呪殺



◆呪殺



 顔にアルコール臭い液体がかけられて、泥水の沼から意識は浮上した。


「カンパイだぁ〜、えひゃひゃ〜」


 千鳥足の男が空になった酒瓶を手に歩いていく。城の敷地内にあんなのが迷い込んで、セキュリティはどうなっているんだろう。


 まぁでも、もういいや、顔にお酒をかけられたって、なんでも。


「今和野、君……?」


 不意に本名を呼ばれた。


「…………え?」


 僕を知ってる?

 半身を起こして顔を向けると、他でもない賢木さんが心配そうな顔で僕を見ていた。


「今和野君なんですか? こんな近くにいたなんて。本当に……? あぁ私、あなたまで殺してしまったんですね……」


「殺した?」


「私が…………爆破犯なんです」


 彼女の口から出たそのセリフは衝撃の真実……であるはずだった。なのに僕は「あぁそーですか」と心の中で呟いた。だって今更だ、そんなこと。この異世界で僕を知ってる人に、しかも恋い慕っていた人に会えた喜びの方が何倍も強い。


「あの、賢木さん、僕のこと知ってるの?」


 そう聞くと、賢木さんは力なく微笑んだ。


「もちろんです。その…………好きだった人のこと、忘れるわけありませんよ」


「好き……? 僕のことを?」


「………………はい」


 この世界では分からないことばかり起こる。理解が追いつかない。

 好きだって?

 まさかそんな。

 賢木さんが、いじめられっ子の僕を好きだなんてあるはずがない。そんなのおかしい。世界の七不思議として数えたっていい。勇者と魔王が付き合ってたり、戦隊モノのレッドが悪の組織の親玉と逢瀬していたり、そんな感じの……悪い冗談なんだろう?


 まじまじと賢木さんを見てしまう。城内の彼女とは全く異なった。ぼろぼろの制服に、肌も汚れていたけど、内から発せられる美しさは消えていない。潤んだ瞳が、かえって押しつけられた穢れの中で強く輝いていた。


「あれ、賢木さん、さっき胸を刺されてなかった……?」


 意識が飛ぶ前、僕はたしかに彼女の胸がナイフで貫かれるのを目撃した。


「はい。でも私のスキルで平気なんです。スキルというより呪いですけど」


「呪い……? じゃあ僕と一緒だ」


「一緒、ですか?」


「うん。僕のスキルは【怨呪】。人を呪う能力。でも自分も呪われちゃうんだけどね」


 だから一回も使ったことないけど、と最後に呟いて、僕は力なく笑った。


「そうなんですか……」

「でももういいんだ。僕は自分にスキルを使ってみるよ」


 本当はクラスメイトたちを呪い殺してやりたいけど、もう動く気力は少しも湧かない。最後に人生初の告白をされ、両思いになれたことが冥土の土産ってやつだ。


 次の人生はせめて、これを糧に明るく生きていきたい。


「人を呪わば墓穴2つ……って言うけどさ、この場合、墓穴は1つでいいね。自分を呪い、自分に返ってくる呪い。死ぬのは僕だけなんだから」


 まさに命懸けのジョークだ。でも賢木さんは笑わない。僕だけが、ひくひくと頬をふるわせて、口角を上げて、歯を見せて、笑ったそぶりをしていた。


「今和野君がそう決めたのなら、悲しいですけど、私に止める権利はありませんよね。でも、一つだけお願いがあります」


「なんだい? 僕でよければなんなりと」


 おどけた仕草で片手を胸に当てる。

 ふざけた僕とは反対に賢木さんは真剣な表情で告げた。


「今和野君、私を呪い殺してください! 好きな人のスキルで私も死にたい! あなたの墓穴に私も入れてください!」


 予想外の願い事に面食らう。

 まぁでも、お安い御用だ。

 学校の爆破も、彼女に殺されたことも、なんだかもうどうでもいい。初めて告白されたことと、死にたいという願望で心はいっぱいだった。


「賢木さんも辛いよね」


 たくさんの人を殺しておいて、好きな人のスキルで死にたいだなんて、どれだけ勝手なんだよと怒る気にもなれない。地球上の人間が有罪だと罵っても、僕だけは無罪の札を挙げよう。


「あっ! でももしかしたら、私は死ねないかもしれないんです」


「どうして?」


「私のスキル【不終の痛み】エンドレスペナルティのせいです。私は学校に爆弾をしかけて、多くの人を死なせました。その罰なんです。転生直後から奴隷でした。終わらない苦しみを味わえ、ということなんです」


 今更だけど、信じられなかった。あの賢木さんが、爆弾をしかけただなんて。


「すいません。なぜそんなことをしたのか、自分でもよく覚えていないんです。本当に、こんなことになってしまって申し訳ありません。この1年間、何度も殺されました。私も、終わりたいんです。とっくに心は死にました。早く墓穴で眠りたい」


 1年もの間苦しめば、もう充分に罰は受けたはずだ。

 自分のスキルで彼女を苦しみから救えるだろうか。もし救えたなら、クラスメイトたちへの復讐にも繋がる。あいつらから怨むべき爆破犯を取り上げてやる。


「大丈夫だよ、賢木さん。僕は君を怨んでなんかいない。逆に、まだ半分もあった生き地獄を終わらせてくれて、感謝してるよ」


 そう、ずっと死にたかったんだよな、きっと。


「そう言ってくれて楽になりました。ありがとうございます……」


 どちらからともかく手を繋いでいた。


「あなたと一緒に死ねるなんて幸せ」


 僕は頷いて、目を閉じた。

 意識を集中する。

 初めてだけど問題ないはずだ。解る。


「スキル発動————」


 次があるなら、もっとマシな人生を所望する。


  【怨呪】えんじゅ


 現世にはなかった感覚が体中を巡った。

 悲鳴のような、雷鳴みたいな、豪雨にも、地響きにも似た、不吉な音が響き渡る。


 目を開ける。

 賢木さんを黒煙が包んでいた。

 闇だ。

 彼女の体を撫でるように這い、やがて染み込むように消える。

 断末魔。

 一度、咽せたような短い息。賢木さんの瞳から光が消えた。


 死。


 繋いでいた手の力が抜ける。倒れかけた体を抱きしめて支えた。

 気づくと僕にも闇がまとわりついている。

 因果応報。人を呪ったんだから、その報い。


 賢木さんの体に力が入った。目を見開いて僕を睨む。


 ああ、ごめんね。

 僕じゃ、殺せなかったんだ。

 苦しみを終わらせてあげられなかった。

 僕ってほんと、何もできないんだな。

 声に出して謝ろうと口を開きかけた。だけどそれさえもできなかった。


 凝縮された苦痛が骨身に突き刺さり、僕の世界は闇に堕ちた。


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