ディートハルト7
レラが亡くなってからさらに二百年以上経った。
人間の記憶は脆く、覚えていようと思っていても、時間が経つにつれて忘れていき、顔も朧気で、話した内容もはっきり覚えていない。
それでも覚えているものはある。レラの瞳の色だ。
魔法で保護をして、今でも色褪せずにきれいに保たれている琥珀色のペンダントを見て、レラの瞳を思い出している。
レラに対する気持ちを自覚してからも師の元に住んでいて、度々外に出て新鮮な空気を吸っていた。
そんなディートハルトに転機が訪れたのはレラの死後から二百七十年ほど経った頃だ。
「ディートハルト、手伝ってくれないかい? まーた、どこぞの誰かが禁忌魔法に手を出したらしい」
「懲りないですね」
禁忌魔法。自分は勿論、師が生まれる前の遥か昔、太古の時代に作られた絶対禁忌の魔法。
非常に強力で、唯一無二の特性を持った特殊な魔法ばかりだが、その代償は計り知れない代物ばかりである。
まず術者はほぼ確実に命を落とし、術者の命と魔力だけでは飽き足らず、動物や人間の血液や魔力、命と必要にする魔法が多い。
術者はほぼ確実に死ぬのに、それでもその禁忌魔法に手を出す人間はいる。
通常の魔法とは異なり、特殊な能力を持つがわざわざ自身の命を代償にしてまで叶えたい願いはなんなのだろうか、とディートハルトには不思議だった。
「どんな種類にしろ、危険で厄介な魔法ばかりだ。王家からの依頼でね、ある貴族が禁忌魔法の一つに手を出したらしい。完全に燃やすのが僕たちへの依頼だ」
「わかりました」
そして師のランヴァルドとともに依頼された国へ赴いた。
その国の魔法に秀でた一族の当主が実行犯で、当主のみが使える書庫には膨大な量の資料と術式が保管されていた。
どんな禁忌魔法に手を出したのだろう、と思いながらその術式を見て、ディートハルトは固まった。
「……死者蘇生?」
乾いた声が自身の口から紡ぎ出される。
死者蘇生。名前の通り、死者を蘇らせる魔法だ。
どうやらこの家の当主は病で一人娘を亡くし、その娘を蘇生させようとしたらしい。
結果は失敗し、当主は死亡したが、資料を見る限り長い年月をかけて死者蘇生の術式を探していたのがうかがえる。
そしてこの術式を見て、愚かだがディートハルトは思ってしまった。
これがあれば、レラは。レラは、蘇るのではないか?と。
「ディートハルト? どうしたんだい?」
「…いえ、何もありません」
師に尋ねられ、返事して師の方へ向かう。
「これを燃やすのですね」
「そうだよ。禁忌魔法の術式は特殊で厄介だ。ただの火の魔法では燃えない。火と光の複合魔法で長時間燃やし続けないといけない」
そう言って師は詠唱して集中して術式を燃やしていく。
術式は禍々しい光を放ちながら炎に包まれる。
「……」
術式は簡単には燃えず、ずっと燃え続けている。
だから術式を見ているのも特別不自然ではない。
この魔法があれば。この魔法を使えばレラは蘇るのではないか?とディートハルトは先ほど思った内容を頭の片隅で再び考える。
だがすぐに僅かに頭を振る。
禁忌魔法は名前の通り、使うことを禁じられている。それを使うわけにはいかない。
それに使って本当に蘇るとは限らない。この術式も正しいとは限らない。
だがもし正しければ? もし使用したらレラが蘇るのではないか?
その場合の代償は自分の命だろう。魔力は
あとは、術式さえ正確に把握すれば。
少なくとも、禍々しい光を放っているこの術式はある程度正確なのだろう。ならば独自に調べてより正確な術式を見つけるしかない。
「……」
本当にやるのか、と冷静な側面の自分が囁く。
だがもし。もし、レラが蘇ったら。
そしたら──今度こそ、心穏やかに過ごしてほしいと思ってしまった。
異母兄妹に疎まれることもなく、嫌がらせされることもなく、暗殺の心配をすることなく、安心して過ごしてほしかった。
本当は得られるべきものを得られなかった弟子に、幸せになってほしかった。
「……」
やってみよう。自分は
それがディートハルトにとってレラへの贖罪だったのだから。
***
「ディートハルト、なぜこんなことをした」
師であるランヴァルドが怒気を含んだ声で尋ねる。
一方、問いかけられたディートハルトは沈黙を続ける。
正しくは話す力すらないと言うべきか。
「どうして禁忌魔法に手を出した。これは人間の手に負えない魔法だ。何を考えているんだ!」
珍しく師が声を荒げて怒っている。いつもは諭すように咎めるのに。
それも当然かとも思う。自分は師の隣で、その魔法の危険性を教えられてきたのにそれを使用したのだから。
ディートハルトの隣には禍々しく光る術式が怪しく浮かびあがっていた。
三十年前のあの術式を参考にして、秘密裏に調べ続けてついに完成した死者蘇生の禁忌魔法は成功したと思われた。
だが結果は失敗し、辛うじて生きているも、呼吸するのも苦しい状況であった。
体内にある魔力も殆んど感じられず、陸に上がったばかりの魚のようだった。
「……俺を始末しますか?」
失敗して、師にこの事を知られたらきっと自分は処罰されると思っていた。
禁忌魔法の使用なら始末されるのが妥当だろう、と自身のことを他人事のようにディートハルトは考える。
誕生して300年以上生き、己のしたいことは一通りしたと思っている。特段、心残りはない。
「っ……僕にお前を殺せと言うのか?」
「禁忌魔法に手を出したのですからそれも覚悟はできています」
一度話せば口が回るようになってきたため、そう言い返すと、師は悲痛な顔をした。
自分は今、師に対して酷いことを言っている自覚はある。
「なぜ、こんなことをしたんだ。誰を蘇生しようとしたんだ」
二度目の師の問いかけにディートハルトはようやく返答する。
ディートハルトが禁忌に手を出してまで蘇生したかった相手。それは一人だけだ。
「……レラを、蘇らせようとしてました」
「レラ王女を…?」
レラの名前を出すと師は僅かに動揺した。
当然だ。師は自分に気遣ってレラの名前を出さないようにしていたからだ。
師が動揺しているもそのまま話し続ける。
「ずっと後悔していました。師匠の用事を断れば、そうでなかったとしても毎日王宮に帰っていればレラは…レラは助かったかもしれないのに」
ずっと胸の内に抱えていた思いを吐露する。
自分が怠ったから。そのせいで、そのせいでレラは──。
「俺は十分生きました。俺の命でレラが蘇るのならそれでいいと思ったんです。…レラは異母兄妹のせいで十六年しか生きられなかったから、今度こそ狙われる心配をせずに穏やかに過ごしてほしかった」
「ディートハルト……」
沈黙が場を支配する。
ランヴァルドも不必要に言うことができなかったからだ。
彼が
だから彼女の父親亡き後も責任持って守ろうとしていたのも知っている。そして、果たせなかったことに悔いていることも。
だが、そこまで思い詰めていたとは思わなかった。
彼女の亡き後の落ち込み具合からもしや、とは推測していたが、それがこうなるとは完全に予想外だった。
「……」
ここで弟子を処罰するのは簡単だ。だが、恐らくもう弟子は──、とランヴァルドは考える。
「ディートハルト、レラ王女は死んだんだ」
子どもに言い聞かせるようにランヴァルドはディートハルトに諭す。
「レラ王女への責任はわかる。僕も、彼女の死を悔やんでいるからね。だがね、死者を身勝手な理由で蘇生するのは死者への冒涜だ。決してやってはいけないんだ」
師の言葉が耳にはっきりと通っていく。
死者への冒涜。それはそうだ。
身勝手な私的な理由で蘇生しようとしたのもわかっている。
それでも、レラに蘇ってほしかった。
「何より仮に成功してみたとしよう。彼女はディートハルトがそんなことして喜ぶと思うかい? ……僕はお前ほど彼女といたわけではない。だが、お前の行いを知ったら彼女はひどく傷つくだろう。それは、お前の方がよくわかっているだろう?」
「……」
それを言われてディートハルトは完全に黙り込んでしまう。
レラの性格は知っているつもりだ。もし、自分がレラを蘇生するために死んだとしたら──ひどく自分を責めるだろう。
ああ、なんて独りよがりな行動だったのだろう、と今更ながらに自嘲する。
レラの気持ちを考えずに行動していたなんて。
嘲り笑ってしまう。
「……ディートハルト、自分の体の変調に気づいているかい?」
自嘲していたが師の問いかけにディートハルトは自身の体調について意識を向ける。
魔力は殆んど感じない。だがこれは禁忌魔法のせいだろうと思いながら答えていく。
「……魔力が全く感じませんね」
「そうだ。もう以前のお前とは違う。──魔力が著しく減っている」
「それは代償のせいでは?」
「いいや、違う。違うんだ。──もう、お前は
辛そうな顔をしながら師が自分に言ったことにディートハルトは息を飲んだ。──
「魔力のオーラが変化している。以前のお前やレラ王女が持っていた愛し子のオーラではない。…禁忌魔法は失敗しても命を落とす確率が高い。幸い、お前は命は助かったが…代わりに膨大な魔力を失ったんだ」
師の言葉が信じられなかったが、この師はこんな時に冗談は言わない。
それはつまり、師の言っていることは真実で。
「…俺は、愛し子ではなくなったんですね」
「……ああ」
禁忌魔法は失敗し、愛し子ではなくなり、踏んだり蹴ったりだな、とディートハルトは考える。
「……ディートハルト、レラ王女の死は受け入れるんだ。そして約束するんだ。二度とこんなことをしないと」
「……」
レラは死んだ。それはずっと前からわかっていた。
レラを蘇らせてもレラのためにならない。理解すべきだった。
「……もう二度としません」
師に約束する。二度も師を裏切りたくないからだ。
「では契約を交わそう。念には念をだ」
師の警戒にディートハルトは思わず苦笑してしまう。これが、己のした結果だ。
魔法で契約を交わし、師からの処断を待つ。魔法を交わしたということは始末する気はないのだろう。
「まずは家に帰ろう。処罰はそれからだ」
そして一度ディートハルトは家へ戻ったのだった。
その後、受けた罰は魔力を一時的に預かることだった。
愛し子ではなくなっても常人より多い魔力を保有するディートハルトは制限された中で放逐されることになった。
預かる途中で魔力を大幅に制限されたせいか姿が子どもになってしまったが、これも一つの罰ということでその姿で放逐されることになった。
不満はあったものの、自分は文句言える立場ではないのはわかっている。だから五年はその生活に耐えることにした。
師の使い魔の一匹であるシロがなぜか同行することになったがあまり気にも留めずに放逐生活を送った。
一応魔力は持っていて、使い方次第で十分生きていける。そうやって過ごしていた。
そんなディートハルトに転機が訪れたのは放逐生活二年目の時だった。
ディートハルトは容姿が整っていた。それを狙ったのは奴隷商人だった。
貴族への商品として利用できると考えた商人たちにディートハルトは攫われた。
魔力を制限され、また魔力を封じる手錠をかけられた中で、シロの援護もあり、どうにか相手全員負傷させて脱走したものの、意識を失ってしまった。
そして目が覚めてお人好しの人間と出会った。
「それなら私のところに来る?」
シルヴィア・エレイン。自分を見つけた一人と言う人間との同居生活が始まったのだった。
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