09.忘れられない大切な思い出
「そういえば、こうなる前は僕もそうだったよ。何度も記憶を持ったまま転生していた」
僕の言葉を聞いたリックは少し目を見開いていた。たぶん自分と同じ経験をした人が初めてだったんだろう。表情はそのままに口を開いた。
「そんな人が……僕の他にもいたんですね。でも、元々ループというか転生をしていたのになんで悪魔に?わざわざ長生きしたいタイプじゃないでしょ」
一度会っただけの人間の性格が分かるなんて、さすが何度も生きているだけある。僕だって普通に生きて死にたかったさ。
「きっと、イアンに執着してしまっていたからかな。イアンと出会った次の生から老いなくなった。気付いた時には絶望したし、そうなって初めてのイアンは記憶がないから全然見向きもしてくれなくてね? よく分からないって顔で逃げられたよ」
思い出すのも辛くて淹れてもらったココアを一口飲む。いつの間にそんなに経っていたのか、ココアは丁度いいぬるさまで冷めていた。
「……甘いの、飲めるんですね」
リックは僕の表情があまりに暗かったのか、あからさまに違う話題を振ってきた。そういえばあの時は俺様系のキャラを演じていたんだっけ。
「元々は甘いのが好きだよ。あのキャラ付けのために苦いのを飲んでただけで」
「へえ……あのもう一人の子は?」
「……こいつはラテ飲んでたよ。最初に会った時は僕の方が甘いのを食べてたかな」
話しながらリアムの髪を撫でる。あんな明るくて良いやつが僕の不注意で死んだ、その事実があまりに辛い。リアムはもう冷えを通り越して硬くなり始めている。分かってるんだけどな、人間も死ねば物みたいにカチコチになるって。
イアンの頬に触れた瞬間、僕の中で何かが切れた音がした。
……そうだ、僕も死ねばいいんじゃないか。悪魔や怪物には決まって弱点があって、主人公に倒されるのが運命。アイツに近づかなければ二人幸せにいられるんじゃ。イアンはいつも長生きできずに五十あたりで死んでいるはずだから、それに合わせて僕も方法を探せばいいや。
段々とココアの味が分からなくなっていくのを感じながらリックの方を向き直す。彼もちょうど目線を上げていて、気まずいくらいに目が合った。
「……貴方の、願いってなんですか」
絞り出すような声だった。彼は僕の目を真っ直ぐ見つめていた。
僕の願いなんて最初から決まってる。
「イアンと幸せでいられればそれでいい」
その言葉を聞いたリックは僕に笑った。
「僕なら貴方の事、手伝えますよ。どうです?」
ココアがなくなってから少しした頃。雨も小雨から霧雨に変わって、部屋の外が静かになった。何を喋るでもなく二人でぼーっとしていた時、リックは口を開いた。
「次にイアンさんに会ったらどうするんですか?」
「うーん……正直、別にもう生きたくはないんだよね。何があるか分かんないしさ。刺激的な毎日よりも有終の美を飾りたいっていうか」
それを聞いたリックは少し頭を傾げながら何か考え始めた。きっとリック以外なら『二人で生きれば良いじゃん』って言うだろうけど、そうならないのがリックの優しい所だな……。
「悪魔って何したら死ぬんですかね? 死ねるんですか?」
顎に手を当てながら問うその表情は純粋な疑問で満ちていた。確かに、僕らに悪魔についての知識はあまりない。となると、まずは悪魔についての知識を集める所からだろうか。
「僕も詳しいところは調べた事がないから、どこか図書館にでも行って情報を集めた方がいいかもしれない」
「そうですね……ここからなら、町二つ分くらい離れた所に大きいのがあります。そこに行きましょうか」
リックが土地に詳しくて良かった。行く所が決まってほっとした時に、何故かキラキラして見える目でリックが僕の袖を掴んだ。
「あの、ティムさんって力持ちですか?」
突然の質問に訳も分からず「そこそこ……?」と返事をすれば、リックの目はさらにキラキラし始める。混乱しながらリックを見つめれば、リックはワクワクしながら僕に聞いてきた。
「僕も空飛んでみたいんですけど、僕の事抱えられます?」
「え?」
飛んでみたい……? ん……?なるほど。それでワクワクしてたのか。応えてあげたいけど人一人抱えて町二つはちょっと厳しいな……。
「ん〜……万一落としたら大変だし、紐くらいは用意した方がいいかもね」
「それならすぐ用意できますね。紐買って図書館行きましょう」
飛ぶのがよほど楽しみなのか、リックはそう言ってからすぐに準備を終えた。ウキウキな所本当に申し訳ないんだけど、昼は見られても困るからあんまり飛びたくないんだよな……。
リックは僕の顔を見て考えている事が分かったのか、そのあまり変わらない表情のまま言う。
「別に町の上を通らなくても、ちょっと遠回りすれば森の上を通ってそのまま図書館まで行けますよ。森なら見られても怪奇現象の類だと思われるでしょうし」
早く早くとリックに急かされるから、「せめてリアムを埋めてやってから行こう」と宥めて外に出た。雨はもう止んでさっきまでが嘘のようにカラッと晴れている。ちゃんとした墓を建てられない事を悔やみながら近場に埋めてやった。またな、と声をかけて立ち上がる。
「じゃ、行きましょうか」
カバンごと抱えるのは厳しいから前に回してもらって、自分ごと紐で括ってから安全確認をする。試しに少しだけ飛んでみてもリックは問題なさそうだった。
道案内はよろしくねと言いながら僕らは地面とお別れする。リックは初めての空にすごく喜んで、見た事ないくらい頬を緩ませながらあちこちを見渡している。
「どっち?」
「あっちです。あのずーっと木が続いてる所をまっすぐ行ったら大きな建物があるので、そこで降りてもらえれば」
見た方向は今の町からまたアイツのルートを辿るような形だった。まあこちらが近付かなければ絡んでこなさそうだったし、別にいいか。
道案内に沿って森の上を飛んでいる間もリックは嬉しそうに地上を眺めている。そういえばイアンが何か言ってたよな、空を飛びたいとかなんとか。あの時どんな話をしたんだったっけ……。嬉しそうなリックを見つめながら遠い昔の事を思い出した。
「ティム! 昨日家の屋根に登ったらあっちの方に綺麗な花畑が見えたんだ! 今日はそこまで行ってみようよ!」
イアンはとても元気で好奇心旺盛な子だった。やれ木登りだ、キノコ採りだ、山滑りだ、って毎日いろんな事をして遊んでいた。僕は別に行動的な方じゃないけど、イアンが言うならって一緒に走り回るのがいつものパターン。それが楽しくて仕方なくて、いつも嬉しそうに誘ってくれるイアンが大好きだった。
僕はいつからか何度も転生するようになっていて、イアンと出会ったのも何度目か分からない人生だった。イアンと出会うまでに何度も出会いと別れを繰り返して、人の醜い部分も見てきたから人とは仲良くしすぎないで上手く付き合おうって思っていたのに、イアンがあまりに無邪気で綺麗だから。僕は気付いたら相当イアンに入れ込んでいたんだ。
その時、町ではよく分からない病が流行り出していて、日に日に患者が増えていってた。けど僕らはそれをよく分かってなかった。その日も僕らは山に遊びに行ったり川ではしゃいだりしていたんだけど、後から知った話ではその病気は川の水から罹るらしい。僕は見事にその病に罹って、お酒を飲む事もないまま永い眠りについた。今思い出せば、死の瀬戸際で考えていたのは見事にイアンの事ばかりだったように思う。それから神様のプレゼントだか償いだか知らないが、こんな難儀な体になってしまった訳だ。
一つ一つイアンの事を思い出す。感情表現がオーバーで、嬉しいも悲しいも全部顔に出る。すぐ走り出すくせにドジで周りが見えてなくてよく転んでた。歌うのが好きで暇になったら歌い出すし、暇じゃない時もよく鼻歌とか歌ってた。いつも外では走り回るくせに本も好きで、みんなが驚くくらいいろんな本を知ってたし、気に入った話はいつも一番に聞かせてくれたな。
そうだ、あの日。イアンは空が飛びたいって言った後、地上の景色がどう見えるのか知りたいって言ってたな。『綺麗に咲いてる花達や、きらきら輝いてる湖がどんな風に見えるのか知りたい』……だっけ。その後も他愛ない話をしたんだ、確か。
リックの反応を見た時、何か心に引っかかったものが取れた気分になった。それはきっと、あの時のイアンの夢だった景色を代わりにリックに見せてあげられたからだ。
ずっと心の奥底で感じてたんだ。どうして空を飛びたがってたイアンじゃなくて望んでなかった自分が、って。僕がイアンなら死んじゃうんじゃないかってくらい跳ねて喜んだだろうし、もっといい事に使えたはずなのにって言葉にならない気持ちがぐるぐるしてた。だから肩の荷が降りたような気持ちになったんだろう、本人にしてあげられてないのに酷い話だ。
物思いに耽っている内に町二つ分越していたらしい。気付いたら森の木が途絶える場所が見えていた。
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