21話 不審な男
FFLに熱中し、結局深夜2時までぶっ通しでやってしまった。
あまりに集中していたせいか、部屋の前には母親が置いたと思われるラップに包まれた塩おにぎりが二つある。
さすがに悪いことをしたと思い、懺悔のつもりでおにぎりを食べ、風呂に入るついでに居間に寄って皿を洗った。
居間には既に誰もおらず、電気も消されて真っ暗だった。時間を考えれば当たり前だ。父も母も、0時を回る頃には寝てしまう。
何故か今日は、一言謝りたい気分になっていた。普段は特に何の感情も抱かないのだが、どうにもモヤモヤする。
そのモヤモヤは、皿を洗う時間の間にどんどん大きくなっていく。
ある種精神を患っている者の混乱に近いかもしれない。こんなことは初めてだった。
振り切ろう、何故こんなにモヤモヤする?と伊上は横に頭を振り、付けたばかりの電気を消してさっさと風呂に入ろうと移動しようとした。
――——キシッ
まるで何かが嗤うような、非常に気分を害する音がはっきりと聞こえた。
伊上家にはペットはいない。ここにいるのは自分だけだ。
そしてこの不快な音は、ダンジョンで聞いたことがあるような気がする――。
ダンジョンにいた、榎木のような声だ、と咄嗟に思いついた。
「誰?誰かいるの?」
護身用にと思い、居間の椅子を振りあげ身構える。
キシッ、キシシ!!
嗤い声は大きくなり、伊上の脳内でどんどん増幅していく。
その嗤い声が集合していくような感覚だ。
《ごきげんよう、お嬢さん》
「…!?」
やや西洋の英語訛りが抜けない口調で騙る壮年の男が、唐突に目の前に現れていた。
綺麗な灰色の髪を隠すように茶色のつば付帽子を被り、服装は上質そうな紺色のセットスーツを着込んで口にはパイプタバコを加えているこの男は一見紳士然としているが、その中身は悪意が詰め込まれているように感じられてならない。
『危険』と脳が叫んでいるのだ。目線こそ逸らさない…いや逸らせないものの、伊上の足はすくみかけていた。
「ど、泥棒…?」
絞り出したその言葉に、男は悠然とした態度でノンノン、と左手の人差し指を振る。
《泥棒とは失敬な。私はアナタに会いに来たのですよ。選ばれし者にね≫
男が歩み寄ろうとしたのを見て、伊上は咄嗟に『来ないで!』と叫んでいたが、一瞬で男の姿が消え、気が付けば真正面の間合いから伊上の首に右手を添えていた。
《ふうむ。なるほど申し分のない魂ですな。あの方が、いや我々が惹かれる訳ですね≫
紳士然とした男の顔が、吐き気がするくらい気持ちの悪い邪悪な笑みを携えていたのを見てしまった。
「…幕生君、助けて!」
伊上が思わず叫んだ瞬間、男は添えていた手にグッと力を入れて絞殺しようとしてきた。カヒュ、という息が伊上の口から洩れてしまう。
そんな苦悶の表情を、男は恍惚とした目で見つめる。
【何してんの、お前】
《…!》
ぞわっとするくらい、感情のない声が聞こえる。
全く光のない黒目で奇妙な傘を構え、男の背を取る幕生が現れていた。
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