忘却の館



◆忘却の館



 知らぬ間に御者はいなくなっており、気づくと僕らは館の前に並んでいた。

 墓地の近くだ。あたりに人影や建物は無い。

 館の扉がひとりでに開く。中へ足を踏み入れる。

 豪華なエントランスは2階までの吹き抜け。正面は階段で、踊り場から左右に2階へ分かれている。装飾は赤と金がメインで、クロエ君のイメージとは異なる配色だった。長い燭台がいくつも立っており、淡い炎がチラつく。

「いらっしゃい」

 クロエ君は踊り場に立っていた。上着は絵の具に汚れた白を裏返した、黒であった。

 一瞬、なぜ僕らはここにいるのだろうという気になった。そうだ、仲間のためだ。

「大事な人に会いにきた」

 口にしないと忘れそうだった。

「大事な人?」

「そうだ!」

「それはぼくのことだよ、ロロル君」クロエ君はゆっくり階段から下りてくる。「料理を用意してあるんだ。こちらへ」

 彼に案内され、僕らは食堂へ。

「ロロル君、みなさんも、武器はしまってくださいね。さっ、冷めないうちにいただきましょう。どれも一流のコックに作らせたんですよ」

 美味しそうな料理の数々に、僕らは喜んで席についた。サティだけ、クロスボウなんていうブッソウな物を手に、クロエ君を睨んでいた。

「すごいな。僕のスキルにここまで抗うなんて」

 クロエ君が震えながら立ち尽くしていたサティの額に触れた。「パーティの時間だよ」と囁かれて、

「…………あぁそうだったっけ」と彼女も大人しく席についた。

 パンパンっと、クロエ君が手を叩く。

「みんな、今日はぼくとロロル君のために来てくれてありがとう! まずは乾杯しよう」

 パーティが始まった。ピアノやバイオリンの生演奏を聴きながら、僕らは食事を楽しんだ。

「おいしい〜! こんな豪華なご飯初めてぇ! サティの好きな鯛もあるよぉ!」

「別に鯛が好きなわけじゃないわよ。ねぇねぇそれよりさ、2人はいつどこで出会ったの? まさかダンジョンじゃないわよね?」

「ボクも聞きたいにゃ!」

 女の子たちに質問攻め。前までの僕ならそれだけで舞い上がっていただろう。でもクロエ君がいてくれる悦びにより、可愛い子たちに目移りすることもなく落ち着いて振る舞えた。

「僕らはね、気付いたら一緒にいた、って感じかな」

 楽しい時間はあっという間だった。

 女友達を屋敷の外まで見送る。

「みんな、忘れ物はありませんか?」

「大丈夫ぅ!」

「じゃあ2人とも。お幸せに」

「さよならにゃ!」

「じゃあ、彼女らをお送りして」クロエ君は燕尾服の御者に命じた。

「御意」

 3人は馬車に揺られて帰っていった。

「楽しかったね。馬車酔いしなければいいけど」クロエ君は言った。

「そうだね」と答える。

 これから彼と暮らしていくのか。

「ねぇ、少し歩かない?」

 僕が提案すると、彼は微笑んだ。

 館を出て、あたりを散歩する。

 日が傾き、空は赤みがかっていた。彼と手を繋いで歩いていると、クロエ君が僕の腕に何かを見つけた。

 僕の腕の内側にはマナで文字が書いてあった。

「なんだろう、これ」


 忘れるな クロエは敵 仲間をとられてる


 見たことのない文字だった。外国の言葉だろうか。

「これは異世界の文字だね」

「異世界の?」

「そうさ。でもこんなの誰も読めないから消してしまおう」

 クロエ君は僕の腕を赤い舌で舐めた。

 文字は簡単に消えた。

「君は魔法が使えるなんて、やっぱりすごいね。僕なんかダメダメだからさ」

 クロエ君は微笑み、「ダメダメじゃないさ」と僕の頭を撫でてくれた。

 小高い丘にある墓地までやってきた。

 葬式をやっているところがある。クロエ君は涙に濡れる葬列に近寄る。

「心を亡くせ」

 そう言うと、彼らははたと泣き止んだ。互いに顔を見合わせ、なにしてたんだっけと、散り散りになって帰っていく。

「クロエ君、何をしたの?」

「故人の記憶を消したんだ。そうすればもうみんな悲しまなくて済むからね」

「ああ、なるほど」

 彼の言葉はなぜか、心の空白になった箇所に、ストンと落ちる。なんで空白だったんだっけと考える間もない。そういうものだ、そうだったねと、納得してしまう。

「ロロル君」

「なに?」

「ぼくはきみとこうしていられて、幸せだよ」

 空の赤みが増した。

 夕映の景色にクロエ君はいる。彼の影は黒く沈んでいて、僕は彼を夕陽の中に見失いそうになった。

 僕は、幸せ…………なのだろうか。

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