ディートハルト6
ああ、またかとディートハルトは思った。
『師匠、師匠』
夢の中で、自分の後ろをついてくるのは。小さな足で必死に追いかけてくるのは子どもだ。
『師匠、おはようございます!』
『師匠! 魔法を覚えたから見て見てー!』
夢の中のため、子どもは一気に成長していく。
十代前半を迎え、明るく、自分を師匠と呼んで慕ってくる少女。
内容は覚えているが、その声はもうわからない。
『…じゃあ、一緒にダンスしてくれますか?』
恐る恐る願いを口にして、仕方なく了承したのに嬉しそうに笑い、見送る弟子。
『じゃあ待ってます』
大切な弟子なのに。それなのに、心とは裏腹に記憶は薄れ、顔も少しずつ、少しずつうろ覚えになっていき──。
「──ディートハルト、起きなさい。もう昼だよ」
「………」
頭をおさえながらディートハルトはベッドから起き上がる。
気分はお世辞にもいいとは言えない。むしろ最悪である。
理由はわかっている。救えなかった自分に対して苛立っているからだ。
カーテンが開かれ、眩しい太陽の光にディートハルトは目を細める。
「おはよう」
「……おはようございます、師匠」
そして、ディートハルトは師であるランヴァルドに挨拶を返し、空虚な一日が始まった。
***
王宮から出たあと、ディートハルトは師であるランヴァルドの元へ帰ってきた。
突然の、それもなんの連絡もなく憔悴しきっていたディートハルトを見てランヴァルドは驚いたが快く家に入れた。
そして、ディートハルトの話からレラの最期を知った。
時折訪れては孫弟子として見守り、かわいがっていたレラの最期を聞いて、ランヴァルドも大きなショックを受けた。
だが、それよりも弟子のディートハルトの方が大きく憔悴し、ランヴァルドはディートハルトの居候を許した。
レラの依頼が来るまではディートハルトもここに住んでいて、馴染みのある場所で休ませた方がいいと判断したからだ。
それからディートハルトは定期的に外の空気を吸いながらも、ランヴァルドの家に居候している。
「まったく、今日は特に寝坊したね」
「…すみません」
「…まぁ、構わないさ。だが…」
そう言ってランヴァルドは声を詰まらせる。
ディートハルトの顔色が悪い。
きっとまたあの夢を見たのだろう、とランヴァルドは推測する。
あの出来事からそこそこの時間が経った。しかし、ディートハルトは未だに引き摺っている。
他人に対して興味関心が薄い子だったが、あの九年間はディートハルトにとって有意義な時間だったのだろう、とランヴァルドは考える。
「…よし、ディートハルト。仕事を頼んでもいいかな? 魔法薬の依頼ができたからね、それを届けてほしいのさ。相手はお前も知っている薬師さ」
「……わかりました」
「頼んだよー。終わったら買い物もお願いするよ」
食事の後、ディートハルトは師から完成した魔法薬と買い物のメモを受け取って、例の魔法薬師がいる町へ空間転移をして町を歩く。
師は禁忌魔法の対処以外にも知り合いたちから依頼を引き受けていて、自分もレラの面倒を見る前はこうして手伝いをしていた。
正直、仕事ができてよかった。仕事があればそちらに集中できる。
「魔法薬師、魔法薬を届けに来た」
「おや、早いねぇ。ありがとう、寄越してくれ」
店の椅子に腰かけていた
「代金じゃ。また依頼するからよろしくと伝えておくれ」
「わかった」
魔法薬師への仕事が終われば買い物に行く。
魔法薬師が店を構えている場所は町の端で、買い物をするために町の中心部へ移動する。
老若男女の人間が歩いていて、客を呼び掛けているのを見ながら歩いていく。
声をかけられたりするも、適当に避けて、師から頼まれた物を購入していく。
「パパー! ママー!」
買い物をしている途中、声の高い少女の声が耳を通り、目を向けると懐かしい金茶髪の子どもが父親と母親の間に挟まれて楽しそうに歩いている。
金茶髪。懐かしい色合いで、昔を思い出す。
「お兄さん? どうしたんだい?」
昔を思い出していたが、店の店主の声と怪訝な顔にディートハルトは現実に意識を戻す。
「……いいや、これもついでに買おう」
「あいよ」
追加で購入したら店主は現金なもので笑みを浮かべたのだった。
***
買い物を終えたディートハルトは自身と師が住む家へ帰り、部屋に戻った。
そして先ほどの買い物で、つい昔を思い出してしまったのはきっと夢のせいだと結論付ける。
夢の中でも見て、先ほどの買い物でも懐かしい金茶髪を見た。
もういないのに。
レラが亡くなって五十年が経った。
セーラ王国は滅び、国王のアイザックは処刑されて、家族は生涯幽閉の身になったと風の噂で聞いた。
理由は勿論、近隣諸国との同時戦争である。
セーラ王国は北と西、南に三か国と国土を面していた。
国土はセーラ王国に及ばないものの、レラ亡き後、連携して北と西の国から攻めてきたのだ。
二方向の戦闘は次第に劣勢になっていき、ついには南からも攻め入られて最後は国民のクーデターが発生し、国王の首で決着が着いた。
それを聞いてもディートハルトは無感情で、何も感じない。
アイザックの首を取ってもレラが蘇るわけではないからだ。
「……」
首にさげているペンダントに触れる。
琥珀色の、蜂蜜のような色合いのペンダントはレラの瞳とよく似ている。
レラの死後、度々レラと過ごした夢を見た。
十六年の人生で、最期は苦しんで死んだ弟子を考えると胸が苦しくなる。
自分があの時、レラの笑顔に不安があることに気付いていれば。
せめて、途中からでもレラの様子を見に帰っておけば。
そうしたらレラは今も笑っていられたのではないか?
修道院に行っても定期的にレラに会いに行けばアイザックも殺しにくかったかもしれない。
それなのに、自分は。
「……レラ」
弟子の名前を呟きながらディートハルトは最後に会った時を思い出す。
レラの願いを叶えてあげられなかった。
ダンスを踊りたいって言っていたのに。
ダンスだけじゃない。レラは王宮の外に出たことがないから前国王が亡くなった後にでも一度でも連れ出しとけばよかった。
いつも自分や師、母親から聞く外の話に興味を持っていたのだから。
なぜそんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
それ以外にも叶えてやればよかったのに、とディートハルトは後悔を滲ませる。
「レラ」
明るくて寂しがり屋で、少し生意気なところがある弟子。
正直、自分は無愛想で万人に好かれるような人間ではない。
そんな自分に懐いていつも笑顔を向けてくれた素直な弟子。
『師匠』
レラの声はどんな声だったか? 高かったか? 元気な声だったか? 明るい声か?
九年も一緒に過ごしたのに。なのに、思い出せない。
レラの思い出は覚えていても、その詳細は忘れていく。
まだ顔は覚えている。だが、まだ数百年生きる自分はいつまでレラのことを覚えているだろうか?
そのうちレラの顔に仕草、思い出を忘れてしまうのだろうか?
そう考えるとディートハルトの中に恐怖が走る。
自分の中にいるレラが消えていくことに。
忘れたくないのに。なのに、記憶は少しずつ薄まっていく。
ぎゅっ、と壊れない程度にペンダントを強く握る。
質はいいが、物であるためいつかは劣化していく。
だから魔法で劣化しないように保護をして、身に付けている。
レラを忘れたくないから。
琥珀色のペンダントはレラの瞳の色で。
レラの名前が刻まれていて、レラが生きていた証拠で。
まるで刺されたようにレラを思い出すと胸が苦しくなる。
なら思い出さなければいい。だが、そんな簡単に割りきれない。
忘れたくない、という気持ちが胸を埋め尽くす。
『寂しいですか?』
あの時、自分は寂しくないと答えた。どうせまたそのうち会えるからと。
レラも自分と同じように数百年生きると勝手に思い込んでいた。信じきっていた。
それが約束されたわけでもない、不確かなことなのに。
自分と違い、レラには自由がなくて何もかも異なるのに。
「……寂しいさ」
ポツリとディートハルトは呟く。
レラの声がもう聞こえなくて。レラの笑顔がもう自分に向けられなくて。もう触れることができない距離にいて。
『まだ死なないよ』
そう言ったのに。なのに死んでしまって。
五十年経っても胸を埋め尽くすのは、レラに対する悔恨で。
「…お前と過ごした日々は特別だったさ」
初めは師に命じられて渋々と出会い、不本意ながらも師の手のひらで転がされている感覚がありながらも魔法指導をした。
だが、気づけばそれが日常になっていって、魔法指導以外の時間もよく過ごすようになった。
レラと出会う前も師の手伝いなどで色んな人間と関わったが、そこには彩りはなく、無彩色であった。
他人に興味がないのと、所詮は
だがレラは違う。同じ愛し子なのに自分と異なる環境にいて。
初めは、同情だった。その気持ちで接していた。
なのにレラは明るく笑い、過ごした日々は色のない世界に色が宿ったように彩るようになった。
大切に思えた存在だった。あの花が咲くような明るい笑顔を守りたいと思った。
この感情は、なんというのだろう。
「……ああ、なるほど」
数秒の間、考えて胸の中にある感情の名前が何か解明したディートハルトは、同時に絶望する。
なぜ今頃気づいたのだ。それも、レラが亡くなってから、と。
愚か者だな、とディートハルトは己を自嘲する。
同時に頬が濡れていることにディートハルトは気づく。
視界が滲んでくる。ぼやけてしまう。
手で荒々しく拭いても涙は止まることを知らない。
「…なんで今頃気づくんだろうな」
居心地がよかった。父親を亡くし、師に拾われて以降、初めて居心地がいいと思った場所だった。
守りたいと初めて思った相手だった。不安定な立場に生まれて命を狙われていたから。
大切な人など作らなければこんな苦しむことなかったのに、と思いながら想いは消えなくて。
きっとこの想いを持ったまま時は過ぎていくのだろう。二度と大切な人はできないだろう、とディートハルトは感じた。
「レラ……レラっ……」
いくら名前を呼んでも返事はない。
もう、二度と会えないのだ。あの明るい笑顔を見ることも、声を聞くことも。
そのことを改めて自覚してディートハルトは再び絶望したのだった。
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