出口は灼熱の向こうに(境トンネル多重衝突炎上事故)

上松 煌(うえまつ あきら)

出口は灼熱の向こうに(境トンネル多重衝突炎上事故)

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 焼津はガテン系と流れ者の街だ。

1988年当時、隆盛を極めいてた物流と遠洋漁業は全国から人を呼び込み、洗練された東京とは違った一種独特の熱気をかもしていた。

港近くのション便臭い小路には魚のとろ箱がうず高く積まれ、風俗女の嬌声や美人局(つつもたせ)の誘惑、酔っ払いの哄笑や喧嘩の罵声が響いてくる。

駅からしばらく南に下った本町6丁目には、まだシネマが2軒残っていた。

なんとなく性に合いそうな街だ。

あたりを埋め尽くす赤提灯とネオンの只中を、今宵の止まり木を求めて歩く。

(お、ここがいい)

潮風にしゃぶられてすっかり色あせ、引きちぎれた暖簾をくぐる。

思ったとおり、油染みたカウンターと安テーブル、狭い小上がりが目についた。

古色のついた招き猫さんが鎮座する神棚の下のレジは年季の入った手回し式で、古道具屋の店先にでも飾られていそうなシロモノだ。

ねじり鉢巻を締めたタコ坊主そっくりの親父が、せかせかとまな板に向かっている。

まだ、17時前なのに席は6分どおり埋まっていた。

定時であがるサラリーマンの街ではないのだ。


 だれもいない小上がりの一角に座を占める。

今夜は腰を落ち着けてじっくり飲みたい気分だ。

「あ、おねえちゃん。土佐鶴の純米、冷えてるヤツ四合ビンで頼むワ。あと、本マグロの刺身とカマ焼き、黒はんぺん。ついでに静岡おでんの大根に牛スジね」

すっかり変色した壁の品書きを見ながら上機嫌で注文する。

「は~い」

打てば響く明るい返事とともに、酒がサッと出て来た。

「おう、早いね」

ホメながら、ふと顔を見た将之(まさゆき)の動きがとまる。

「えっ? 美智子(みちこ)……?」

口の中でつぶやいて顔をしげしげと見る。

「え? やだ、あたし、顔になんかついてます?」

ちょっと不審げにたじろぐのを、

「あ、いや。あの、なんとなく似てる人がいてさ。ごめんごめん」

笑いに紛らしてうつむく。

目頭がジ~ンとするのをまぶたをしばたいて誤魔化しながら、去って行く彼女を盗み見る。

似ているのは主に目の辺りと笑顔だが、離れて見るとやっぱり別人だ。

彼はそっとため息をついて、握ったままでぬるくなってしまった猪口を飲み干した。


 将之(まさゆき)はひとり親方の11トントラックドライバーだ。

全国を流しながら、配送品を求めて渡り歩く。

世間では、足の向くまま気の向くままなどというが、実際は荷主の言うまま荷の向かうままだ。

ここ1ヶ月ほど、東京湾岸と静岡県焼津港をピストン輸送する仕事についていて、トラックに寝泊りしながら貪欲に稼いだから、その契約切れの今、そろそろ簡易宿泊所が恋しい。 

「ね、大将。どっかいい宿泊所、ねぇっすかね。今夜から4,5んちゆっくりしたいんで」

「ん? あんた、トラック野郎かい。そ~だな、すぐそこの美浜(みはま)なんかどうだ? お仲間が結構泊まってる」

タコ親父が言いながら、奥を振り返る。

「おい、佳奈(かな)ちゃん、ちょっと電話して聞いてやってよ」

「あっ、こりゃどうも。お手数です」

親切で場慣れした対応に恐縮しながら、

(ふ~ん、佳奈って言うんだ)

と、心につぶやく。


 カウンターから、だれかが振り向くのが見えた。

「お兄さん、ど~だろ。うちの仕事請けてくんねぇかい? あ、ニュー清水物流の小野(おの)ってもんです」

声をかけてきたのは50がらみの小柄なおっさんだ。

「あ、こりゃど~も。弓馬将之(ゆばまさゆき)って言います」

軽く頭を下げながら、

(ほら、来た)

と思う。

仕事の勧誘だ。

発展を続ける日本経済と相まって、国内はもちろん海外にまで流通需要は爆発的に増えている。

高速道路網の整備とともに、昔はチッキと呼ばれた鉄道輸送がトラックに移行して以来、ドライバーは引く手あまただ。

もう、20年近くも運転手不足が恒常化していて、やる気があればいくらでも稼げるいい時代だった。

折りしも、第2デコトラ(デコレーショントラック)・ブームのころで、トラック野郎は底辺・やくざ・馬鹿でもチョンでも出来るなどのマイナーイメージが定着していたのも事実だった。

丸刈りかパンチ・パーマ、ダボシャツに雪駄、ラクダの腹巻にステテコといったテキ屋スタイルの者すらいた。

だから、心あるトラッカーは服装や言葉遣いにも気をつけている。

頭に渋いハンティングを乗せ、ポロシャツにスラックス、足元はチヨダのビジネススニーカーの小野も、その1人のようだった。

こういう人のいるところは信用できる。

「ありがたいです。じゃ、5日たったらニュー清水物流さんにお願いしますかね。これもご縁ですから」

笑顔で答えると、彼は顔をクシャクシャにして喜んだ。

「おうおう、こっちこそありがたい。あたしゃ社員だからルート配送だけど、個人さんはどこにでも行くから、交渉しだいで賃金はどうにでもなるからね。ま、仕事はキツイが稼げるよぉ」

境トンネル多重衝突炎上事故まで、65日のことだった。


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 晴れた5月の明るい日差しが差し込んでくる。

小石川のほとりの簡易宿泊所「美浜」は、築は古いが周りに空き地なんかもあって風通しがいい。

東に行けばほどなく港の船溜まりだ。

久しぶりに昼過ぎまでタンマリ眠った将之(まさゆき)は空腹を覚えてゴソゴソ起き出す。

和室4畳半の部屋は2畳ほどが畳敷き、残りは板の間になっていて、畳部分にフトンを敷く仕組みだった。

窓を開けて外を覗くと、4メーター道路を隔てて川面とまばらな桜並木が見える。

「ああ……おれのアパートからも隣の桜が見えたっけ」

そんな感慨に、忘れ難い思い出がよみがえった。

早いもので、もう5年になる。 


 当時の将之は運送会社のルート配送社員で、職場に程近い立川市の片隅に所帯を持っていた。

妻は彼が惚れてホレて惚れぬいて、さながら源氏物語の深草の少将なみに日参した取引先の事務員で、素直なまなざしと明るい笑顔が評判の娘(こ)だった。

当然ながら、同じ思いの数人が周りをウロウロしていたが、彼女は彼を選んでくれ、親兄弟、親類、少しの友人だけのささやかだが暖かい結婚式を挙げた。

「うふふ、弓馬美智子(ゆばみちこ)。すっごくいい名前。弓馬になれて良かった」

アパートに引っ越した最初の日、2人で表札を出しながら、彼女が言ったその言葉と声の調子を今でも忘れない。

そして、今でも目頭が熱くなるのだ。


 1年ほどたったとき、彼は独立した。

仕事は長距離が多く不規則にはなるのだが、社員でいるより個人のほうが格段に稼げる。

まだ、子供はいなかったけれど、将来的に扶養家族が増えるのは確実だ。

稼げるときに稼いでおきたい。

そんな思いの彼を、美智子は少し寂しそうに笑っただけで反対はしなかった。

将之は勇躍、自分の今までの貯金に親からの借金を足して、11トントラックを買った。

ピカピカの新車で、いよいよ一国一城の主となったのだ。

そのとき、27歳だった。


 トラック野郎として仕事を取り、全国を駆け回る日々が始まった。

そんな中で、大型貨物自動車とフォークリフト免許だけだった彼は、思い立って牽引免許も取った。

そのころ、脚光を浴びていた海コンと呼ばれる国際海上コンテナの輸送で、たいてい湾岸と荷受人あるいは荷主との間を往復するだけだから、ルートも拘束間も短い。

さすがに長距離ドライバーほど給与は高くないが、荷の手積み・手降しもないから長く続けられる仕事だ。

子供が生まれたら、あるいは年をとったら、そっちに移行してもよかった。

………………。


 思い出に浸っていた将之が、ふと我に帰って頭を振る。

「フッ、過ぎた昔ってコト」

自分自身を皮肉に笑って、酒とつまみを求めて昨日の居酒屋に転げ込む。

「大将、ありがとうございました。美浜さん、最高っす。あんなによく寝られたのはガキん時以来です」

タコ坊主の親父が満足げにうなづく。

「うん、そりゃよかった。あそこは地域ネコさんに飯を提供してるから、寒いときはそのコたちとシッポリ添い寝もできるよ。冬場はそれで寝過ごすヤツが続出だ」

「ええっ? そりゃぁいい。知ってたら2月に来るんだった」

親父の言葉に本気で残念に思いながら、なんとなく昨日の佳奈(かな)ちゃんを探してしまう。

いた、いた。

「いらっしゃい」

と、ニコニコ注文取りに来てくれる。

それだけなのに中坊のようにとぎまぎしてしまう。

「あっ、その、え~と……さ、酒は昨日のね。あ、銘柄? えっ、な、なな何だっけ」

(ったく、ざまぁねぇや)

自分で自分に嫌気がさした。


 それでも3、4日ほどたつうちに将之の態度も自然になり、彼女も常連として親しみをこめてくれるようになっていた。

ニュー清水物流の小野(おの)さんもやって来て、会社側がかなり期待していて、彼の休暇が終わり次第、さっそく契約の意向を伝えてくれた。

年に1度くらいは、こうして物事が順調に進むときがあるものだ。

彼はそれに十分満足し、新規の仕事に期待を持った。


 「ねぇ、独身?」

いきなり佳奈(かな)ちゃんに聞かれて目を白黒する。

「え? う、うん」

焼津の人は物事をけっこうズバズバ聞いてくる。

トラッカーや季節労働者、漁師など流れ者が多いから、そうそう遠慮はしない風潮なのだろう。

「ま、以前は家庭もあったけど……今はひとり身なんだ」 

なんとなく打ち明けてしまう。

「ふ~ん、そう」

そっと言って、かたわらにカサゴの煮付けを置いてくれる。

そんな動作もなんとなく妻の美智子を思わせる。

「へ~、お兄さんは連れ合いがいたのかい」

タコ親父が声をかけてきた。

雨模様の宵で客はほとんどいないから、他人の詮索をするのも暇つぶしの一端なのだ。

「え、ええ。でも、運悪く死に別れで……」

別に隠しておく気もないので、素直に応じる。


 そうなのだ。

あれは結婚後、丸3年を過ぎたころだった。

30になった将之は順風満帆の日々を送っていた。

仕事は長距離が主だが、取れる限りは休暇を入れて最愛の妻の元に戻る。

美智子はいつもうれしそうに迎えてくれて、お互いにいつまでも新婚気分が抜けない彼らは、隣の老夫婦があきれるほど愛し合う。

2人だけの水入らずの時間は、彼らにとって天国以上の至福だった。

そんな幸福な日々に影が差したのが、

「ねぇ、このごろ、なんだか頭が痛いの」

という告白だった。

「え? ヤリ過ぎでアタマに血が登っちゃったかな?」

心配をそんな冗談にまぎらしたが、当の美智子は医者に行くほど重大なものとは考えていなかったようだ。

「病院へ」

と言う彼を、そのたびに押しとどめた。


 運命のその日、将之は東北道を東京に向けて走っていた。

明日の早朝に荷降しを終えれば、あとは心弾む休暇だ。

上機嫌でトラックを飛ばす彼の元に深夜の無線連絡が届いた。

警察からだった。

「くも膜下出血」

彼女は助けを求めて玄関先に倒れていたと言う。


               3


 

 ニュー清水物流での仕事はほとんどルート配送といっていいもので、焼津と広島の岩国間を片道約7時間ほどかけて走り、面倒で時間のかかる荷積み・荷降しもフォークリフトでOKという、彼としては楽なものだった。

市の物流のほとんどを占める自衛隊や米海兵隊基地、周辺の工場が顧客だ。

また、2往復に1度は定期的に休暇が取れたし、休みの日は佳奈(かな)ちゃんのいるタコ親父の店に入り浸ってリフレッシュする。

将之(まさゆき)にとって理想の日々だった。

だが、(好事魔多しっていうからな)と、用心する気持ちは常にあった。


 そんな折、配車係に呼ばれた。

「弓馬(ゆば)さん、牽引免許持ってたよね。1往復だけなんだけど、海コン(国際海上コンテナ)お願いできないかね? いや、でかいんじゃなくて、小っちゃい(ヘッド5~6メートル)ほう。道は、ほら、そこの大井川んとこから長野の飯田まで。帰りは空荷でいいっつうから」

こういうこともあろうかと講習は毎回受け、車両感覚は磨いている。

道筋はほとんど直線で右折左折が少ないし、配送品は圧縮パルプその他でかさ張って重いが、荷積み・荷降しがないので問題はない。

帰りの荷がないことも拘束時間の短縮になるのでありがたい。

ネックは海コンは専用車両になりいつもの自分の車ではないこと、初めてのコースで道路事情がわからないことぐらいだ。

「いいですね。やりましょう、楽勝です」

当然、プロとして2つ返事で引き受ける。

それでもトラック無線を使って事前に、道路の込み具合や時間帯、飯やトイレ休憩のためのサービスエリアの状況などを把握しておいた。


 当日は梅雨の晴れ間で道路は乾き、タイヤのグリップもいい。

掛川の先から天竜川沿いにひたすら北上する。

道はほとんどが山間で、曲がりくねったアップ・ダウンが多い。

牽引車は回転半径が短くてすむので楽だが、重い荷は遠心力で大型トラック以上に外側にブレようとするから、急ハンドルはもちろん、急発進、急加速、急停止にも注意して車両の安定を保つ。

全長は自分のトラックよりも4メーターほど長いものの、まもなく車のクセを飲み込み、手の内に納めるとなかなか快適で、年をとったらトレーラーに乗り換えようと本気で思った。


 そんな感じで行きは何事もなかった。

帰りは小雨が降ったり上がったりのうっとおしい空模様で、霧が出たりして視界はよくない。

空荷の気安さはあったが、無事故で帰り着いてなんぼの世界だ。

排気ブレーキは最初からOFFにして劣化を防ぎ、いざとなったら通常ブレーキに加えて、サイドブレーキ横にあるシャシーブレーキ(牽引部分のみにきくブレーキ)に頼るつもりで峠を下る。

突然、ズズッササァっと地面が鳴いた気がした。

反射的にシャシーブレーキは引いたものの、フットブレーキをホッピング(瞬間的に数回に分けて踏む)してしまう。

トラック野郎の身に染み付いた性(さが)だ。

瞬時にヘッドがあらぬ方向を向き、荷台は車線を真横にふさぎながら運転席を強引にガードレール外に押し出してくる。

ジャック・ナイフ現象だ。

荷台が軽いだけにあっと言う間の出来事だった。

道路わきはすぐ谷だ。

視界がぶん回されるように回転し、車輪が浮くのがわかった。

激しくきしみながら谷底を真上から見下ろす形になり、完全に転落すると思って覚悟を決めた。

恐怖感は全くなく、一瞬だけ、落ちれば後続や対向に迷惑がかからないと安堵したことだけは覚えている。

結果は崖っぷちの大杉を抱き込むように巻きついて止まった。

 

 幸いにして単独事故だったが、将之(まさゆき)は最初、事故の原因がわからなかった。

慎重に下ってきた車体は真っ直ぐだったはずだ。

だが、あの突然のズズッというぬめるような音。

考えられるのはオイルしかない。

おそらく、事故かなにかでオイルが漏れ、処理したものの微妙な凹凸に滲んでいたものが、折からの小雨で地表に湧き出したのだろう。

その油膜に乗って制御が利かなくなるハイドロプレーニング現象。

警察の現場検証も、まさにそれを示していた。

まるで晴天の霹靂のようにやってくる予測不可能な事態に、今まで無事故で対処できたのは運にも恵まれていたのだ。

その証拠に同じ条件でこの峠を下ったトレーラーは彼だけではない。

そして経験不足で対処を誤った将之だけが事故を起こした。

あの場合、シャシーブレーキを引いて、同時にアクセルをチョイ踏みすべきだったのだ。

そうすればヘッドが前に前進し、ブレーキングによって推進力を失った荷台はその後ろを牽引されてついてくる。

ジャック・ナイフにならずにすむのだ。

よく言われる「奥が深い」という言葉はまさにそのとおりで、運転技術の練磨に終着点はなく、経験知は自らを救う世界なのだ。

境トンネル多重衝突炎上事故まで、33日のことだった。

  


               4


「ったく、今のガキゃぁ、なに考えてんだろ~な」

小上がりに転げ込むや、将之(まさゆき)が吐き捨てた。

「あら、ど~したの? 将(まさ)ちゃんらしくない」

佳奈(かな)ちゃんの言葉にちょっと苦笑する。

「うん。うちの社長に頼まれてさ、この間大型免許取ったばかりの、20歳(はたち)のヤサグレ息子の教育やってんだけど、親父の威光を嵩に着てとんでもねぇ自惚れバカ。助手扱いからスタートってことで受けたんだけど、しょっぱなから挨拶もできねえ。おれのことを『おっさん』だとよ」

「ヒドイわねぇ。お父さんが社長だから、自分も特別扱いしてもらえると思ってんじゃない? 今の19,20の子って案外子供よ。あたし、2つ違いの弟がいるから、なんとなくわかるわぁ」

「へ~。弟いるの」

彼女はあんまり自分のことを語らないから、思わず聞き返す。

「うん、あたし、地元のここなの。弟は今、25で所帯持ち。あたしは27だけど実家暮らしよ」

ちょっとテレくさそうに言う彼女に、

「でも、佳奈ちゃん。結婚は? 引く手あまただろ~に」

以前から気になっていたことを聞いてみる。

「そ~なんだよ、本人に自覚がなくてさ」

タコ親父が厨房から、笑いながら身を乗り出す。

「もらってやってよ。将ちゃん。女は30越えたらゴミ同然ヨ」

ひどい言い草に彼女がワザとふくれる。

「あ、いや、佳奈ちゃんだって好みがあるよねぇ」

慰め顔に言う心の中はちょっとした期待で膨らむが、彼女は大きくうなづいた。

「そうよ。将ちゃんはダメ。昔から『死に別れのところには嫁ぐな』って言うもん」

「あ、ああ……まぁ」

確かにそうなのだ。

死に別れ夫婦の生き残りは、良い思い出しか持っていないから、どんなにいい連れ合いと再婚しても必ず不満が残る。

結局、お互いに不幸になるケースが多いのだ。

将之はなんとなく寂しい気がして黙る。

彼女の言葉になんだか急に心の片隅に穴が開いた気がして、

(別に佳奈ちゃんと再婚なんか望んじゃいね~し)

自分で自分に言い聞かせた。


「ぶっ飛ばすぞっ、ぐおぉらぁ」

将之が助手席からド突く。 

「上り坂では早めにシフトダウンしろっつってんだろ~がっ。出力上げとかんとエンジンちゃんがかわいそ~だろ。ほら、よく見ろタコメータ。音聞け、音ぉ。おまえの乗り方じゃ、新車も1年でオシャカだワ。ボォケがぁっ」

「うっせぇな、おっさん。親父にチクって首にするぞぉっ、コラっ」

「ぬわんだとぅ? チクりたけりゃチクってみろっ。あっ、バカっ、ブレーキングは優しくだ、路面ぬれてんだろ~が。いいか、よく覚えとけ。今日みたいに荷積んでないときはタイヤがロックしやすいんだ。最大積載量に合わせてあるからな。乱暴なくせがついちまうと、しまいに荷台後部の振動でハンドル操作が不能になる。そんときになって泣きっ面するなっ」

「うっせっ。ヒステリー」


 将之と社長のどら息子とのコンビはいつもこんな調子だ。

これでもまだ、マシになったほうで、初日は助手のクセに将之の後からヌゥッと来て、ポケットに両手を突っ込んだまま、

「おれ俊樹(としき)。俊(とし)ちゃんでいいワ。おっさん、そこんとこよ・ろ・し・くっ」

が、ご挨拶だったのだ。

車の洗車やメンテには関心がないくせに、自分の身じまいには異様にこだわって、6月も末なのに白のフーディに黒のスゥエット、頭はなぜか当時のアイドル藤井フミヤの前髪の一部を伸ばす、目を悪くしそうな髪型だ。

タルそうにズッタラ、ズッタラ歩くくせに、胸ポケットに櫛を忍ばせていて、交代で助手席にいるときはいつも髪をいじっている。

(20歳にもなって10代のつもりか、バカにつける薬はねえワ)

将之のイライラは止まらない。

おまけになにをするにも鼻歌交じりで、仕事と従業員をアタマから馬鹿にしているのが見え見えだ。

こんな礼儀知らずの傲慢野郎が跡を継いだらニュー清水物流は3日で倒産だろう。

父親の苦悩と心痛には同情するが、こんバカ息子になるまで放っとく親も親だ。


 それでも息子の成長は気になるらしく、暇を見て俊樹(としき)の仕事ぶりをちょっとだけホメて報告してやると、大喜びで映画の指定席券をたくさんくれた。

1988年春に封切られて、女性や家族持ちに大ヒットした宮崎駿監督の『となりのトトロ』だ。

最初にこの職場を紹介してくれた小野さんその他に配ると、どの人もニコニコ顔で喜んでくれる。

それに味を占めて佳奈(かな)ちゃんにも差し出す。

将之としては気になる彼女との距離を少しでも縮めたい。

「ね、あのさ、ええと~ぉ、映画行かない?」

「うっわ、トトロォ。あたし、ほんっと見たかったの。うれしぃ~、そこの焼津座でやってるのよね」

素直に喜ぶ彼女の顔が輝いて見える。

(ああ、やっぱりおれはこの子にホレてんだな)

今更ながらに自覚した。


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 夜の海岸を2人で並んで歩く。

「まだ、知り合ってから2ヶ月でしょ。将(まさ)ちゃんは結論急ぎすぎ」

当然の返事に「うん」とうなづく。

「わかってる。でも、思うんだ。人間いつどうなるかわからない。現におれの女房だって……」

「将ちゃん」

彼女がちょっと強く言って向き直る。

「あなた、あたしが亡くなった奥さんに似てるって言ってたよね。あなたはあたしが本当に好きなんじゃないのよ。あたしの中に奥さんの面影を見てるだけ。あなたが本当に好きなのは奥さんなのよ」

「違う。それは違うよ、佳奈(かな)ちゃん」

言いながら、あたりを見回す。

「ね、ちょっと座ろ。誤解があるみたいだ」

もやっている漁船の間に2人で滑り込むと、高くそそり立ったキャビンが陰を作ってなんとなく落ち着く。

「ホントに違うんだ。そりゃ、最初は佳奈ちゃんが似てるってだけでうれしかった。でも、今は似てるけど違う、似てるけど佳奈ちゃんは佳奈ちゃんだからこそ好きなんだ」

「ウソ……」

「嘘じゃない。この2ヶ月ズ~ッと考えてた。佳奈ちゃんが本当に女房に瓜二つだったら、おれ、怖いと思う。佳奈ちゃんは同じ運命を持った人じゃないかって。亡くなってしまうんじゃないかって。でも、似てるけど違うからこそ安心できる。佳奈ちゃんは佳奈ちゃんで別の運命を持ってて、違う人生を歩める人だって。佳奈ちゃんは佳奈ちゃんでいいんだよ。ホントにホントなんだ」


 彼女が少し恥ずかしそうに身じろぎした。

「ん。それなら……わかる気がする。そういうことなら、あたしも将ちゃんのこと大好きだもん」

将之(まさゆき)は自分の体がバックンと飛び上がった気がした。

おずおずと手を握る。

佳奈ちゃんは引っ込めないから、さらに力をこめた。

「おれ、焦ってるように見えるかもだけど、もう、31だ。子育てを考えると、あんまりのんびりもしてられないかなって。おれ、男の子が欲しいから、そいつが思春期になったとき、理不尽な反抗には鉄拳制裁できる親父でありたいんだ」

「うふふっ。将(まさ)ちゃんらしいわ」

彼女は心底楽しそうに笑ったが、それでもその夜は結論を出さなかった。

「将来のことだもん、もう少し考えさせて」

が、返事だった。

無理もない。

もちろん、彼はそれを承諾した。

佳奈ちゃんからの返事は、彼女が納得のいくまで考えた結果であって欲しかったのだ。


「おい、俊(とし)。ドア下窓(助手席側にある目視用窓)、私物で塞ぐなって何度言ったらわかるんだ」

「あっ、いっけねぇ。でも、隙間からちょっとだけ見えるよねぇ、なんちって」

あいかわらずのヘラヘラ息子だが、それでも社長に多少ホメて報告してやったとおり、少しづつは成長している。

助手として将之より早く来て軽くキャビンを清掃したり、自分で考えて死角防止のためのミラーを増やしたりとトラック野郎としての自覚も増してきた。

なによりも『おっさん』が『弓馬(ゆば)さん』になったのが大きな変化だ。

ただ、人格的に未熟で、20歳の大人にしては臆病で幼い。


 最近だが、こんなことがあった。

焼津と広島の岩国間は中国縦貫自動車道を走り抜けながら、大体18時には荷受先に着かなければいけない。

それから1時間ほどかけてフォークリフトでの荷降しと新たな荷積みをする。

そのままとんぼ返りをして途中、時間調整のため4時間ほどの仮眠を取るサイクルで、大型トラックはどこにでも止めるわけにはいかないから、大体決まったサービスエリアか道の駅になる。

たまたま大型車ラインが混んでいたので、ちょっと先のさびれたドライブインに入った。

古いせいか照明は暗く、店も閉まっているから陰鬱な雰囲気で、中型トラックが2,3いるが、なぜかトイレから離れた道路っぱたに止まっている。

「うぇ~、なんか不気味」

俊樹(としき)の第一声だったが、将之は気にもしない。

「おい、キャビンはおれの番だったよな。おまえは運転席。じゃ、寝るワ」

遮光カーテンをめくって裏に入り、さっさと就寝する。

すいているせいか、静かでなかなかの寝心地だった。


「ね、ねぇっ」

俊樹が彼を揺さぶる。

「ねっ、便所。ついて来て。ねっ、ねっ」

「はぁっ? 一人で行け。さもなきゃ、ここでしろ。ガキじゃあんめえし」

「ダ、ダメ。大。う~出るぅ」

飛び起きてトラックからつまみ出す。

「ほら、ここで待ってるから早くしろっ。3歳児かよ」

入り口で待ちながら改めて辺りを見回すが、大の大人がビビるほどの雰囲気ではない。

「ったく。親父にチクってやるワ」

ぼやきながらタバコに手をやった時だった。

「ひょえぇっ、わぎゃ、きひええぇぇぇ~」

甲高い、つんざくような悲鳴だ。

ダッシュで駆けつけると、でかいジョロウグモがすたこら逃げていくところだった。

「バ~カっ。かわいいじゃね~か」

その言葉に第三者の声が混じる。

「おい、ど~した?」

「犯罪か?」

寝ていただろうに、わざわざ駆けつけてくれたのだ。

「あ、いや、このバカ、臆病なもんで。すんません」


 頭を下げると、1人がこんなことを言う。

「お兄ちゃん、ここ出るんだよぉ。おれも知ってるけど、なんか男か女かわかんない黒いんがフロントから覗くんだ。だから、だれもトイレの前にゃ車止めねぇよぉ」

将之は内心、せせら笑ったが、俊樹は夜目にもわかるほど狼狽した。

いきなりペコリと頭を下げると、運転席に飛びついてエンジンをかける。

冗談じゃない、置いてきぼりにされる。

将之も助手席に飛び乗った。

闇雲に発進する彼に気がかりを聞く。

「おい、俊。流したか?」

ハンドルにしがみついて、ひたすら前を凝視する俊樹が無言で激しく頭を振った。


 将之はこれを思い出すだびに気が重くなる。

(あいつ、事故でも起こした日にゃ、パニックになって被害者置いて逃げるんじゃねぇのか? 臆病だけは直しようがねぇからなぁ……やっぱ、アタマが少し足りねえんだな。ど~しよ)

こればっかりは鉄拳も効かないから、彼も考えあぐねるばかりだ。

境トンネル多重衝突炎上事故は翌日に迫っていた。


               6


 この境トンネルは広島県佐伯郡と山県郡にまたがる、文字通り『境』のトンネルで、将之(まさゆき)はこれを岩国・焼津間の定期コースにしている。

海側より道が単純で、なによりもすいているから時間の配分がしやすい。

1988年7月15日のこの日は朝から雨で、彼らがさしかかった21時過ぎは大雨洪水警報も出る吹き降りだった。

上下線は別のトンネルに分かれていて、上り線の場合、長い上り坂の末にやっと下りになった途中に位置するため、どうしてもスピード・アップしてしまう。

内部を雨水が流れてタイヤのグリップが悪く、見通しの悪い右急カーブもあるが、これまでは特筆するような事故は起きていなかった。

運転席の将之はスピードを100キロほどに落としたものの、いつもどおりの運転をする。

出口まで、あと200メートル足らずの位置だった。

突然、グレーの塊が進路を塞いだ。

「おあぁっ?」

事故車だ。

クレーン付4トンの貨物車で、車線を塞いでしまっている。

早い目視と必死の減速でやっと手前で停止する。

仮にこの車を事故車①とするなら将之は事故車②だ。


「ふぅ、危ないところだったぜ」

だが、安堵の間もなかった。

後続の大型貨物③が止まりきれずに追突し、将之の車は①に接触した挙句、右壁に叩きつけられ、さらに普通貨物④が急ブレーキをかけつつ衝突した。

相次ぐ衝撃に将之も俊樹(としき)も失神寸前のフラフラ状態になったが、見通しの悪いトンネル内での事故はこれだけでは終わらなかった。

続いて普通乗用車⑤と普通貨物車⑥が、さらに普通乗用車⑦が進入し、この3台はこの時点では衝突をまぬがれたものの、将之の②と後続の④でトンネル内は完全に塞がれた形となっていた。


 わずか5,6分の時間差だっただろうか?

再び阿鼻叫喚の衝撃音が響いた。

大型貨物車⑧、⑨、⑩が突入して普通乗用車⑦を押しつぶし、同時に、道路上にいた普通貨物車⑥の運転手と⑦の同乗者を跳ね飛ばして即死させたのだ。

ここに至って⑦がついに火を噴き、周囲を巻き込んで燃え広がった。

この時点ですでに亡くなっていたと思われる⑦のもう1人の同乗者は、火災の後に発見されたが、報道によると『遺体は背骨と肋骨の一部を残して燃え尽きていた』という。

また、大型貨物⑩の運転手も『遺体は運転席に着座したまま炭化した胴体だけが残り、アクセルペダルにはアクセルを踏んだままの状態で足の指の骨が付着していた』と書かれている。

悲劇はこれだけでなく、さらに進入してきた大型貨物⑪は、前方の煙と炎に気づいて後退したものの、余りの火勢に運転不能となり、車を放棄して脱出せざるを得なかった。

このため、積荷の牛13頭が焼死している。


 将之と俊樹はのろのろと脱出を図っていた。

2人とも相次ぐ衝突のために体の感覚がなくなっていて、ひしゃげ潰れた鉄の塊から容易に抜け出せないのだ。

なんとか車外に転げ出たとき、運転席の将之は片足を粉砕骨折し、俊樹は左肩を脱臼していた。

だが、全身がしびれ麻痺した状態で痛みは感じない。

「おいっ、大丈夫かっ」

彼がそんな声をかけたほど、俊樹は異常に見えた。

ガクガクと大きく震えているのは仕方がないが、目を飛び出すほど見開いたまま口を大きく開け、よだれが垂れるにまかせたまま気づいてもいないようだ。

魂が抜けた木偶のようで、それなりに鬼気迫るものがあった。

「おい、肩貸せ。片足、感覚ねえワ」

言っても呆然と突っ立ったままなので、引き寄せて体を預けた。

ケンケンしながら、少しづつ出口に向かって逃れる後ろに猛烈な熱気と煙が充満してくる。

ゴムタイヤの猛烈な毒ガス臭が目と鼻を刺激して痛みと息苦しさが同時に来た。

俊樹がなんともいえない、人間離れしたうめき声を上げはじめる。

「お、おい。み、見捨てないでくれよな」

嫌な予感を将之が口にした瞬間だった。


「ぐぉぉぉがぎゃぁぁっ、ごがぁわぁぁぁっ」

全身の力で発する狂気じみた絶叫が、燃え盛る燃焼音をかき消さんばかりにあたりを圧した。

異様な怪獣の雄たけびに似て、アウオォォ~ンと不気味に反響する。

同時に俊樹は将之を自分の肩から引きむしっていた。

「と、俊樹、連れて行ってくれっ、な、頼むっ、頼むっ。おいっ」

哀願しながら、彼の足首にすがりつく。

すでにアスファルトは熱気を発していた。

俊樹は力いっぱい無茶苦茶に足踏みして、この時、将之の手指を骨折させ、それでもしがみつく彼を数メートル引きずっている。

「がぁっげほっ、うぐぇえごほぉっ、ぎげええぇげふっ」

煙は天井部に充満したのち下部に下りてくるから、それを吸い込んだのだろう。

猛烈に咳き込みながら、将之を蹴り捨てて駆け出した。

「お願いだ。俊、頼むよぅ、ここで死にたくないんだよぅ。ああ、頼む、ねっ、俊よぅ……」

死に物狂いで叫ぶが、彼自身の覚めた心はすでにわかっている。

どんなに呼び求めても、パニックになった俊樹が戻ることはないのだ。

出口に向かって遠ざかっていく乱れた足音を聞きながら、わきあがる絶望感を必死で払拭する。

「死んでたまるか。おれにだって未来がある。佳奈(かな)ちゃんと生きる明日があるんだ」

自分のつぶやきに力を得て、四つんばいの形で足を引きずって前進する。

入り口側で13頭もの牛を焼死させた熱塊と煙がジリジリと覆い始めていた。

459メートルと短いトンネルであったため、短時間で炎熱が充満したのだ。


 いよいよ煙がアスファルト近くまで降りてきて、体勢のより低い匍匐前進でも毒気を吸い込んでしまう。

焼けたゴムの刺激とくすぶる化学繊維の悪臭、灼熱にとろける金属の異臭が肺を侵し、肌を焦がす猛烈な熱量とともに、全身を責めさいなんでくる。

耐えられない。

体のすべての動きを止めて、ただ、ひたすら叫びたい衝動に駆られる。

それでも将之は這い続けた。

出口まで170メートル余りだが、あまりに遠すぎる。

生きて出ることはないだろう。

もう、呼吸もままならず、出口方向に這っているのかもわからなかった。

(佳奈ちゃん、待ってて。おれは行くよ。あんたのところに必ず帰り着く。佳奈ちゃんを1人にするものか)

その思いだけが最後まで彼の中に残っていた。


               7


 トンネル火災が鎮火したとき、将之(まさゆき)は1人、事故車と出口の間に転がっていた。

背中側はすっかり焼け焦げ、うつ伏せになった頭部は最後まで両腕で守られていて、生焼けになった顔は物を思うように目を半眼に開き、悲しげに見えたという。

一方、彼が事故にあったまさにその時間の21時30分ごろ、タコ親父の店では奇跡のような出来事が目撃されている。

元気でいつもと全く変わらない将之が店に入ってくるなり、

「佳奈ちゃん、いつもの」

と快活に酒を注文し、彼女が返事をして目をそらし、再び小上がりを見たときにはすでにいなかった。

これは親父も居合わせた客も同時に目撃していて、当時、不思議なこととして街の話題になっている。


 そして脱出したはずの俊樹(としき)は帰ってこなかった。

足跡をたどると、彼は間違いなく上り線出口にたどり着き、駆けつけた消防隊員らに目撃され、声をかけられている。

ただ、あわただしい消火準備活動の只中であり、2人の隊員は俊樹が歩ける状態であることを確認してから、すぐ後ろに待機している救急隊の位置を教え、さらに彼の存在を無線連絡し、そのままトンネルに突入していった。

だが、俊樹は現れなかったのだ。

行方不明者としての捜索は、機動隊員も出動して山狩りの形で行われた。

そして5日たった20日の午後、国道186号線そばの川の険しい茂みの中で首をつった状態で発見されている。

遺体の状況から事故当日の15日から16日の間に自殺したものと推測されたが、遺書もなく、足を滑らせてたまたま藤ヅルかカズラのような弦に首を引っ掛けた可能性も考えられている。

俊樹の心理や状況を思うと、やはり自殺説は無理があるような気がする。

彼は恐らく恐怖で心神を喪失し、闇雲に逃れるべく歩き回り、不慮の事態のために滑り落ち、運悪く首にかかった弦によって死亡したのではないだろうか?

目撃者もない山中であり、すべての考察は想像の域を出ないものの、彼の心象の中で、将之を見捨てたことは自殺を誘発するほどの後悔や懺悔になり得ないと思われる。

彼は飽くまでも理性より、衝動に突き動かされる人物であり、人格であったからだ。


 このすぐ後の1989年、境トンネルではもう1度、同じようなスリップ火災事故が起き、1名が死亡している。

運転者が心理的にスピードを出しやすい下り路線で、しかも見通しの悪い急カーブとあって、日本道路公団はこれを重視し、トンネル内の大型カーブミラーの設置やスリップを防ぐ薄層舗装、大型警戒標識や電光掲示板、トンネル内を雨水が流れないよう入り口に溝を切るなどの対策を講じ、それ以降の事故は皆無になっている。

もし、この境トンネルを通過することがあったら、注意深く入り口付近を見るがいい。

当時設置された多くの注意喚起の看板のいくつかを、今でも目にすることが出来るだろう。


 1979年7月11日の日本坂トンネルを始め、大きな悲劇を誘発するトンネル火災事故。

今でもささやかれる境トンネルのある現象について記述しておく。

ここで内部写真を数枚撮ると、その中の1枚は必ず真っ赤になるという。

これは事故当時の警察の現場検証のころから言われていて、現在は稀になったものの、なおかつ引き継がれているそうだ。

これがなにを意味するかは不明だが、トンネル走行時の注意喚起につながるなら、大いに意義のあることだと思える。


 

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出口は灼熱の向こうに(境トンネル多重衝突炎上事故) 上松 煌(うえまつ あきら) @akira4256

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