ディートハルト1
ディートハルトの一番古い記憶は雪が降り積もった寒村の故郷である。
貧しい農民の家に生まれ、母親は生まれてすぐ亡くなり、父親と二人暮らし。
決して裕福ではなかったものの家はあり、固くて少ないながらもパンを食べることができる環境だった。
そんな彼の生活が変化したのは村を襲った流行り病だった。
近隣の町や村を襲った流行り病はディートハルトの住む村にまでやって来て、ついには彼の父親の命までも奪った。
決して少なくない村人の命が散った。そして、残された親族の末路はいいとはいえなかった。
冬が厳しい村だ。自分たちが食い繋ぐことに精一杯な
ディートハルトもその一人で、まだ六歳だったディートハルトは唯一の肉親の父親を亡くし、同郷の村人も手を差し出してくれなかったことで自分一人で生きていくことになり、流れ着いた先がスラム街だった。
***
スラムには大人に子ども関係なく住んでいるが、幼い子どもがスラムに住むのなら集団で住むことが殆どだ。
なぜなら子どもは非力だ。体力も、腕力も、脚力も、魔力も。
だから同じくスラムに住む大人たちから身を守るために複数人で行動して生活していた。
だがディートハルトは違い、常に一人で行動していた。
理由はスラムでの生活がそうさせたからだ。
美しい顔立ちをしていたがゆえに、誘拐されて奴隷にされそうになったのは一度や二度ではない。
中には、親しくして油断させて奴隷商人に売り渡そうとしたスラムの子どももいた。
貧しくても誘拐とは無縁だった故郷とは違い、スラムでは珍しくない。そんな経験からディートハルトは警戒心が強くなり、人を信じず、己だけを信じるようになっていった。
ディートハルトが一人でも生きていけたのは彼の類い稀なる魔法の才能が関係している。
魔法は誰でも使える。ディートハルトも含まれ、雷の魔法を得意としていた。
この雷の魔法が子どもながらに大人、いや王宮魔導師に匹敵する威力を有していて、この魔法のおかげでディートハルトは一人でも生きて行けた。
そんな彼の生活に変化をもたらしたのは八歳の頃。
水の魔法が使えたため、獲物を物色するために体の臭いや汚れを魔法で落とし、市場を歩いていた。
食料を奪うのは勿論だが、金銭を奪うターゲットを探していた。
見た目は女、もしくは体格から見て弱そうな男、動きが鈍い人間、金持ちと考えられる限り考えて歩いていた。
そして、その人間を見つけて息を、気配を押し殺して歩いていった。
アイボリーの色をした髪に服装から見ても裕福そうで、弱そうな男。
男の後ろを通って財布を奪った瞬間──ディートハルトは肩を掴まれた。
「……!?」
「君、それは僕の財布だよ? 拾ってくれたのかな? それとも奪ったのかな?」
微笑みながら優しく尋ねてくる男にディートハルトは焦る。
気配を押し殺していたのになぜ、という気持ちから早く逃げなければと掴まれた手を魔力を込めて叩いてはたく。
「おっと」
手が離れたのを確認してディートハルトはそのまま走って逃げようとした。
幸い、昼の市場は人が多い、この人だかりで自分を見つけられるはずがない。そう思っていた。
「ふむ、仕方ない」
「……!?」
だからいきなり地面から現れた植物に足を絡めとられて混乱した。なぜ、ここには植物なんかなかったのに、と。
ほどこうとすればするほど拘束されていくのにディートハルトは恐怖を覚えた。
まるで、意思を持った植物のようで。
「っ…火よ、集え! 植物を焼け!」
急いで魔法を唱えると拘束力が弱まり、ほどくことができたが、再び肩に手が乗る。
「捕まえた。さぁ、君。それは僕のだ。返してくれるかな?」
優しく尋ねるもその手はしっかりと掴んでいて、鋭く睨みながら舌打ちする。
このまま返しても憲兵に突き出されて殴られるだけである。ならば逃げるしかない、と頭を回転していく。
「雷よ、集え! 麻痺させろ!!」
詠唱した瞬間、ビリッと小さな火花が出て男のきれいな手を怪我させる。
「へぇ、二属性か」
「…!? な、んで……」
確かに雷の魔法を唱えたはずなのに。なのに男には効いておらずディートハルトは動揺する。
そして他の魔法ならばと詠唱する。
「風よ、集え! 攻撃しろ!!」
風の魔法を唱えると強風が吹いて男に向かう。
なのに──。
「風よ、打ち消したまえ」
目の前の男が小さく呟くとディートハルトの強風は一瞬にして消えた。
「はっ……?」
「風も使えるのか。すごいねぇ」
ニコニコと微笑みながらディートハルトを見つめる男に、ディートハルトは恐怖する。
魔法に自信があった。それが今、崩されようとしていて、ディートハルトには初めての出来事で混乱するしかなかった。
「そにしても三属性か。それにこのオーラねぇ…」
ぶつぶつと男は小さく独り言を発し続けている。
「ね、君。他の魔法も使えるのかい?」
「……は?」
男がいきなり言い出した言葉にディートハルトは困惑する。なぜそんなこと尋ねてくるのだろうか、と警戒する。
「火と風に雷。他に何か使える属性があるのなら教えてくれ。そうしたら憲兵に突き出すのはやめよう」
警戒するディートハルトに男はそう提案し、ディートハルトは考える。
今ここで憲兵に出されては殴られるのが落ちであろう。ならば教えたらいい。
もし嘘をつくのなら魔法を大量に使えばいいと思案する。
「……わかった」
「よし、じゃあ端に寄ろう」
男に手を引かれて端に寄る。
自分とは違うきれいな手。裕福な証拠である。
自分とは違う世界の人間なのだと感じる。
「水は使えるかい? できるのなら唱えてくれ」
「……水よ、集え。雫を作れ」
唱えると指先に雫が発生する。
「土」
「……土よ、集え。地面よ、盛り上げよ」
「光」
「…………光?」
怪訝な顔をして男を睨む。光魔法とはなんだ、と目で告げる。
「ならこう唱えてくれ。光よ、集え。結界を作れ」
男が唱えると自分たちの周りに透明な膜が発生する。なるほど、これが光魔法なのかと認識する。
「……光よ、集え。結界を作れ」
自身が唱えると男と同じように膜が生まれる。
「よし、最後。闇よ、集え。黒き矢よ生成せよ」
「……闇よ、集え。黒き矢よ生成せよ」
男と同じように繰り返して詠唱すると──黒い矢が生まれた。
「七属性…やはりそうか」
「……?」
男の呟きにディートハルトは疑問を感じながら観察していく。
そして次の瞬間、男は衝撃的なことを発言した。
「一人なら僕の元へおいで。面倒を見よう」
「はぁ?」
突然の発言にディートハルトは困惑する。なぜいきなりそうなるのか。
「…………何考えてるんだ?」
「君は特別な子だ。このままだと君のためにならないからね。僕が面倒見よう」
「俺が……?」
男の言葉にディートハルトは眉をひそめる。自分が特別? ならばなぜ自分はスラムに住んでいるんだと考える。
「そう。君はおそらく
「
初めて聞いた、とディートハルトは考える。
「類い稀なる魔法の才能、魔力に愛されし人間。それが
そう言いながら男が手を差し出すのをディートハルトは見つめる。
食事。きっと
ゴツゴツと砂と石がある地面に寝ずに済む。床で眠れる。
服。ボロ切れのような服ではなく、故郷のようなもう少しまともな服が着られる。
少なくとも今の生活から抜け出せるのなら、という思いでディートハルトは男の手を取った。
「ありがとう。それじゃあ、君の名前を教えてくれるかな?」
名前。もうずっと呼ばれたことのない名前を自身の口から紡いでいく。
「……ディートハルト・リゼルク」
同時に父親が優しく呼んでくれていたのを思い出す。もう、二度と叶わない思い出。
「ディートハルトか。いい名前だ。さぁ、ディートハルト、家に帰ろうか」
家。これからは、この男の家が自分の家にもなる。
だが、一つ疑問がある。
「……お前はなんなんだ?」
きれいな身なりの人間なら今までもたくさん見てきた。
しかしこの男は違う。きれいな身なりをしているが、どこか人と違う。
それが不思議で、つい問いかけてしまった。
問いかけに男はディートハルトを見て、微笑んだ。
「──僕はランヴァルド・アーメル。
そう、呟いた。
***
それからディートハルトの生活は大きく変化した。
師であるランヴァルドから愛し子の証である聖痕を見せられ、自身の体にも同じのがあるのを知った。
愛し子とは何かを詳しく教えられ、同時に自分は長い人生を送ることも知った。
毎日文字の学習に魔法に剣術、言葉遣いに礼儀作法に家事を教え、悪いことをしたら怒り、いいことをしたら褒めてくれてランヴァルドに心を許すのに、そう時間はかからなかった。
「ディートハルト、魔力の放出は制御するんだ。荒々しく唱えるんじゃない。きちんと詠唱するんだ。じゃないと人に怪我を与えかねないからね」
特に魔法では、座学に詠唱に加え、魔力の扱い方もきちんと教えてくれた。
ある時は兄のように、ある時は父親のように、ある時は師として接するランヴァルドは、父親を亡くしてから人の温もりに飢えていたディートハルトにとってようやく信用できる人であった。
そんな師との生活が十年を超えた頃、ディートハルトはランヴァルドからあることを言われた。
「──愛し子の魔法指導、ですか?」
「そう。知り合いの魔法使いからの依頼でね。愛し子の王女様がいるんだと。もう年だし、同じ愛し子に教えてあげてほしいんだって。で、ディートハルト。お前に任せよう」
愛し子は身分関係なく生まれるから、王族に生まれることもありえる。
だが、権力者でかつ希少な愛し子とは世の中不平等だな、と内心感じた。
そして、師はそんな王女の指導を自分に任せようとしている。
「…もともと師匠に対する依頼なのでしょう? 俺じゃなくて師匠がやるべきでは?」
「お前のことを話したら別に構わないと言っていたよ。だから指導してきなさい」
「嫌です。なぜ俺がしないといけないのですか?」
思ったことを口にする。この程度で師は怒らないことは把握済みだからだ。
「ディートハルト、お前は僕に恩があるのかもしれない」
「当然です。あのまま師匠と出会わなかったら愛し子とは知らずに生活していたでしょう。死んでいたかもしれませんね」
だから
「ディートハルト。お前はもっと人と関わるべきだ」
「……」
「他の人間には警戒心が強く、親しくしようとしないだろう? それはダメだよ。悪人もいれば善人もいる。もっと色んな人たちと仲良く、とは言えなくとも話しなさい」
「……」
ぐぅの音もでない、と表現すべきなのかとディートハルトは考える。
それはわかっている。だが、別に親しくしなくてもいいとも考える。
なぜならどうせ彼らは必ず自分より先に死んでいく。
父親を亡くし、残された人間になったディートハルトはあまり親しい人を作りたいとは思えなかった。
「ディートハルト。指導するのは愛し子の王女で長寿のせいで孤独になる子だ。今度会いに行くからお前も同行しなさい」
「…必ずですか?」
「ああ、引きずってでも同行させよう」
そして有言実行通り、ランヴァルドはディートハルトを引きずって王女に会いに行った。
それがディートハルト・リゼルク、十九歳とレラ・セーラ、七歳との出会いであった。
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