七夕祭りの笹の下

茸山脈

七夕祭りの笹の下


 あまりにも暑かったので、冷房のよく効いた図書館で時間を潰していた。本を借りるためにカウンターに立ち寄ると、その受付机の上の小さな鉢に1本の細い竹が差してあるのが目に入った。竹の枝や葉には色鮮やかな短冊が飾られている。


 そうだ、今日は七月七日、七夕なのだ。


 視線を壁際のカレンダーに移して、大きく書かれた「7」の字を意識してしまった。今年も、この日がやってきたのかとため息をつく。


 私にとって七夕という日は憂鬱なものでしかなかった。


 中学2年生の時の七夕で経験したある出来事の記憶を否応なしに思い返してしまうからだ。


 忘れようとしても、忘れられない。

その記憶は大学生になっても、頭の奥底や心の奥にこびり付いて離れようともしなかった。


 夜遅くまでベランダで星を眺めて、1年に1度だけ会える二人に思いを馳せたり、七夕祭りを楽しんだのも昔の事で、今では少しでもあの記憶から逃れるために布団にもぐって早く次の日が来るのを願いながら過ごしている。


 でも、どういう風の吹き回しか、今年は七夕に触れたくなった。



 きっかけは多分、掲示板に貼ってあった七夕祭りのポスターを見たことだった。そこには、昔は毎年のように行ってた地元のお寺の七夕祭りが、3年振りに復活すると書いてあったのだ。

 それを見ていると、漠然と祭りに行ってみたいという気持ちが湧いてくるようになった。もしかすると、懐かしさに駆られたのかもしれない。


 祭りなんてもう何年も行ってない、これもやっぱり、件の記憶の影響が大きかった。

あれからもう5年も経つというのに……


 ここ最近の異常な暑さのせいか、試験直前のレポートの山に追われたせいか、頻繁に無気力になってしまうし、祭りの雰囲気は気分転換に丁度いいかもしれない。


 七夕祭り、行ってみようかなぁ

迷った末に、自分の中でそう理由付けて、祭りに足を運ぶことにした。


 そう決めたのなら早くここから出なければ、私は鞄を持って図書館を後にした。



 それにしても、本当に暑っついなぁ、自転車を漕ぎながら夏の空に向かって愚痴をこぼす。

まだ7月の上旬、しかも時刻は18時と夕方なのにこの暑さとは正直参ってしまう。

 お寺までは自転車で15分ほど、広い松林の中にある寺で、かなり古いと聞いたことがある。

汗が滲むのを感じながら、松林の中を進んでいると、立派な門が見えてきた。駐輪場に自転車を停めて、門に向かって歩いていく。


 境内は露店が立ち並んで、とても活気づいている。その様子は昔と殆ど変わっていなかった。3年振りの開催で、規模を縮小すると聞いていたけれど、そうとは感じさせない程の賑わいだ。



 人混みはあまり好きじゃない。道を逸れて手水舎ちょうずやの近くにあったベンチに腰を下ろし、空を見上げる。街の中とはいえ、寺の周囲に松林があるからなのか、境内から見える夜空は驚く程綺麗だった。


 境内の真ん中には大きな竹が立ち並び、そこに色々な人が願い事を書いた短冊を吊るしていく。提灯に照らされて、顔もよく見えた。

 学生の集団、若いカップル、老夫婦、みんなそれぞれ違う願いを書いては吊るしていくのだろう、こうやって来る人を見ているのも悪くはない。


 15分ほどぼんやりと見ていたのだろうか、さっきとはまた別のグループが来たりして、相変わらず竹の周りは賑わっていた。


 そんな光景を見渡していると、不意に、視界に一人の少女の姿が目に入った。


 そして私は思わず自らの目を疑った。


「うそ、夕香ゆうかちゃん……??」


 見覚えのある――いや、あるどころの話じゃない、忘れようとしても忘れられない、私の初恋の人、もう二度と会えないと思っていた人が、短冊で彩られた竹のすぐ側に立っていたのだ。



 心の奥底に封じ込めていた記憶が、一気に溢れだしてくる――



***



 私が小学生の頃、家の向かいに引っ越してきた夕香ちゃんは、私の憧れだった。可愛くて勉強も運動も出来る人気者、だけどことある事に私のことを気にかけてくれる優しい人だった。

 何をするにも不器用で、クラスにもあまり馴染めなかった小学生の私にとって、彼女は救世主みたいな存在でもあった。


 小学4年生の時、私と彼女は近所のお寺で毎年やってるという七夕祭りに初めて行くことになった。


「ねぇ、静月しずくちゃんはなにお願いしたの?」


「こういうのって、言っちゃダメなんじゃないの?」


「いいじゃん、あとで飾るんだからさ」


「それもそっかー」

「じゃあ、夕香ちゃんの、見せてくれたら見せてあげる」


「えー?私のなんて見たって面白くないよ?」


「言い出しっぺの法則ってやつだよ、委員長も言ってた」


「静月ちゃんらしくないなぁって思ってたら委員長の影響かぁ」


「なんだとー?」


「うーん、じゃあせーので見せ合うのはどうかな?」


「いいね、さんせい」


「じゃあ、いくよ?」


「「せーのっ」」


[ いつまでも夕香ちゃんと一緒にいれますように 静月]

[ 静月ちゃんとずっと仲良く過ごせますように

夕香]


「えへへ、私たちお揃いだ!」


「まさか静月ちゃんと同じこと考えてたなんて……」


「私、中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても、大人になっても夕香ちゃんと一緒に居たいなぁ……」


「……っ、そうだと良いね。私も――」


「うん?なんか言った?」


「ううん、なんでもない、これからもよろしくね?」


「もちろん!」



 向かいの家とはいえ、彼女は私立の中学校に通うことになっていたので、中々顔を合わせる機会がなかった。

 それでも、時々会っては遊んだし、七夕祭りには毎年二人で行くのが恒例だった。短冊に書く願い事は毎年同じで、薄々分かってるくせに毎回「せーの」でお互いの短冊を見せ合う。

それがなんだか幸せで、それでいて可笑しくて、気がつけば私は彼女のことが好きになっていた。友達としてではなく、恋人として――



 中学2年生の七夕祭りの帰り、夕香ちゃんの家に招かれて、初めて彼女の部屋に泊まることになった。私はそこで、彼女に想いを伝えようと思っていた。不思議と、心は落ち着いていた。


「夕香ちゃん、聞こえてる?」


「聞こえてるもなにも、すぐ隣なんだからばっちり聞こえてるよ?」


 薄暗い部屋の中、2人で寝るには少し狭いベッドでそんな会話をした記憶がある。


「私ね、夕香ちゃんのことが好き」


「改まってどうしたの?私も静月ちゃんのこと大好きだよー?」


「違うの、なんというか、友達としての好きじゃなくて、その……特別な関係になりたいという意味で……」


 薄明かりの中でも分かるほど、彼女の顔が赤くなった。


「好きって、もしかして……?」


「そ、そう……ごめんね、ヘンだよね、女の子同士なのに、でも――」


 ぎゅっと抱きしめられたあの感覚を忘れることなんて出来ない。


「私も、同じ」


「えっ……?」


「私も、静月ちゃんの事、大好き。友達じゃなくて、恋人って意味で……」


「ほんと……?」


「ほんとだよ、嘘なんかじゃない、約束する」


 そこから先はあまり覚えてない、多分喜びとか色んな感情が溢れだして、泣いちゃったんだと思う。


「私たち、両想いだったんだね」と涙を浮かべながら微笑む夕香ちゃんの顔が、とても印象的だった。


 私たちは友達から恋人になり、ずっと一緒に暮らせるはずだった。はずだったのに――



「ごめんね、親に知られた。私たちの関係、全部」


 電話越しの、悲痛な声。

それが最後の連絡だった。七夕から一週間後のことだった。それはあまりにも呆気なかった。


 偶然携帯の画面に写ったメールを見られて、私たちの関係は彼女の両親に露見してしまったのだ。


 彼女の父親は娘に相応しい婿を用意する予定だったのに、お前のせいで計画が狂ったとうちの家にまで怒鳴り込んできた。


 女同士の恋愛など許容出来ない、今考えてみれば彼女の両親の見解はひどく前時代的だったのかもしれない。だけど、まだ反抗期にも満たない──親が絶対の世界にいた私たちは、それに逆らうことなど到底出来なかった。


 彼女の両親の計らいで、夕香ちゃんは引っ越してしまった。当然、場所は伝えられなかった。両親の前で彼女の連絡先も消されて、彼女にはもう関わるなと強く忠告された。


 覚えていた電話番号も変更されたらしい、何度かけても彼女に繋がることはなかった。


 最後の最後まで会うことは許されなかった。

ひと月後には、彼女のいた家は空き家になっていた。

 永遠の別れだと思った。

 私は何日も、何日も泣いた、あの時の記憶はほとんどないけど、数ヶ月は登校もままならない状態だったらしい。


――そのまま時は無情に過ぎていった。


 流石に5年も経てば諦めもつくだろうと思っていた。だけど、恋愛について考える度に彼女の顔が浮かぶ。もはや彼女のこと以外、考えられなかった。私はきっと永遠に彼女のことを引きずり続ける運命なのだろう。


 そう思っていたのに、今視界に入っている

少女――と呼ぶには少し大人びた、でもあの頃と変わらない雰囲気をまとった容姿は、紛れもなく私の初恋の人のものだった。


 思わず動きかけた身体をなんとか抑える。

そうだ、これはきっと幻覚だ。七夕祭りのムードが私に都合の良い錯覚を見せているんだ、そう言い聞かせた。


 一瞬、彼女と目が合った気がした。息が詰まる。私はあの竹から少し離れたベンチに座っているから、きっと偶然だろう。目を伏せて、何も見ていないフリをする。


 軽快な砂利の音と共に、誰かが近づいて来る。その音がやけにはっきりと響いて、心が乱される。私は期待する心を必死に押さえつけた。


 期待するな、これは錯覚だ。

でも、一度考えてしまったことを消すことは難しく、頭の中は大混乱だった。


 ベンチの隣に誰かが座る音がした。

ひたすら下を向いて、この錯覚から逃れようとする。



「いつ来ても、ここから見る星は綺麗だね」


も、そう思うでしょ?」


 ああ、何度その声を聞きたく思ったことか、久しぶりだというのに、彼女の声は殆ど変わっていなかった。


「本当に、ほんとうに、夕香ちゃんなの?」


「うん、……長い間、待たせちゃったね」


 視界がぼやける、大粒の涙がこぼれ落ちて、地面に敷き詰められた砂利に染み込んでいった。


「親には内緒で来てるんだ、七夕祭りが復活するって聞いて、ここに来れば、もしかしたら静月ちゃんに会えるかもって思ったんだ。そしたら本当に居てくれた、嬉しい」


「私は、わたしはもう二度と夕香ちゃんに会えないかと思って……!」


「分かってる。私も同じだった。──でも会えたよ、長いお別れだったけど、やっと静月ちゃんに会えた」


「あの時の約束、……覚えてる?」


「一時も忘れたことないよ、静月ちゃん、大好き。もちろん、恋人として、だよ?」


 堪えきれずに顔を上げると、夕香ちゃんがいた。本物の、紛れもない、夕香ちゃんがいた。


 気がついたら抱き合っていた。中学2年生の時の七夕祭りの後、夕香ちゃんの家で抱き合った、あの抱擁の続きをするかのように――


「大学生の間は無理かもしれないけど、卒業したら一人暮らし出来ないか頼んでみるよ」

「それで、よかったら静月ちゃんと一緒に住みたいな……なんて…」


「私も、夕香ちゃんと一緒に住みたい。毎日一緒にご飯食べて、お風呂入って、同じベッドで寝たい……!」


「相変わらず気が早いんだから……でも、一緒に買い物したり、旅行したり、色々したいことがあって楽しみになっちゃうね」


 大学ではなるべく冷静クールな振る舞いを心がけていたけれど、そんなもの放り出してしまった。小学生の頃の私に戻ったみたいだった。


 しばらく抱き合ったまま、時間が過ぎた。

七夕祭りも終盤、あと30分で閉門というアナウンスが境内に響いた。


 あれだけ沢山いた人も、かなり減っていた。


「夕香ちゃんは、この後予定あるの?」


「本当は静月ちゃんの家に行きたかったけど、今日は帰らないといけないの」


「また会えるかな……」


「卒業まであと2~3年、会える日は限られてるけど、ちゃんと繋がってるから、また会おう?」


そう言って夕香ちゃんはスマホを取り出した。


「誰からの通知か分からないように設定したから、次こそ大丈夫だよ」


「なるべく早く会いたいなぁ……」


「大丈夫、すぐに会えるって。よし、登録完了!」


 私の頭を撫でながら、夕香ちゃんは素早く連絡先を交換する。


 連絡先一覧の画面に「夕香ちゃん」の文字が数年ぶりに帰ってきた。これでいつでも会えるんだ。


「そうそう、せっかくだし、最後に短冊に書いていかない?」


 口元を少しニヤリとさせながら、彼女はそう言った。


「もう、なに書くか分かってるくせにー」


「まぁまぁ。そう言わず、ね?」


「仕方ないなぁ……」


 七夕が大嫌いで、憂鬱な5年間だった、だけど、これから先の七夕は大好きになれそうだ。だって、また夕香ちゃんに会えるのだから。


「じゃあ、見せ合いっこしよう」


「せーの、だね」


「「せーのっ」」


[ 夕香ちゃんと一緒にずっと仲良く暮らせますように 静月]

[ 静月ちゃんと末永く仲良く過ごせますように 夕香 ]

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