03.赤の感情
僕はそれからずっと、来た道を引き返す時も、朝起きてからも、パン屋のおじさんと話している時もあの目が離れなかった。ずっと綺麗な紅だとは思っていた。でも、この言い知れぬ感覚はなんだ?言語化できない感覚に自分の思考が支配されている。
あの夜、結局ティムは夜明け前くらいに帰ってきて静かにベットに入ったようだった。昼に起きてからもいつも通りのいい加減さでダラダラと過ごしていたし、特に何か僕に探りを入れるような事もなかった。あんなにバッチリと目が合っていてまさか見えなかったなんて事はないだろうし、きっとバレていて見られても問題ないと思われているんだろう。ただ、目つきだけは少し鋭くなったように感じる。
「なぁティム、ティムって目良いの?」
暖かい日差しの中、洗濯物を干しながら僕はティムにそう聞いた。これで良いと言えばあの夜の事はバレているだろうし、悪いのなら僕だとまでは分からなかった可能性が出てくる。
「あぁ? 目? 悪くないけど。いつも夜に出歩いてたし」
「ふーん。じゃあ最近いつも出歩いてるのも日課的な?」
「まあそんなもん」
そういうティムの目はまた鋭くなって突き刺さる。なんだか思っていたより疑われてるみたいだけど、そもそもなんで見られて困るんだ?
服を干し終わった僕はリビングに戻って、休憩がてら新聞を開いた。その時、ただの日課だったのに死刑宣告みたいな気分になるなんて誰が予想できただろう?
「……え、あの町で死人?」
あの日僕がティムを見た先の町で、人が死んだらしい。若い女性で血まみれだったと、そう書かれていた。今の僕は顔が真っ白だろうな。僕の声を聞いたティムは顔を向けすらしなかった。
まさか、また?理由もなく殺したと言っていたし可能性は否定できない。そうだ、僕はなんでこいつが同じ事を繰り返さないと思っていたんだろう?一度そう思ってしまえば簡単には変えられなくて、僕はティムの潔白をただの一度も考えやしなかった。
つまり今まで散歩と言って出掛けていたのは獲物の物色をするためで、あの夜出掛けていたのは獲物を捕らえるため……見られて困るのはそのまま人を殺したと知られれば都合が悪いからか。
「なあティム、この町知ってるか?」
「どれ。……名前だけ見たってどこがどこか分かんねーよ。もしかしたら散歩で通ってるかもな」
ふーん、死人ねえ。なんて言いながら新聞を読み進めるティム。いかにもな言い訳。
あれはティムが本当にバレたくない時によくする逃げ方だ。たまたま一緒に出かけていて知り合いや仕事関係の人と会った時も大抵の話をそうやって流していた。つまりバレて自分の立場が揺るぐような事を隠しているって訳だ。
「ティムさ」
これはきっと決定的な質問になると、僕の本能が告げていた。
「その紅い目、色が変わったりとかするの?」
やっとこっちを向いた。その目は疑いが確信に変わった事をありありと語っていて、きっと僕も同じような目をしてたと思う。
少しの沈黙。それからティムは口を開いた。
「……変わらないけど」
「何か言いたそうだね?」
「お前、なんか見たの?」
お互いに引かない。ここまで聞いてじゃいつも通り、なんてできない事は分かっていたから。
「……新聞、心当たりがあったんじゃない?」
だって君、眉が少し上がっていたよ。そう言えば分かりやすく表情が変わる。変だよなあ、こんなに口が悪いのに子供みたいに隠すのが下手だ。
ティムはどうすればいいか分からないみたいに少し顔を歪ませて、口をつぐんだ。僕はティムの言葉を待とうと何も言わずに見つめていた。
「あのさ、先に聞きたいんだけど」
「なに?」
こんな状況で僕に聞く事?少なくとも僕にはそんな事は思い当たらないけど。
「お前さ、もしかして俺がこれをやったと思ってる?」
……え?
ティムは新聞を摘んで僕に聞いた。
「違うの? だってあの夜」
「あ〜〜もう全部分かった! 全部お前の思い違いじゃん驚かせんなよ〜〜!」
突然いつも通りになったティムに着いていけず、呆然としている僕にティムはひとつひとつ教えてくれた。
「まずどっから? 散歩?」
「まぁ、そうだな」
「あれは探し物してたんだよ。な〜んも手掛かりがないからあちこち飛び回ってたってワケ」
なるほど、確かに手掛かりなしなら飛び回って探すのも理解できる。あそこまで遠い町にいたのも納得だ。
「探し物って?」
「ん〜……人?」
「なんで疑問系なんだよ」
「説明が難しいんだよな〜……言っちゃえばその人殺しのやつ探してんの」
人殺しを探してる?人殺しが?意味が分からないけれど何か繋がりがあるんだろうか。ティムはもうさっきのような何かを隠そうとする顔つきではないし、きっと少しずつでも僕に隠していた事を教えてくれているんだ。そう思って僕はあまり追求せず聞く事にした。
「まぁその日のお前変だったし、すごいチラチラ見てくるから何考えてんだろ〜とは思ってたけどさ。あの夜ついてきてたろ?」
「えっ!」
「いやバレバレだし。わざわざお前を撒くために遠回りしたりしたのになんであそこにいたんだよ……」
撒くも何も飛ばれた時点で手掛かりゼロだったけどな?そんなの僕に聞かれたって『そっち方面に飛んで行ったから』としか言えないだろ……
そう伝えればティムは少し機嫌を悪くして、頭をガシガシ掻きながらなんだそれ、とかならいっそ、だとかボソボソと零していた。
「っあ〜くそ、ていうかなんでわざわざ尾けてくんだよ! そんなに俺が面白いか!」
そう言ったティムは、心底怒っているというよりもぶつけようのない気持ちのやり場に困ってるように見えた。どうして?何が引っかかってる?分からないまま話だけが進んでいく。
「だって僕は君の事を何も知らないし。君が何かやらかしてるんじゃないかって心配したんだよ」
その瞬間のティムの顔を、僕はきっと死ぬまで忘れられない。泣きそうな、怒りを呑み込むような、間違いなく僕に何かを重ねている顔。
「っ……もういいよ、今日までありがとな」
「は?何急に、どういうつもりだ」
なんで、また僕は君の気持ちに気付けないのか。頼むよ、待ってくれ、
「じゃあな、イアン」
「おい! ティム!」
結局、その日から僕が死ぬまでの間、ティムは一度たりとも姿を現さなかった。
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