24-3話 少年の言葉とここにいる何か

伊上の顔は決して柔和なものではなかった。言葉を聞いていても、恐らく少年は親から愛されていなかったようだ。

いや、当初は愛されていたが継父に母親が洗脳され、二人にネグレクトを受けていた。服がしばらく取り換えられていないようにボロボロだったのも、髪が手入れされていない(少年が自分で長さだけ切ったためガタガタ)のも、それが原因だった。

それ故、少年の境遇に胸が痛んだ伊上は、ちゃんと彼の話を聞くのが大事だと思った。

伊上が能面のように取り繕った顔でも、少年は逆に興味を惹かれたようだ。

「そんな顔でも、なんでかな。信じたくなるよ、お姉さんのこと」

少年は頑なに外さなかった自分の組んだ手をほどき、床にカエル座りをして前に手をついた。

「君の名前は?」

「ユウキ。名字は…忘れちゃった。お姉さんは?」

「境子っていうの。ユウキ君…なんか子ども扱いしてるようで嫌だな。ユウキは、どうしてずっとここに居たの?」

子供なんだけど、とよく分からない気持ちになる。

「学校終わりにこの図書館に来るのが日課だったんだ。家にいても居場所ないし、友達もいないから。それに、たまにお母さんが迎えに来てくれるし。その日は珍しくお母さんが迎えに行くからって言ってくれたんだ」

少年は母親の話をするときに、少しだけ嬉しそうにする。心から母親を愛しているのだろう。

その言葉が終わる頃、不意に伊上は強く締め付けられるような頭痛に襲われた。

頭に流れ込んできたのは、雨の中を傘もささず歩く生前の少年の姿と、一緒にいる若い女性。恐らく母親だと思われるその女は、見栄えは不自然かつ年相応ではない格好をして、少年とは対照的に極端に神経質に整えられていた。それでも、その顔に光はない。まるでペットの犬が飼い主のエゴのままに洋服で飾り立てられているのと同じような、愛玩動物の姿そのままだった。

顔に痣はないが、左目の下にはカッターで切られたような傷跡が薄っすらと残り、首には目立たないくらいの絞め痕、少しだけ見えた鎖骨の端にはタバコの押し付け痕のようなものが見えた。

死んだ魚の目をした母親は、その無表情を少しだけ崩し、無理に微笑んだ顔で『迎えに行くから。待ってて』と確かに少年に告げた。

頭痛が収まるとともに、その光景は消えた。少年の記憶とリンクしたようだ。

少年の背負うボロボロのランドセルには、マジックで書かれた<はちのへ ゆうき>という名札がピンで留められていた。これがユウキの名前なのだろう。

<はちのへ>という名字に、伊上は見覚えがあった。

小学生の時に読んだオカルトマンガの元の話を調べたときに、この名字が出てきたような気がする。

そして、この街の心霊スポットで有名な廃屋の表札も<はちのへ>だった。

「よく考えたらお母さんは、笑ってくれた時は嘘をついたことなかったんだ。どんなにあの人に殴られて表向きは言う事聞いていても、笑うときだけは…本当のお母さんだったんだ」

だが、その日母親は閉館時間の20時を過ぎても迎えに来ることはなかった。

代わりに、その直前…19時半頃に憎い継父が来たという。

「あの人、僕がいたこのスペースに来て…怖がった僕のことを笑って何回もおっきなナイフで刺したんだ…『お役御免だ』って言って。職員の人は一階の事務所にいたから気付かなかったんだ。どうして、お母さんじゃなくてあいつが来たんだ!どうして…!」

少年はポロポロと大粒の涙を流す。心底悔しいのだろう。無念だったのだろう。

他人の伊上でも、胸糞悪い。

「でも、お母さんの言葉が諦めきれなくて。だから僕はずっとここに居るんだ」

いつか来てくれる、とどこかで思ってしまって成仏ができないのだ。

「…一つだけ誰かが願いを叶えてくれるって、職員さんが言ってた。その人はこの児童図書館のどこかに隠れていて、いつもここに来る人を見ているんだって。お眼鏡に叶ったら、どんな願いでも叶えてくれるっていう、そんな嘘みたいな話がこの図書館には昔から伝わっているの」

少年が『嘘だよね。絶対』と諦めたように呟くと、伊上はその気配を察知した。

じんわりと蝕むように漂う、嫌な空気。

離れていた幕生に目をやると、彼は壁にかかっている時計の方を凝視していた。


【嘘とは心外。我はずっとその時を待っているだけだ】

低い女性の声が、どこかから聞こえる。

気配はこの時計から漂っているようだと思った瞬間、壁時計は狂ったように針が逆回りしていった。

【させないよ、<時戻し>は…】

幕生は得物である黒い傘の先をアイスピックのように鋭利な形に変え、高く跳んで時計のど真ん中を貫いた。


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