一糸まとわぬ証明


◆一糸まとわぬ証明



 新しい服を着て街を歩く。

 ザ・なんの変哲もない都民……といった物を賢木さんは選んでくれたらしい。


「あ、そうです。今和野君、私たちの新しい名前を決めておきましょう」

「新しい名前?」

「一応私たちはお尋ね者になると思うので。この時間になっても街に異変が無いのは、恐らく昨夜の3人のことは公表されていないのだと思います。お祭り中だったとは言え、王城の敷居内の出来事でしたから、隠し通せると判断されたんでしょう」

「クラフトの威信に関わるから、ってとこかな」

「はい」


 賢木さんは1年間の異世界暮らしの経験を踏まえた予想を話してくれた。

 女神、世界樹、クラフトたちの順に異世界人の信仰、尊敬、畏怖の対象となっている。

 クラフトが死んだ、どうやら逃げた奴隷の2人が怪しい、奴隷ごときにクラフトが殺されたとなれば問題だ!

 という流れで、都民に不信が生まれることを恐れたに違いない。王都の政権は王とその身辺にいるクラフトたちが握っているから。


「この国の王さまも、転生者?」

「古い転生者だという噂です。ただあまり表には現れないのです。王の名はギョージ」


 転生者がこの世界の歴史に多く関わってきたんだな。


「ふうん。……それで名前についてだけど、もし追手がいるとなるとクラフトか、それの息がかかった者になるから、僕たちの素性が割れてる可能性がある。だから現世の名前でホイホイ動き回るわけにもいかないわけか」


「その通りです。ですが、目撃者の有無はともかく、私はそこまで心配する必要もない気がします。あの日、同窓会の会場では今和野君は顔にかなりの傷を負っていました。加えてあの場にいた私以外の誰もが、今和野君を忘れていました」


 忘れていた。たったの一年で。


「だけど君は」

「初めこそクラフトたちによる腹いせ死刑の毎日でしたが、それも彼らがこの世界で贅沢するうちに減っていきました」


 異世界転生は常人にとって衝撃的だ。転生先が地獄ならクラフトたちも決して怒りを無くさないだろう。でも贅沢三昧の毎日なら、それも薄れるのかもしれない。


「忘れていくのは私も同じでした。この一年、私は『壊れても平気な奴隷』でした。でもそれは体だけで、心は苦痛を拒否するにつれて、喜びや、現世の記憶などを捨てていったんです」


「辛かったね。みんなのことを覚えていないの?」


「すいません。あまり覚えていないんです。意図的に忘れたんだと思います。文字通りの抜け殻のようになっていたんです。そんな私に興味関心があるのは一部の好事家くらいですよ」


「一部の好事家…………の一部も昨日復讐されたしね」


 国島たちだ。


「きっと大丈夫だと思います。そう思えるんです」


「賢木さん……」


 辛い時の『大丈夫』は危険な誤魔化しだ。

 本当に大丈夫?

 でも、聞こうとして、やめた。

 彼女が笑うから、僕も笑うことにした。


「そうだね」


 半ば無理やりとも言えたけど気持ちが楽観的になってきた。油断はするに越したことはない。だけどそこまでビクつく必要もなさそうだ。僕のことだってみんな忘れていたし。

 それにだ。いざ追手が来たって一撃で呪殺できるんだから。


 簡単に、殺せる。


 そう思うことで心に余裕ができた。

 まぁ簡単に殺す気はないけどね。僕の顔が割れていないのは、復讐にはうってつけだ。なぜ忘れられているのかは分からないけど、今はこれを利用させてもらおう。


 足取り軽く歩いていると。


「オイっ、お前らちょっと待て」


 ひと気のない路地裏だった。突然声をかけられて背筋が凍りついた。


「な、なんでしょうか」


 身の丈2メートルはありそうな大柄の獣人だった。顔を見る限り犬か狼のようだ。半袖のシャツにエンブレムが刺繍された腕章をつけている。警察のようなものだろうか。


「見ての通り警護団のモンだ。お前らなにしてる」

「旅の者ですが……」

「名前は?」


 名前…………なまえ、ぎめい、偽名————。


「僕は、ロロルです」

「私は、フェニです」


 とっさに出た名前だった。


「身分証を出してくれるか? 武具の所有証明はあるか? 無いならギルドカードは?」


 矢継ぎ早の質問。

 鋭い爪のある手のひらを差し出してくる。


 答えに詰まった。ちらりと賢木藤美あらためフェニを見ると、同じように緊張の面持ち。警護団の男は明らかに僕らを訝っている。


「身分証は、実は持ってないんです……」

「ナゼだ? お前らからは奴隷の匂いがする。奴隷を使役しているんだろ? ならば身分証が無いのはおかしいが」


 なんて答えればいい? もし警護団の本部のような所に連行され、そこに王城の者が僕らを探しに来た場合、かなりマズイ。死人がでる。

 家出をして自由の翼で羽ばたいていたら、警察に呼び止められた。そんな気分だ。

 奴隷商人を偽るか? いやそもそも奴隷商人は職業として認められているのか? 街に奴隷は何人も見かけた。では合法? でもこんな普通の町人の見た目は、奴隷商人のパブリックイメージに合っていないかもしれない。アロハシャツを着て「葬儀屋です」と名乗るくらいミスマッチの可能性もある。どうしたら。


「白状します」


 そう口にしたのは賢木さん、いや、フェニだった。


「私たちは奴隷なんです」

「なんだって?」彼は遠慮なくこちらを睨んできた。「誰のだ」

「いえ、まだ誰のものでも。販売前の輸送中、逃げたんです。身分証が無いのはそのためです」

「逃走奴隷か。その場合、誰の持ち物でもないと証明する必要があるぞ。輸送中に逃げたのならそれは奴隷商人の失態として無罪になる。だがな、もし刻印があるなら誰かの所持品。ちょっと移動しようか」


 僕らは獣人の彼と先ほど着替えで使った公衆トイレに戻った。

 場所の指定はフェニの提案だった。トイレに捨ててあった僕らの奴隷用のぼろ布がフェニの言葉の信憑性を高めた。


 僕はトイレの個室に連れていかれ、指示通りに服を脱いだ。奴隷の印をキャラバンに刻まれなくてよかった。いや、死んだから刻まれても治っているか。


「ロロル君の体には刻印は無いな。しかしだ、フェニさんの方は女性だからな。女の団員を呼ばなきゃならないからちょっと時間がかかるが」


「私は大丈夫です」


「いやしかしなぁ。今なら多分仲間が近くにいるはずだし、遠吠えをしたら聞こえる距離だと思うから……」


「お気遣い結構です!」


 フェニは潔く服を脱ぎ捨てた。僕は慌てて目を逸らす。


「刻印などどこにもありません!」


 あ………………。


「たっ、たしかに無いようだ、が……」


 警護団の男が大柄の体に似つかわしくないモゴモゴした喋りで告げる。


「パンツも無いんじゃ……」


「ひぇっ?!」


 その後、フェニのけたたましい悲鳴に、女性の警護団員が駆けつけたが、まぁどうしたってあとの祭りだった。

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