」


「幕生くん!!!」

伊上のいつもの囁く程度の声では、考え込む幕生に声は届いていなかったらしい。

振り絞ったことのない声で、伊上は幕生の耳元で叫んだ。

それでようやく幕生は驚く反応をして伊上の顔を見た。

聞いたことのない伊上の大声に、内心かなり吃驚したようで心臓がバクンバクンと耳に聞こえるくらいに鼓動する。

キーンという耳鳴りがしたことにも、伊上がそんな声を出せるというのも合わせて三度吃驚くらいしている。吃驚の大渋滞だ。

「あ、ああ、伊上。ごめんね…?」

幕生はダラダラと滝汗掻いてタジタジになっている。

「<凶悪化>とか不穏な言葉が洩れてたけど…??」

ズズィッと伊上は真顔で幕生をジトっと見る。圧をかけられている。いつも感情が出ない顔は見慣れているが、心なしかムンムンムン…と黒い空気と化した返答への圧が余計にその真顔の迫力を増している。


「あーあー、その、ええと。…適切な行動をしないと、僕たちだんじょん主は<悪>に傾くというかなんというか…」

「悪に…傾く?詳しく」

伊上からの圧が凄い。普段振り回す側の幕生の方が圧倒されている。

「そうとしか、説明できないんだよね…。僕たちは思念だったり、意思だったりってことが多いんだけど…そうだな、さっき伊上はユウキやその母親の求める『正解』を選べた。だから二人は浄化された」

「正解を選んだ…」

「だんじょん主やその中にいる残留思念、悪霊には必ず彼らが求める『答え』がある。その行動や発言を邪心なくできれば浄化…まあ成仏ができる。だけど、その行為ができるのは生きている人間だけ。そして殆どの人は、その答えを組みとれない」

「たまには、答えられる人だっているでしょう?」

伊上は心の底から不思議そうにその言葉を述べたが、幕生はチッチッチと指を横に振った。

「思い出してよ。全てが全て、ユウキや澄川さんのような無力の霊じゃない。ユウキの母親のように怨念で異形化してすでに人として成立していない思念も多いんだ。そしてそんな怨念を持った存在は、人を積極的に殺そうとする。…求める答えを見つける前に、遭った時点で普通は殺されるんだよ。伊上が特殊なの!」

自宅に入ってきたあの男が、そういえばそういうタイプだったと伊上は思い返す。

「そして、答えを見つけられなかった人間は、大抵やってはいけない『不正解』を導いちゃう。反撃して思念を<殺したり>、<否定したり>、祓い屋気どりが適当に祈ったり。その行動を取ると<凶悪化>してしまうのさ、僕たちは」

”その凶悪化がまた厄介でね”と幕生は嫌そうなため息を吐いた。

「その不正解は思念の力を負の方向へ強くする。地縛霊も殺人を積極的に行う悪霊に変わるし、何より元の記憶…何がしたかったのかも忘れていく。最期は制御の効かない只の殺戮霊になってしまう。そうなったら、誰かのだんじょんにそいつを押し込めて半ば封印するしかないけど、ぼくらができるのはそこまで。根本的には何も解決しないんだよ」

「でも、ちょっと待って。大半の人が不正解を選ぶなら、この街は悪霊だらけになっていると思うんだけど…。その人たちは全部、ダンジョンに収容されてたり…?」

「半分正解で、半分は不正解かな。不正解の行動で<凶悪化>はするけど、すぐに出現できるわけじゃない。期間はまばらで、半年くらいで街に戻るのもいるし、逆に数十年以上かかるのもいる。その差で力が変わったりはしないけど。キュウビ様…あ、この児童図書館の主ね。悪意が強くないだんじょん主が<凶悪化>した思念をなるべく回収しようとはしてくれるけど、それでもこの街はパンク寸前。行動を僕たちが収める手段は…またその思念を『殺す』ことで眠らせることだけなんだ」

そして幕生は『説明が長くなるから、めんどくさかったんだー』と軽く嘯くのだった。

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